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インターネットで数日かけて探したイタリアンレストランは、窓からイルミネーションの街並みを臨めて雰囲気もよかった。仕事帰りの未央は、黒のハイネックセーターにグレンチェックのタイトスカートというきりっとした格好だった。
「今日は仕事忙しかったんだ」
「わかります?」
未央はいつもなら下ろしている髪を編み込んで纏めていた。耳朶には大ぶりのパールのピアスが光っている。
「今日は月締め処理でバタバタしてて」
「ごめん、そういう時期だったね」
「いいんです。芳賀さんに会えると思ったら、上司に無理を言われても頑張れましたから」
そんな可愛らしいことを言ってくれるのに、未央は敬語が抜けない。年上だからと芳賀は砕けた喋り方をするように努力していたが、たまにうっかり丁寧な物言いになってしまう。
どのタイミングで話を切り出すか。迷いあぐねているうちにメインの肉料理が来てしまった。こんなものを口にしながらする話題ではない。やっぱり店を出てからがいいのか。考えていると料理の味がしなくなり、機械的に咀嚼するだけになってしまう。
「芳賀さん、どうしたんですか?」
未央の声で芳賀は我に返った。顔じゅうに汗をびっしょりかいてしまっている。仕事ならばトラブルが起きても冷静でいられるのに、年甲斐もなく緊張してしまっている。
「ああ……ちょっと緊張してしまって」
知らないうちに皿は空になっていて、店員が片づけてしまった。デザートを食べる気にはなれず、未央がピスタチオのジェラートを食べ終わるまで待っていた。
「このあと、ちょっと話があるから……まだ時間あるかな」
まるで部下に仕事を頼むような口調になってしまい、芳賀は我ながら呆れてしまった。これでは未央に笑われてしまう。いや、その方がむしろ安堵するだろう。すくなくとも、肯定的な意思表示なのだから。
ところが、未央は顔色を変え、表情はみるみる硬くなっていった。ガラスの小皿には一口だけ残っていたジェラートが溶けかかっている。
まだタイミングが早かったのか。それとも未央には、はじめからそんな気はなかったのか。数秒のうちに様々な思考が脳内を駆けめぐり、芳賀は逃げ出したいような気分になった。
「あのう……」
しばしの沈黙ののち、未央が口を開いた。
「それなんですけど……芳賀さんがよければわたしの部屋に来てくれませんか?」
「え」
男を家に上げるというのは──こんな状況であれば体を許したも同然で、未央だけでなく芳賀の方もそれなりの覚悟が必要になろう。自分が予想していた以上に進展してしまうのか。
ロッカー室を出るときに、日比野がスーツの内ポケットに手を突っ込んでなにかを入れた。後でトイレで確認したところ、未開封のコンドームだった。嫌な気分になりそのまま処分しようとしたが、トイレのゴミ箱に捨てるのはなんとなくはばかられ、結局ポケットに入れたままになっていた。
──あいつ、手際良すぎだろ。
芳賀と未央は強張った表情で店を後にした。
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