失われた記憶

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 鍵はあるが、どうやら家のものではないようだ。部屋番号の書かれたタグがついているので、おそらくこの部屋の鍵だろう。  これは少し、いや。かなり異常なことではないだろうか。  本当にわたしの持ち物は、これですべてなのか。  外出するのに、財布も持たないことがあるのか。  ましてや、ここは宿泊先――ということは、旅行か何かで訪れているはずなのに。 「……探してみよう」  そう独り()ちたわたしは、もう一度室内を隈なく調べてみることにした。  ベッドの下や、クローゼット。先程立った洗面台の前やボストンバッグをひっくり返してまで。  ありとあらゆる場所を見て回ったが、しかし、期待した成果は上がらなかった。 「やっぱりない……」  言い知れぬ不安が過るも、どうもわたしの腹の虫は、主人と違って呑気な性格をしているらしい。  とはいえ、食料はどこにも見当たらなかった。お金もないのに、いったいどうしたものか。  ともかく一度、この部屋を出てみることにしよう。  ボストンバッグの中身を元に戻し、身なりを整えて、わたしは扉を開けた。  目の前に広がっていたのは、日の光が差した明るい廊下。  朝の爽やかな空気が、どこからか入ってきているのだろう。澄んだ風に乗って、森の香りがした。  清々しい気持ちに、自然と頬が綻ぶ。 「あん? なんだ、セナじゃねえか」 「あ……」  扉をパタンと閉じた、その同時。隣からガチャリと音がして、女性が顔を出した。  今は一人なのだろう。そのまま扉を閉じて、こちらに向き直った。  豪快な笑顔が、彼女の性格を表している。 「すげえタイミング。偶然だな。今起きたのか?」 「はい、少し前に」 「そっかそっか。あれから、よく眠れたか?」 「その、一応は……」 「ふうん……」 「……?」  目の前で仁王立ちしている女性に、じっと見つめられる。  わたしは訳がわからず、ただ戸惑うことしかできないでいた。 「何だよ、ぎこちねえな。やっぱりその様子じゃあ、あたしのことはわからねえままってか?」 「……すみません」  申し訳なさから俯くと、明るい声が降ってきた。 「謝んなよ。何か悪いことでもしたのか?」 「え……」  驚き顔を上げると、そこには声音に相応しい快活な笑顔があった。 「嘘や冗談にも見えねえし、悪いことしてねえなら、堂々としてろ。な?」 「……はい」  こそばゆさから、はにかみながら頷くと、ブロンド女性は満足そうにまた笑う。 「にしても、困ったよなあ」  言いながら、彼女は歩き出してしまった。
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