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──二人が睦まじくいるためには。
そんな言葉で始まる詩は、作者が自ら「民謡のように語り継いでもらえればいい」と言ったという、結婚を祝うための有名なものだ。
結婚して二人で生きていくことの在り方を歌った詩。
素朴で、飾り気はなく、けれど驚くほど美しい詩。
理文がその詩を知ったのは、今のデザイン事務所に就職してから二年目のことで、事務所の女の先輩が結婚して退職するときに、上司が贈ったからだった。事務所の草創期から一緒に歩んできた女性スタッフに、最大限の親愛の情が込められているのが、理文にも分かった。
中野が結婚すると知ったとき、この詩を贈ろうと思った。
彼にふさわしい詩だと思った。
だから、理文はサプライズで用意したそれにその詩をもぐりこませた。二人の両親と、新婦の妹や弟や、新郎の兄からの感動的な手紙を、思い出の写真と合わせてつづった一冊の本の最後にさりげなく添えた。
もちろん、そんなものはあくまで添え物で、メインは家族からの手紙だ。
二次会の後半にさしかかり、本当に新郎新婦に知らされていない突然のタイミングで、それは二人に明かされた。哲の司会で、理文からそれを披露することが発表され、同時に会場のライトが半分落ちてスポットライトが当たったのは、理文にはとって想定外だ。
だが、そんなことに動揺するぐらいなら、ここまで司会をこなせていない。理文は軽く肩をすくめて、いつもの軽い調子で口を開いた。
「えーっと、今回、この二次会の幹事の四人で集まったとき、ぜひ新郎新婦を驚かせるようななにかをしたいね、という話になりまして。俺としてはどうにかして、中野を感動で号泣させてやりたいと。……まあ、中野は酒に酔うとすぐに泣くので、こいつの涙にそんな価値があるかというとすごく疑問なわけですけど」
その前置きに会場にさざなみのように小さく笑いが起こる。
理文以上に、主役でありながらまったく緊張感のない中野から「俺の涙は高いぞ」とか野次が入ったが、気づかないふりをした。
「涙はともかく、今回二人には内緒で、二人の家族全員からそれぞれに当てた手紙をいただいて、それをかたちに残るよう、ちょっと詩集風に一冊の本にしてみました。中には思い出の写真とかも入っているので、新郎新婦にはあとでゆっくり楽しんでもらうとして、ここでは許可のいただいたお二人の手紙を読ませていただきます」
さすがに人前で読まれるのは嫌だという家族もいて、みんなの前で朗読するのは新婦の母親の手紙と、新郎の兄の手紙になっていた。
新婦の母親からの手紙のページを開いて、ふう、と朗読を始める前に一息つく。デザインをするときに何度も目を通しているから、内容はよく知っている。だからこそ途中で噛まないように、間違えてせっかく手紙にこめられた気持ちを壊さないよう、心がけて理文は口を開いた。
……愛情にあふれていた手紙だった。
今までのこと、これからのこと。
それはもしかしたら新婦の母親が抱く感情や懸念としてはありふれたものだったかもしれないが、本人の言葉で語られると心に響いた。
手紙を読み終えるころには、新婦はうつむいて目じりを拭いていて、会場もしんみりとしていた。盛大な、というより感極まった拍手が起こる。
少し間をおいてから朗読し始めた新郎の兄からの手紙は、とても中野の兄らしいものだった。
「──あれほど俺は海賊王になると言っていた弟が、グランドラインを制覇する前に家庭を治めることになった。二人だけのワンピースを見つけてください」
ちなみにこれは新郎友人たちを中心にウケた。
そうしてきちんと感動させつつ、盛り上がるように手紙を読んでから、その本を恭しく中野に贈呈して、理文は役目を終えた。司会席の影に回り、肩の荷を下ろせた安堵にほっとため息をつく。と思いきや、束の間、手にした本にざっと目を通して、中野が急に大きな声をあげた。
「あ、ねー、ノンちゃん、これなに」
二次会も後半にさしかかっているにしたって緊張感がないにもほどがある、いつも通りすぎる調子で中野は理文に声をかけてきた。本を開いて見せてきたのは最後に挿入された詩のページで、理文が「うっ」と言葉を詰まらせただけで、彼はすぐにそれが理文のアイディアだと気づいたようだった。
「ん? んん? あー、じゃあここはテッちゃん。テッちゃん、ちょっと来て!」
「ちょっ、中野、それはいいから!」
「えー、だってさ、説明が全然足りてないでしょ、ノンちゃん。あーあー、みなさん。ちなみに今日、ぐだぐだになりながら立派に司会をやってるふたりは僕の高校時代からの友人なんですけど、今手紙を読んだこっちが実はデザイナーをやってて、今回もこの本のデザインをやってくれたみたいで。これ、マジですごくかっこいいつくりになってるんだけど、すごくない?」
マイクを手に好き放題言っている間に、手招きで哲を呼び出して、本を間に挟んで何事かを囁いている。慌てて理文は二人の間に割って入ったが、もう遅かった。
「で、またこのノンちゃんが心憎いことをしてくれちゃったみたいなので、それをテッちゃんに、あ、本名あきらなんだけどテッちゃんに、読んでもらおうかと。──これ、詩だよね」
「っ、俺の詩じゃないぞ。普通に、よく結婚式で使われる詩だから、別に大したもんじゃ」
「ね、テッちゃん、読んでよ」
理文の言葉を遮って、中野がにっこりともう一人の友人に頼む。
哲が差し出された本を手にして、そのページに目を落とし、それからふと理文の方に顔を向けてきて、思わず理文は目を逸らしていた。
こんなふうに注目されるようなことではない。価値があると思われることじゃないのに。
やがてマイクを持った哲が、口を開いた。
「──二人が睦まじくいるためには」
そんな言葉で始まる詩は、結婚して二人で生きていくことの在り方を歌った詩で、素朴で、飾り気はなく、けれど驚くほど美しい詩で──。
中野に贈ろうと思った。
彼にはその詩のように幸せであってほしいと、祈りとも憧れともつかない気持ちを込めて。
静まり返った会場に、哲の低く落ち着いた声がゆっくりと沁み込んでいく。
「……黙っていてもふたりには、わかるのであってほしい」
一瞬、水面に波紋が広がるように読み終えた余韻が会場に響いた。それから、わっと拍手が起こる。それこそ盛大な拍手だった。
してやったり、といった感じで、中野は司会席の裏のほうで隠れるようにしている理文を見て満面の笑みを浮かべていた。その隣で哲が、なにを考えているのか分からない静かな眼差しをして、理文の方を見つめている。
うう、と居心地悪く理文は肩をすくめた。
「──僕らのために、こんな素晴らしい二次会を開催してくれて、さらに僕らに内緒で、っていうか裏でこっそり家族と通じて、こんな素晴らしいものを用意してくれた幹事の四人に、ぜひ盛大な拍手をお願いします」
マイクを通して中島が会場に向けてそう言った。
もう一度拍手が起こった。
そんな賛辞が自分にふさわしいとは思えず、理文は会場の片隅で途方に暮れた。
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