後編

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後編

ハッと目が覚めた時、天井が見えた。見覚えのある天井。さっきまで香っていた木屑の匂いはしない。そして自分の額に置かれている冷たいものが手拭いだと気づく。 「ここ……」 横を見ると、座ったまま寝ている三郎と蓮太郎。奥には佑がいた。その佑の姿を見て、さっきまでの情事を思い出して赤面した。だがどうも様子がおかしい。佑の家に居たはずなのに、辺りを見渡すと、ここはどうやら朔太郎の家だ。 「朔太郎?」 奥の佑が、目を覚まし目が合う。その顔は、いつもの佑だ。 「三朗、蓮太郎。起きて、朔太郎が」 二人が慌てて起きて、朔太郎を見る。そして三朗が朔太郎に抱きついてきた。 「朔太郎ー!」 「うわあ、なんだ! 離しやがれ!」 ふと、朔太郎はこのやり取りに覚えがあった。河豚を食べて酒を飲みすぎて倒れてしまった数日前。 (そうだ、それから佑の後ろにアレが見え出したんだ) 朔太郎は抱きついてきた三朗の肩越しに、佑を見る。その後ろには見えていたあの桃色の揺らめきはない。そして視線を感じたのか、佑が口を開く。 「あのね朔太郎。お前突然、倒れたんだよ。慌てて医者呼んだらさ、河豚の毒にやられたんじゃないかって。三日間、起きなかったんだよ」 「へ、三日間も寝こけてたって訳?」 「うん。河豚食べた日からずっと」 三朗がそう答える。なんにしても意識が戻ってよかった、と蓮太郎と佑はホッとした顔をする。納得がいってないのは朔太郎だ。三日間も寝たままなら、蓮太郎から貰ったあの薄く切ったべったら漬けも、お美津と話した噂の話も、佑との情事も…… (夢?) 恐る恐る、佑の顔を見る。今まで見てきた優しい顔。だがどうしてもあの時の、上目遣いに自分を見た佑の顔が思い浮かんでしまい、直視できない。朔太郎は思いっきり自分の顔を布団に潜りこませた。 「朔太郎、どした? まだ具合悪いのかい?」 「なんでもねえ、ちょっと一人にしてくんな」 顔が熱い。火が出るように熱い。明らかに、佑を意識してしまう。あんな夢を見たからなのか。もともと心の底で佑に好意があって、あんな夢を見たのか。とにかく朔太郎は今、布団から出るわけにはいかなかった。 三朗たちは、今日はゆっくりしとけよ、と布団越しに声をかけた。すまねえな、色々ありがとよ、と朔太郎。戸を開閉する音が聞こえ、人気がなくなったのを見計らって、朔太郎は布団から這い出た。 (河豚の毒ってのは、変な夢も見せちまうのかね…) ため息ひとつ、ついて水を飲む。大きくため息をついて天井を見上げた。外からチチチ、と鳥の囀る声が聞こえた。 (これからどうやって佑の顔、見たらいいんだ) そんなことを考えていると、戸がからりと開いた。誰が来たのだろうと、視線を向けて朔太郎は水を吹き出しそうになる。なぜなら戸の先にいたのは、佑だったからだ。 「ど、どうした? 忘れもんか?」 「うん、これ渡そうと思って」 佑は持っていた風呂敷を広げ、容器からそれを取り出した。中に入っていたのは、べったら漬け。しかも、薄く切ってある。 夢の中で食べた、薄いべったら漬けを思い出して、朔太郎は混乱し大きく目を見開いた。 (どういうことだ、偶然なのか? 夢じゃなかったのか?) べったら漬けから目を逸らし、佑の顔を見る。きょとん、としたその顔がみるみるうちに変わっていく。夢の中で見た、あの後頭部の髪を鷲掴みした時の顔に。朔太郎が動けずにいると、佑は近づいて耳元で囁いた。 「朔太郎が気持ちよくなってくれて、嬉しいよ。ねえその先、しない?」」 「……!」 口をパクパクさせながら言葉が出ない朔太郎に、佑が微笑んだ。 (ど、どういうことなんだ?) *** 時間は遡り、朔太郎が河豚を食べた後、倒れて二日目の晩。 場所は朔太郎の家。佑と蓮太郎が看病していた。まだ目を覚まさない朔太郎の顔を見ながら佑は呟いた。 「河豚はあんまり食べてないのにね」 「三朗がうまく捌けなかったからな。たまたま鯛も持ってきてたからごまかして」 「朔太郎だけだよね、全部が河豚だと思って食べてたの」 「まあ、少しは混ぜてたしな。医者もそれくらいなら大丈夫だろって笑ってたしな」 「それにしても目を覚まさないね。はあ、寝顔も可愛い……。