闘病

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 それは周囲の人間にとって大きな負担となった。知っている以上、放っておくわけにはいかない。案の定、満足に動かぬ身体で生活を続ける祖母の家は、あっという間に荒れ果てた。排泄すらままならないのにおむつの着用を嫌がる祖母は、そこかしこに排泄物を垂れ流した。食べ物や飲み物を摂取しては、嘔吐を繰り返した。今までできていた事ができなくなった自分に苛立っては癇癪を起こし、物を投げたり壊したりした。痴ほうは一気に進み、母や叔母の事すら認識できなくなった。  あまりにも危険だというので、その頃から姉は祖母の家には立ち入れなくなった。母や叔母は時間の許す限り祖母につきっきりになり、たまに帰って来ては憔悴しきった様子で疲労を滲ませていたという。  このままだと祖母が力尽きるよりも先に、母や叔母が倒れてしまうのではないか。祖母が意識を失い、救急車で病院に搬送されたのはそんな矢先の事だった。そしてそのまま帰らぬ人となった。  祖母が亡くなるまでの約半年は、周囲の人々も巻き込んだ壮絶な戦いだったのである。  母や叔母、そして姉は通夜に告別式にとお坊さんが来て儀式が執り行われる度に涙を流し、互いに励まし合ったものの、僕は一滴の涙も流す事はなかった。僕にとって故人との思い出は記憶の遥か彼方にうっすらと残るばかりで、戸籍上の祖母であるという以上の意味は感じられなかった。むしろこれで母や姉が解放されるのならば、結果的に良かったのかもしれないとさえ思えた。
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