貴方が寂しくないように

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ひんやりとした手に頬を撫でられた気がして、誘われるように瞼を持ち上げると、見慣れた天蓋が視界に飛び込む。 この身が一人である事を虚しいと思う前に、すぐ側で声がした。 「……父上、目が覚めましたか?」 「……ロリィか、」 ふくふくとして愛らしかった我が子は、もうずっと前に成人を済ませ今や二人の息子を持つ立派な父親だ。 「母上はお元気でしたか?」 「……なぜ母が夢に現れたとわかる」 「毎夜夢で会うのだと、母上はいつもそう仰っていましたから」 エイデンはあの柔らかな笑顔を思い出し、そうかと呟いた。 とても長い夢を見た、辛く悲しく苦しく愛おしいくて堪らない夢。 「ロリィ、お前へ王位を譲らなかった俺を恨んでいるか」 「恨んでなどいません、感謝しているくらいですよ父上。王にはベルクが相応しい」 ロリィにも十分に素質は合ったけれど、王位を継いだのは弟王子のベルクだった。好奇心旺盛な第一王子は、王位を弟に任せると世界中を飛び回り国内外の情勢を見て歩くようになった。その流れで母の故郷へ再び足を運ぶ事となり、パヴィに代わって祖父の墓に花を手向けたのは誠に親孝行だったとエイデンは息子を誉める。 エイデンとパヴィ、そして彼らの成長に関わった人らのお陰で兄弟仲は頗る良い。弟は王になっても兄を慕い、兄もまた弟を尊重して二人で国を治めている。かつての王兄弟の様に。 エイデンはもう何も思い残す事は無いと思うのだ、もう連れて行ってくれても良いのでは無いか。いい加減お前の声が恋しいのだと。 「……父上、覚えていますか。私がまだ幼かった頃のこと、木登りをして母と共に怒られました」 「ああ、確かあれは……パヴィがお前を誘って木に登り、二人して降りられなくなったのだったか」 「実はあれ、先に登って降りられなくなったのは私の方でした。母上は居なくなった私の姿をいち早く見つけ、あっという間に木の上へ登って来てくれたのですよ」 実に見事な登りっぷりだったと、ロリィは思い出し笑いをする。彼の笑顔はパヴィに良く似ていた。エイデンは懐かしい光景を思い出した、6歳になったばかりのロリィとパヴィが木の上で仲良く肩を並べ足を揺らす光景だ。あの時は二人が怪我でもしようものならと手伝いの者らが大慌てで、余りの騒ぎに執務を切り上げて様子を見に行ったほど。 「先に私が登ったのだと知れたら心配性の父上に立派な木が切られてしまうかもしれないと言って、母がこの事は内緒にしようと」 「……そんな事じゃないかと思っていた、お前は母に似てやんちゃだったからな」 「騒ぎの後、私は母上に木の登り方を教えてくれと強請りました」 「教えて、もらえたのか?」 「ええ、こっそりとね。父上に内緒だと言って」 エイデンはその様子を想像してくつくつ笑う。ロリィの思い出の中に生きている、懐かしくて眩しいパヴィの姿が目の前に現れた心地だった。エイデンがもっと話しを聞かせてくれと言うと、ロリィはベッドの傍に腰掛けお安い御用ですと戯けて頷く。 「……些細な秘密は全部母の心が隠してあげる、と母上は言っていました」 「母らしいな」 「ええ、本当に」 しわくちゃになった手をロリィの手が労るように包む。 「母の心は砂漠だと、自分の心は時に人の死をも隠してしまうこの砂漠のようなのだと……」 「……難しい事を言う」 ロリィは父の言葉にくすりと笑う。エイデンはその真意とはなんだろうと、愛しい姿を思い浮かべて考えた。 若き日の彼も、年老いてからの彼も、思い出の中のパヴィは今でもにこにこと幸せそうに笑っていてエイデンへ向かって好きだと……言っている。
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