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始まり
人には人生を変える出会いがある。
俺は小学校の入学式だった。
親父は中小企業の社長で、とても優しい人だった。
みんなに慕われ、下請け会社の社長が苦しんでいたら、走り回って金銭を工面してあげるような人だった。
俺にとって親父は尊敬する人物で、親父の会社を継ぐのは自分だと信じて疑わなかった。
そんな俺の運命を変えたのは、小学校の入学式の帰り道だった。
母親に手を引かれ、親父の車へと歩いていると
「おや?柘植さん?」
と、声を掛けられた。
車のキーをポケットから取り出していた親父は、声を掛けられた人物の顔を見ると、慌てて俺を親父の後ろに隠した。
「これは赤司様、こんにちは」
明らかに作り笑顔で、俺の腕を掴む手に力がこもる。
「今日はご子息の入学式ですか?」
穏やかそうな声で会話するその人を、親父の背後から覗き見た。
赤司様と呼ばれた男は、ガマガエルみたいに太った容姿が酷く醜い男だった。
男は俺の視線に気付くと、にたりと笑顔を浮かべて舐めわすように俺を見つめた。
俺は思わず、その視線に鳥肌が立った。
慌てて親父の背中に隠れると
「後ろにいらっしゃるのが、噂のご子息ですか?入学式でも拝見していましたが、噂以上に美しい少年ですね。ご挨拶させてはもらえませんか?」
と声を掛けられ、親父は硬い表情のまま
「すみません、人見知りなもので……」
そう言いながら、後ろ手でドアを開けると母親に目で合図をして車の中へと俺を押し込んだ。
母親は俺を抱き締めて、車に乗り込み小さく震えていた。
この時の俺には、何がなんだか分からなかった。ただ分かったのは、ガマガエルのような顔の「赤司様」と呼ばれた男が、俺にずっと粘着質な視線を送り続けていた事だけ。
親父は二言三言会話を交わすと、車に乗り込むなり
「母さん、家に帰ったら塩を撒いてくれ!」
そう叫んだ。
後から分かったのだが、親父はこの時、下請け会社の不渡りにより多額の借金を抱えてしまったらしい。
世の中というのは非情なもので、あんなに親父を慕っていた奴等は蜘蛛の子を散らすようにいなくなり、散々、融資を頼んでいた銀行さえも背を向けたらしい。
この時、家には3歳の妹がいた。
人の良い優しい親父と、世間知らずなおっとりとした母親。可愛い妹の桜子。
何とかして守りたかった。
入学式から数日が経過した日、学校から帰ると家の前に高級車が止まっていた。
なんだろう?と思いながら玄関に行くと、玄関前に長髪の薄幸そうな綺麗な男の人が、玄関にもたれて立っていた。
子供ながらに、あまりの綺麗さに声を失った。その人は俺に気付くと、頭の先からつま先まで品定めするように見てツカツカと近付き、口に指を突っ込んで来た。
驚いて
「止めろ!」
と叫んだ顎を捕まれ、口の中を見ると
「見事だな。……可哀想に」
憐れむように見つめられ、ぽつりと言われた。
「何の話だ?」
その男を睨んで言うと
「まだ聞いてないんだ……。まぁ、そうだよね。借金を肩代わりする代わりに息子を寄越せと言われて、『はい、そうですか』って引き渡す親なんて早々居ないか……」
と呟いた。
俺はその言葉に耳を疑った。
「借金?」
「そう。きみのお父上、下請け会社の借金の保証人になってたらしくてね。10億借金だって」
そう答えた。
子供ながらに、10億という金額は簡単に返せる額では無いと分かった。
背中に冷たい汗が流れる。
「この豪邸を売っぱらっても、返せないよね」
肩を窄めて言われ、俺は両手を握り締める。
「俺が……俺が行けば……、借金は無くなるのか?」
そいつに呟くと
「それどころか、一生安泰?あの人、見た目はあぁだけど顔が広いからね。」
と小さく笑って答えた。
「ただ、きみは一生、あの男に飼い殺しにされる。意味、分かる?あの男に好きなようにされるんだ」
肩に手を置かれ、囁くように耳元で言われた。
その時、その男の着ていたシャツのボタンが第二ボタンまで外れていたので、身体に着けられた跡が目に入った。
小学生の俺は、頭をハンマーで殴られたようなショックを受けた。
男が男をそういう対象として見るなんて、当時の俺には理解出来なかった。
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