朔太郎にしか目がいかない俺は、変なのかな、蓮太郎」 「変じゃねえと思うけどよ。男好きな奴は大勢知ってらあ」 「前はちゃんと、女が好きだったんだけどね」 「てか俺あ、なんで朔太郎がその対象になるのか分かんねえよ」 「猫みたいで可愛くない?」 「ねえよ!」 「朔太郎は笑ったら可愛いよ」 「いや俺は、そうは思わねえけどな」 「じゃ蓮太郎はどんな男が好きなんだい」 「俺はどうでもいいだろ。で、お前さんは朔太郎とどうなりたいんだい」 「夫婦に」 「……すげえな、お前さん」 「何で?好きなら一緒にいたいだろ」 「純粋すぎて色々めんどくせえな」 「どうやったら、分かってくれるかな、朔太郎は」 「とりあえずは、まずこいつが目を覚まさないと」 佑が朔太郎に恋愛感情を抱いていることに気づいたのは、数年前。一緒にいて楽しい。気兼ねしなくていい。それだけなら、蓮太郎や三朗も一緒だ。 それなのに、何故朔太郎にだけ違う感情を持ってしまったのか。きっかけはもう覚えていない。ただ、今の佑に言えることは…… 朔太郎をずっと見ていたい。そして触れたい。男女の営みのように、朔太郎と交わりたい。 気がつくと、勘の鋭い蓮太郎にこの気持ちを気づかれていた。蓮太郎は女も男も抱ける。偏見を持たない蓮太郎に何かと相談するが、いつも笑うばかりだ。 「ああ、そうだ。昨日相手にした女が、これくれたんだけど」 「べったら漬け? 何でこんなに薄く切ってあんの」 「江戸に来たばかりの女なんだ。俺も何で薄いんだって言っちまったら、ふてくされてよ」 「ははは、そりゃ喧嘩になるね。じゃあ、遠慮なくもらっとくよ」 蓮太郎はその後、佑に看病を任せて出て行った。寝たまま起きない朔太郎と佑の二人きり。可愛い朔太郎の寝顔をうっとり見ていたが、なかなか起きないので心配でたまらない。そっと朔太郎の頰に手を触れると、ピクッと朔太郎の顔が揺れた。 「……たすく」 小さな声でそう聞こえたのを、佑は聞き逃さなかった。 (俺を呼んだ?) 「朔太郎?」 耳元でそっと名前を呼んで見たが、反応はなかった。気のせいか、とため息をついた時。もう一度、朔太郎の口から自分の名を聞いた。 「佑」 なぜ自分を呼ぶのだろうか。佑は驚いて、朔太郎の顔を見た。さっきより顔が赤くなっている。熱が出たのだろうか。額に手をやると気持ちよさそうに顔を左右に振った。その顔に色気を感じて、佑は思わず口付ける。 (朔太郎?) 口付けた後も顔を赤らめたまま。息遣いが少し荒くなっていた。やっぱり苦しいのだろうか。布団が暑いのかもしれない、と布団をはぐってみる。そしてその先に視線を落とし、目を丸くした。 (……勃ってる) 見てはいけなかったかもしれない。どうしよう、と佑は思いながらも盛り上がってしまっている朔太郎の中心から、目が離せない。触ったら、目が覚めてしまうだろうか。佑は喉を鳴らす。そしてそっと、裾の中に手を入れた。 「ふ……ッ」 ソレに触れても朔太郎は起きなかった。それをいいことに佑の行動が大胆になっていく。手でこするだけではなく、口に含んで吸ったり、舐めたりを繰り返していった。 「や、ああっ」 寝ている割には、いい声出すねえと佑は思いながら、せっせと『ご奉仕』を続ける。こんな『ご褒美』があるなんて。どんどん大胆になっていく佑に、朔太郎は身体をくねらせる。佑も自分のそれを扱きながら、咥えていく。 (可愛い、朔太郎……、俺のモノになって) 「あッ、ああッ!」 ビクッと、朔太郎の体が跳ねて白濁したものを吐き出した。そして、佑もまた畳の上に自分の精を飛ばした。 ハアハア、と息を整えながら朔太郎を見る。それでも起きない朔太郎に佑は呆れるやら、笑えるやら。 朔太郎が起きた暁には、そっと教えてやろう、と佑は笑う。寝言で俺を呼んでいたことを。そして気持ち良がっていたことを。蓮太郎の置いていったべったら漬けを食べながら、教えてやろう。 ***   「続きって、どういう事だよ佑ッ」 朔太郎は佑から身体を逃すように後退りする。それを見ながら佑は余裕の表情だ。 「昨日、あんなに喜んだくせに」 「俺は寝てたはずだろ!それとも寝てる間に何かしやがったのかよ。だから、あんな夢……」 昨夜見た夢が朔太郎の頭にまだ残っている。イヤに現実味のある夢。 「どんな夢、見てたの。