7.

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「わたしが花壇に行く時間って崎山さんとは少しズレてたし。崎山さん、わたしが行くとすぐに帰っちゃったし……。でも先生から聞いたんだ。崎山さんもしっかり世話をしてくれてるから助かるねって。それであなたのことが気になって。時々、教室でも話しかけたりしたんだけど、覚えてる?」  音羽は少し考えてから首を横に振った。 「そっか。まあ、そうだよね。個人的に話しかけたというよりは、友達と一緒の時に流れでちょっとだけだったから」 「なんだよ、それ。ちゃんとお礼言わなかったのか?」 「言いたかったんだけど、できなかったんだよね」 「なんで?」  瑠衣が怪訝そうに首を傾げる。涼は「だって」と薄く微笑みながら音羽を見た。 「お礼なんか言ったら、崎山さん引いちゃう気がしたから」  それは確かにそうかもしれない。しかし、と音羽は首を傾げた。 「それだけで、わたしが下村さんを助けたってことになるの? 別にたいしたことしてないと思うんだけど」  すると涼は微笑んだまま「ううん、それだけじゃない」と柔らかな口調で続けた。 「体育祭も文化祭も、学校行事があると必ず手伝ってくれてた」 「それはみんなで手伝ってたよね?」 「たしかにそうなんだけど、だけどみんな気が向いたときだけだったり、ほんの少しだけだったり……。でも、崎山さんだけはちゃんと最初から最後まで手伝ってくれてた」 「それ、ただの真面目じゃね?」  瑠衣の視線が音羽に向く。音羽は苦笑しながら「ヒマだったからね」と答えた。 「そうだとしても、わたしは嬉しかった。すごく」  音羽に向ける涼の表情は穏やかで柔らかい。普段見ることのない彼女の表情になんとなく恥ずかしくなって、音羽は彼女から視線を逸らした。そして両膝を抱え込む。  涼の優しい声は続ける。 「崎山さん、話しかけても会話は続かないし目も合わせてくれなかったから、もしかしたら人見知りなのかもって思って。それからはあまり話しかけないようにしてた。でも、会話がなくても二人で行事の準備してるときとか全然気まずい感じとかなくて。不思議なんだけど安心して一緒にいられた。穏やかな気持ちになれた。崎山さんのおかげで面倒だった委員の仕事も嫌な気持ちになることなくできたんだよ。全部、あなたのおかげ」  ちらりと視線を向けると、彼女はとても優しい笑みを音羽に向けていた。まっすぐな笑みを。  音羽は再び彼女から視線を逸らすと「わたしは、何もしてないよ」と呟く。 「崎山さんにとってはそうかもしれない。だけど、わたしにとっては違ったの。だからね、助けてあげたかった」  涼の声色が少し変わって、音羽は顔を上げる。彼女はクッションを抱きしめるようにしながら低く続ける。 「宮守さんがいなくなったとき、あなたのことをわたしが助けたかった」  そのとき、ふいに記憶に蘇ってきたのは心配そうな表情を浮かべた涼の姿だった。教室や寮で彼女は話しかけてくれていた。あれはクラス委員という役割があったから。そう思っていた。だけど、そうではなかった。 「――ごめん」  気づけば、謝罪の言葉を口にしていた。  彼女の気持ちに気づくことができなかった。あの頃は周りのことなんてどうでもよかった。理亜のいない世界には何もない。まるで自分だけ別の世界に閉じ込められているような、そんな気すらしていた。  その世界には自分以外には誰もいなかった。  だから気づかなかった。  涼が与えてくれていたはずの優しさに。 「ごめん……」  もう一度、同じ言葉を口にする。涼は悲しそうに笑って首を横に振った。 「あのときね、もっと崎山さんと色々お喋りしておけばよかった、仲良くなってればよかったって心から後悔してたの。そしたらあなたのことを助けることだってできたかもしれない。助けることはできなくても、ほんの少しの支えくらいにはなれたかもしれない。そう、思った……」  彼女は言って不安そうな視線を音羽に向ける。 「だからね、最近様子がおかしいあなたを見て今度こそって――」  涼は深くため息を吐いた。 「ごめん。こんなの、私もただの自分勝手な我が儘だ。ウザかったよね。きっと」  音羽は「そんなことないよ」と笑みを浮かべる。 「まあ、ちょっと不思議に思ったりはしてたんだけど、今の話を聞いてわかった。それに色々と心配してくれてるのはわかってたから、だから、ありがとう。下村さん」  素直な気持ちを口にした音羽に涼は一瞬驚いたような顔を浮かべたが、すぐに笑みを浮かべた。クッションを抱きしめながら心から嬉しそうに。  そんな涼を呆れたように見ながら瑠衣は深くため息を吐く。 「瑠衣ちゃん?」  不思議に思って声をかけると、彼女は「なんかさぁ」とゴロンと転がって仰向けになる。 「結局、一緒なんだよな」 「一緒?」 「そ。なんか俺たちみんなさ、助けたい助けたいってそればっか。バカみたい」  ため息混じりに彼女は言う。音羽と涼は顔を見合わせ、そして力なく微笑む。 「そうだね」  音羽は答えるとベッドに寄りかかりながら小さく息を吐いた。  瑠衣の言う通り、助けたいだけなのだ。みんな、ただその人のことを想っているだけ。 「――この気持ちは、何なんだろうね」  呟いた音羽の言葉に瑠衣と涼が一瞬だけ音羽に視線を向ける。 「わからないよ」  答えたのは涼だった。瑠衣は何も言わない。きっと彼女も同じ。わからないのだろう。  どうしてこんなにも助けたいと思うのか。  そのとき、沈黙が広がっていた部屋に涼のスマホの着信音が鳴り響いた。彼女は慌てて画面を確認すると「あ、もうこんな時間になってたんだ」と立ち上がる。 「なに、門限?」 「門限はとっくに過ぎてるでしょ。じゃなくて、ルームメイトが心配してるから今日はもう戻るね」  涼は音羽を見ながら言った。音羽は彼女を見上げながら「うん、おやすみ」と頷く。そのとき、彼女の右手が音羽の方に伸ばされた。そう見えた。しかし、その手はすぐに下げられ、彼女は「また明日ね」と微笑んで出て行った。再び部屋には静けさが戻ってくる。  音羽はぼんやりと机の方へを視線を向けた。そこにはまだ箱から出してもいないペンダントがある。  理亜と色違いの、お揃いのペンダント。  彼女はあれをどうしただろうか。捨ててしまっただろうか。それともつけてくれているのか。今日はパーカーを着ていたから確認することはできなかったけれど。  そんなことを考えているとふいに視線を感じた。振り返った先では、身体を横に向けた瑠衣が音羽を見つめていた。 「なに?」  音羽が首を傾げると彼女は「別に」と答えてゴロンと音羽に背中を向ける。音羽は立ち上がって机の前に移動すると、箱からペンダントを取り出した。  ――やっぱり、綺麗。  思いながら音羽はそれをギュッと握りしめる。 「助けようね、絶対」  ペンダントを握りしめながら呟いた音羽の声に「うん」とベッドから小さな声が答えた。
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