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「未央と会ううちに、俺は親父と同じ轍を踏むまいと思った。未央のようなこどもは絶対に産ませたくない。それから、未央はこれ以上不幸にはさせない……」
芳賀は思わず首を振った。
「それで、未央さんを俺とくっつけようとするのがわからないよ」
飲み干した缶を潰して日比野は答える。
「俺はさ、結局はこの会社の経営陣のひとりなんだ。課長になって、結婚して、こどもが生まれて……多分来年には部長に昇進する。世間体を気にしていた両親を憎んでいたのに、いつの間にか社会の歯車に取り込まれて、そこから外れるのが怖くなっている。未央のことは可愛いけれど、隠し子だと知れ渡ったら親父には大変なダメージで、ひいては俺の将来にもかかわる。それだけじゃない、香江子の実家の初見金属との関係にも影響するかもしれない」
「全然意味がわからねえぞ」
鈍いなあと日比野は肩をすくめた。
「部下で友人の芳賀君の家なら、家を訪ねても不自然じゃないだろう?」
「ああ……」
友人とその妻として日比野を迎えればいいのか。
納得したような気がしたが、芳賀はなおも食いさがった。
「でも、こんなオッサンじゃ未央さんが可哀想だろ。もっと若くて釣り合いそうなのがいるんじゃないのか」
日比野の目が一瞬つめたい色を帯びる。
「未央は大切な妹だけど大きな爆弾でもある。その辺の奴と親父の恥を共有することはできない」
背中がぞくりと粟立った。
日比野は経営者として会社の存続を第一に考えている。自分だけではなく、従業員やその家族の生活を考えたら、妹への感情は当然犠牲にするものなのだろう。多分未央のほうもそれをわかっていて、何処まで気持ちが伴っているのからわからないけれど、兄に従っているのだ。
自分も日比野に加担すべきなのか。
もう、未央の出自を知ってしまった以上は逃げられないのか。
芳賀は緊張のあまり喉を鳴らした。それを見て日比野は相好を崩す。
「お前のことは信用しているよ。秘密をちゃんと守ってくれている。俺との関係を誰も疑ってないじゃないか」
「そりゃあそうだけど……でもそんなことで?」
それだけなら自分でなくても、日比野ならば彼に付き従う若い社員が何人も居るはずだ。
「言わせるなよ……そういうのはベッドの中だけにしろ」
日比野は爪先立って、芳賀の脣に口づけた。コーヒーの苦みが、舌の上に広がる。
「お前も離したくないんだ」
「……」
またしても日比野に絡め取られてしまいそうだ。
彼の言う社会の歯車に組み込まれたまま、たとえ未央と結婚しても日比野との関係は続くのか。芳賀と未央にこどもができようが日比野が社長になろうが、彼が飽きるまではずっと。しかし日比野はそう簡単に飽きてはくれないのだろう。
こんなことをしていたらきっと誰かが不幸になる、と芳賀は思った。それなら自分が不幸になるしかない。崇高な自己犠牲ではなくて、情慾の果てならば……まあ後悔はしないだろう。
「もう行くよ……人を待たせてる」
立ち去ろうとする日比野の体を抱き締め、芳賀はもう一度脣を重ねた。
背中に腕が回されるのを感じる。
遠くで車のクラクションが響いた。
─了─
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