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プロローグ
「ねえ、音羽。わたしが人殺しだったらどうする?」
秋の夕暮れ。
真っ赤に染まった海を背中に、彼女は笑みを浮かべながらそう言った。
屈託のない笑顔。それは、崎山音羽の記憶にある彼女の笑顔と何も変わらない。
ずっと見たかった笑顔。
高校に入ってからずっと音羽に向けられてきた笑顔。
彼女が消えてしまうまで、ずっと。
一際大きな波が岸壁を打って砕ける音がした。
遠くで船の汽笛が短く響いている。
少しずつ沈んでいく夕日は、彼女の笑顔を血のように赤く染めていた。
「音羽、聞いてる?」
笑みを浮かべたまま、彼女は音羽に近づいた。そしてそっと音羽の頬に手をあてる。
少し冷たいけれど温かな手。
柔らかな手。
音羽は溢れ出る涙を堪えることができず、しゃくりあげながら泣いていた。
「音羽……」
彼女は少し困ったような顔をして首を傾げる。両手で、優しく音羽の顔を包み込むようにしながら。
少し低めで落ち着いた声が音羽の名を呼ぶ。
ずっとそうしてきたように。
当たり前のように。
彼女の声が、空っぽになっていた音羽の心を満たしていく。
ポッカリと空いていた穴を塞ぎ始めていく。
音羽は頬に柔らかな彼女の温もりを感じながら、あの日のことを思い出していた。
最後に触れた、彼女の手の冷たさを。
最後に見た、彼女の真っ白な顔を。
綺麗な桐の棺に無表情に横たわって永遠の眠りについた彼女の姿を。
あの日、最期の別れをしたはずの彼女のことを。
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