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「乾杯!」
「お疲れさま!」
歓声を上げた係員たちは、ジョッキのビールを一気に飲んだ。
坂本が発注し損ねていた製品は、結局工場に37ケース在庫があり、神奈川支社、栃木営業所、長野営業所にあったものと合わせて50ケースを確保できた。工場は快く配送トラックを出してくれ(日比野の口添えがあったからだろう)、営業所の在庫は社員で手分けをして自動車で取りに行った。その甲斐あって、16時過ぎにはハル食品に納品を終えることができ、先方からは多少のお叱りはあったものの取引は継続してもらえることになり、「ひとりの社員のミスを皆が協力してフォローできるなんて素晴らしい会社ですね」と嬉しくなるような言葉も貰った。
溜まった書類はまったく片付いていないが、芳賀は終業時間になると部下たちに声をかけ、会社近くの居酒屋にの個室に席を取った。
「皆さんありがとうございます!俺、この会社に入って本当に良かったです」
「おっ、殊勝なこと言うじゃないの。朝は死にそうな顔してたのに」
坂本は早速いじられている。
「いやー、中央道で渋滞にひっかかったときはもう駄目かと思ったね」
「事故だったんですか」
「そうそう、30分くらいでどうにか抜けられたけど」
「それにしても係長、ハイエース運転できるなんて凄いっすね」
「別に大変じゃないよ。ミニバンとそう変わらないよ」
「そうなんですか?ワゴン車乗りこなす営業ってなんかカッコイイ」
坂本におだてられ、芳賀は照れ笑いを浮かべた。
「入社してしばらくは地方の営業所にいたんだ。毎日のように車で回ってたよ」
「へえ~、係長にそんな下積みの時代が……」
「まあ、自分から希望したんだけどね」
新人に若い頃の話をすると、そのつもりはなくても説教じみてしまいそうなので、普段は避けていたが今日くらいはいいだろう。
「係長~、せっかくなので、きいていいですか?」
まだ20代の高田と30歳なりたての久保の女子ふたりが傍に座る。
「日比野課長のことなんですけど」
「私たち、ファンなんです……あっ、係長もステキだと思いますよ!」
芳賀はビールをぐっと干し、胡瓜の漬物をつまんだ。
「俺に答えられることなら」
「やったあ!」
普段から騒がしいふたりだが、酒が入っているせいかさらにきゃぴきゃぴしている。
「えっと、まず……係長と日比野課長は幼なじみなんですか?」
「どこで聞いたのかなあ。大学の同級生だよ。総務部の平澤さんも同級生。企画の清水も後輩だし……」
「なんだあ。ちょっと噂になってるんですよ。日比野課長が昇進したときに、埼玉支社にいた芳賀係長を引っ張ってきたって……」
「それは偶然だろうね。あいつに人事権はないよ」
「でも、日比野社長の息子さんだから」
「それはわからないな」
女子ふたりは沈黙した。ちょっと口調がきつくなってしまったかなと芳賀は反省したが、彼女たちの好奇心はちょっとやそっとではおさまらないらしく、すぐに別の質問が飛んできた。
「日比野課長は結婚してるんですか?」
「指輪してるだろ」
「女避けのカモフラージュじゃなくて?」
「子供もふたりいるよ」
「ええ~!」
「ショック……」
ふたりは抱き合って悲鳴をあげた。
「やっぱりハイスペな人ほど若いうちに結婚しちゃうのねえ……」
「それって俺への皮肉?」
「ぎゃっ!係長は例外ですう」
芳賀はちょっと笑った。
「こんなこと言っちゃうとなんだけど、未来の社長なんだからさ、奥さんもそれなりなわけ」
「怖いけど、聞きたいです、それ……」
「初見金属のお嬢さん」
「ぎゃーっ!政略結婚!」
「ちょっと、久保ちゃん声デカい!」
「でも、仲良いみたいだよ。この前上の子の七五三の家族写真見せて貰ったし」
「やだ、政略結婚なのに愛されちゃってる系?」
「何から何まで羨ましすぎる……」
ほかの社員まで入ってきて、日比野課長の噂話に花が咲いた。父親である日比野社長が健康上の理由で退任するのではとの憶測が広がっていて、課長の異動を皆気にしているのだ。人気半分、社長の息子に対する好奇心半分といったところだろうか、と芳賀は思った。
胸ポケットの中のスマートフォンが震える。芳賀はロックを解除して届いたメッセージを確認すると、小さく舌打ちした。
「ごめん、急ぎの連絡入った。あとは皆で楽しんで」
菊池に1万円札を渡し、鞄を手に芳賀は立ち上がった。
「急ぎって彼女ですか?」
ほとんど挨拶のような質問だが、芳賀はあえて本当のことを言った。
「日比野課長だよ」
まともな感性なら、緊急事態発生と解釈するだろう。一同は黙り込んでしまった。
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