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失われた記憶
微睡みの中で、誰かに呼ばれた気がした。
心地よい眠りの波に揺蕩うわたしを呼ぶのは、誰?
どうして、心が締め付けられるの――?
「っ――!」
はっと見開いた瞳は、しかし、視界に映る何ものよりも、真っ先に飛び込んできた情報を捉えた。
それは、耳を劈くもの。
暗闇の中で異質に轟く音が、脳内を蹂躙する。
部屋中を反響し、鳴動し続けている不快なサウンド。
これか……波に浮かんでいた意識が、抵抗する間もなく無理矢理に掴み上げられ、急浮上させられた理由は。
眉根を寄せながら体を起こすと、目眩がした。ずきりと後頭部へ走る痛みに、顔が歪む。口から、短い呻きが漏れた。気持ちが悪い――心臓を無遠慮にぎりぎりと鷲掴み、暗闇を切り裂かんとするそれは、しかし、覚醒した頭が、火災報知器の発するサイレンだと気付く。
落ち着かない呼吸。引き摺り出された焦燥感が、緊張を連れて駆け巡る。早く安堵を、安寧を。何か――聴覚にばかり向いていた意識が、ようやくピントの合った視覚情報へとシフトした。
仄かに灯る、優しげなオレンジの照明。見慣れぬ天井。滑らせた視線の先、カーテンの隙間から漏れるのは、淡く青白い光――まだ夜明け前だ。
騒音に呼ばれているかのように、立ち上がる。ふわりと包んでくれていた大きなベッドに残る温もりは、一人分だ。
ふるり……軽い身震い。少し肌寒い空気の中、近くにかけてあった上着を手に取り、壁伝いに部屋の出口を探す。電気のスイッチは見落としたようだが、ドアを発見した。おそるおそる、ゆっくりと外を覗き込みながら、扉を開ける。
すると、その瞬間、見計らったかのように、ぴたりと静かになった。突然の静寂に驚かされるも、思わず聞こえなくなったノイズを探すように、きょろきょろと辺りを見渡す。
眼前に広がる廊下には、やはり――わたしには、まったく見覚えがない。ここは、どこだ?
解放されたはずの心臓が、どくり。今度は質量が肥大して、肺を圧迫しているようだ。小刻みに幾度となく空気を吸い込んでいるというのに、安心できないでいる。普段はどのように息をしていたのだったか。
深呼吸を数度繰り返すも、心音は耳のそばから離れない。
ならばと、薄闇に慣れてきた目を凝らす。右側は、どうやら行き止まりのようだ。そろりそろりと、反対側――左方へ、足を進める。
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