俺の名前、呼んでたよ」 「そ、それは……」 佑がじっと朔太郎を見つめる。気がつくとすぐ側まで近づいてきている。朔太郎の背中はもう壁で、これ以上逃げる事は出来ない。 戸の外から子供達の遊びに興じる声が響いている。いつもの日常が向こうにはあるのに、朔太郎はここだけがまるで異次元のように感じた。そしていつの間にか自分の顔が熱くなって、心臓の鼓動が早くなっていることに気づく。佑の射る様な視線がふと優しくなり、口元を緩めた。 「とりあえず、べったら漬けを食べて落ち着こうか」 その言葉に拍子抜けした朔太郎は、ほっとして立ち上がろうとしたが三日間寝通しだったため、一瞬目眩がした。 「危ない」 そのまま倒れそうになったが、佑がその身体をがっしりと支える。朔太郎は佑に抱きしめられる形となった。 「……悪い、助かった」 頭を掻きながらその腕から抜け出そうとした時、至近距離に佑の顔があったものだから朔太郎は思わず顔を赤らめる。その様子を見て佑がゆっくりと顔を近づけてきた。朔太郎は何故か顔を背ける事ができない。 そのまま、佑の唇が朔太郎の唇に重ねられた。触れるだけの、口づけ。そっと離れると、佑の指が朔太郎の唇をなぞる。 「逃げないの」 「分かんねえ。分かんねえけど、嫌じゃない」 朔太郎が小さな声でそう言うと、佑が朔太郎の顎に手をやりくいっと持ち上げて再度口付けた。今度は触れるだけではない。唇をずらしながら、舌を入れていく。朔太郎は驚いて目を見開くがそのまま離れない。 「ん、ふ……」 いつの間にか自分からも舌を絡ませていく。ちゅ、と音を立てながら。長い口づけはそのまま、息が続かなくなるんじゃないかと思うくらい、長く続いた。 佑がヤカンで湯を沸かしている間、朔太郎は布団を隅に片付ける。江戸人に不評な薄切りのべったら漬けをちゃぶ台の上に置き、箸を添えた。 急須に入れた湯が熱くて思わず、佑が耳たぶを指でつまんでいるのを見て朔太郎が苦笑いした。 「飲めねえほど熱くすんなよ」 二人はお茶を飲みながら、べったら漬けをポリポリと音を立てて食べていく。美味しいのだがやっぱり厚くないと物足りない。 「蓮太郎も置いてったってことは、自分は食べる気が無かったんだろうなあ」 朔太郎がそう言うと、佑が違いないね、と笑う。 「しっかし、あいつ、女にもらったってそんなにいつも取っ替え引っ替え…」 「ああ、でも最近は抱いてないらしいよ。相手にしたって言っても酌をお願いしてるだけさ」 佑のその言葉に、朔太郎が目を丸くする。江戸に帰ったら真っ先に吉原に行く蓮太郎が、女を抱いてないなんて事があるのだろうか。抱かない理由は何だろうか。朔太郎は気になって仕方ない。 「何でだろうなあ?性欲の塊のようなやつなのに」 「ひどい言われようだねえ。特別な誰かでもできたんじゃないのかなあ」 「ふうん」 今度、蓮太郎がきたらとっちめてやろう、と朔太郎は笑う。 べったら漬けを食べながら、朔太郎はポツリポツリと『夢』で見たことを佑に話す。流石に全部は覚えていないが、佑の体から見えたモノのこと、佑が口付けてきたこと、そして佑との情事。 「あ、僕は夢の中でそんなこと、してたの」 「夢だからな! あくまでも」 夢の内容を聞いて佑は笑う。まさか、あの時朔太郎が自分の名を呼んだ時そんな夢を見ていたなんて。もしかしたら、佑が悪戯してたから過激なものを見てしまったのかもしれない。 「でもさあ、この薄いべったら漬けも夢に出てきたし、俺あ何か気味が悪いぜ」 「確かに。でも僕は結果良かったどね。朔太郎が僕の気持ちに応えてくれて」 「うっ」 瞬間、朔太郎の顔が赤くなる。 佑は、朔太郎と深い口づけを交わした後に長年、想っていたことを告げた。それを聞いた朔太郎は夢の中で見た、ユラユラした不思議なモノを思い出したのだ。あの不思議な体験は、何だったのか。河豚の毒が当たって摩訶不思議な体験をしてしまったのだろうか。ただ一つ言えることは…… 「まあ僕にとっては願ったり叶ったりだけどね。べったら漬け、食べたら続き、しよ」 そう言うと朔太郎の頰に口付けた。真っ赤になった顔を見せて、朔太郎は大声を出す。 「こんの、すけべ野郎め!」 【了】
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