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第二話 見知らぬ天上
仄暗い 森の中
ぽつりと佇む
小さな小さな 水の家
暖かい水の 優しい音色
耳に届いた 柔らかな音
ああ 歓びを唄っているかのようだ
ああ 哀しみを唱っているかのようだ
どうかそんなに泣かないで欲しい
どうかそんなに悲しまないで欲しい
キミたちのユカラハゥは必ず届く
どうか信じて 笑ってほしい。
ワタシはその為に 此処に来たのだから
アナタを信じて 此処に来たのだから
どうかアナタに 信じてほしい
【始まりの小屋】(森の奥の小さな家)
ぴちゃ、ちゃぷ……
それは揺蕩う己の意識の音なのか、それとも別の何かなのか?
自分はそれさえもわからないまま、ただぼんやりとした意識を徐々に徐々に取り戻してゆく。
体中が痛い。
まるでどこかに打ち付けたかのようにもれなく全身が動かない。
意識がハッキリしてゆくにつれどんどんどんどん痛みは増していき、鎮めるべく深呼吸をしようとしたその時、体中に激痛が走る。
「っげほ!! げほ、ゲホッ、っは、グっ、ぐ…ぁ…!」
致死量の電撃を受けたかのようだ、あまりの痛みに耐えかねて呻き声が上がる。
ああ、これが自分の声なのだと認識するのにそう時間はかからなかった。
ここで目覚めてもあの世界とは違い決して誰も存在しない、にも関わらずこの世界で動かす自分の肉体は、何らかの激痛に耐えられるほど強くできてはいないように感じた。
痛覚に涙を浮かべぜぃぜぃと呼吸をしながら見開いた眼には、未だかつて見たことのない不思議な、見知らぬ天上が存在した。
青い青いその天上はどうやら薄く張られた水の膜が全体を燈しているだけであり、木材でできたただの天井であり、ここは簡素な小屋らしい。
未だビリビリと痺れ痛む自分の肉体。
それでも先程よりは幾分かマシになり痛覚は麻痺してきているようで、なるほど肉体というものは一定の痛みを覚えても徐々に慣れていくのだと思い知る。
……ぱしゃ、ぱちん!
体を起こそうとした瞬間、どこかで水の膜が破られた音がしたので、自分はそちらへ視線のみを向ける。
そうして視界に映ったのは自分と同じほどの背丈の少年、小さな籠を片手に目をいっぱいに丸めて此方を見つめ立ち尽くしている。
濃い栗色の髪の両側に鮮やかな青色と水色の毛束を揺らし、青い片目を持つ少年は大きな目を見開いたまましばし動かずにいた。
「あ、気が付きましたか!?」
はっと意識を取り戻した様子の少年、持っていた籠を投げ出して自分の側に駆け寄ってくる。
自分は見知らぬ少年の行動に驚き体をぎくりと強張らせるが、力を入れたことによって反動のように訪れる痛みに悶え震え、今度は声すら出せはしない。
「あ、あ! まだそんなに動いたらダメですよ! 安静にしててください!」
自分が驚いてしまったことに驚いたのか焦ったのか、少年は戸惑いながらも柔らかな声色で周囲を覆う燈水を操る。
自分の身体に垂れ落ちてくる水滴の一つ一つが肉体に浸透してゆき、血脈に溶けて体内で暴れる血液を沈めていく。
するとどうだろう、先程まで悲鳴を上げていた自分の体は驚くほどに回復してゆくではないか。
ほぅ……、と一つ安堵の息を零す。
それまでは動く度に喋る度に杭で撃ちつけられたかのような激痛が走っていたが、それが突然大きく緩和されれば油断してしまっても無理はないだろう。
漸く訪れた安堵感に深く目を閉じてから再び瞼を開くと、水を操っていた少年は自ら放り捨てた籠と草花を水を使って器用にかき集め、全てを籠に戻して小屋の隅に置き自分に近づいてくる。
「あ、あの! 大丈夫ですか?」
問いかけの意味がわからない。
そもそも何故自分はあれ程までの激痛に苛まれ、そして木と水でできた天井を仰いでいるのか?
それがわからないというよりはそもそもどこをどう尋ねれば良いのかがわからない、根本的に何をどう話せばいいのかがわからない。
自分は口を薄く開きせめて何か喋ろうとする。
しかし二の句どころか最初の一句さえ浮かんでこない。
返答を待つ少年は終始笑顔だが内心はとても困惑しているようだ、言葉が見当たらない自分はとりあえず小屋の中に目を向けてみる。
「あ、ここはボクらのチセ……っと、隠れ家みたいなもんです」
チセ……隠れ家……ああ、彼の容姿を見て何故自分はすぐに気付かなかったのだろう?
きっと二度目に体感した痛みというもので頭がいっぱいだったからに違いない。
「キミ、は……守護者、……だ、ね?」
「……!」
少年へ視線を戻し、確信と納得の末漸く口から零れ出たのは掠れた声と言葉。
小さな囁きにも似た自分の言葉は【青の守護者】をひどく驚かせてしまったようだった。
小屋を覆っていた燈水が徐々に少年の頭上に集いはじめ、大きく膨れ上がり輝きを増す。
それを見て自分の心臓はドキ、と大きく鳴る。
――……沈黙する青の守護者から殺意を感じたからだ。
そこで自分が迂闊な発言をしてしまったことに気付き、焦りつつだが上体を起こそうと動く。
更にそこで漸く自分は地面に臥していたいたのだと気づく。
藁の上に布を敷いた簡易的な寝具だがそんなことはどうでもいい。
それよりも目の前で警戒心を強めている少年へと視線を向け、言葉をかける。
「お、落ち着いて……オレは……キミたちを狙う絶望人じゃな……ぁぐ、ぁあ…!!」
小屋を包んでいた全ての水という水が青の守護者を中心に集う。
そのことで体を癒していた力も完全に失われ、慣れたものだと思い込んでいた激痛が再び体中を襲い始める。
肉体は激痛にも慣れるのだ、などと勘違いも甚だしい。
青の守護者が操る水の癒しに頼りきりで起き上がっていたのだと知る。
この判断力の低下はいかがなものか、青の守護者はいまだに自分を警戒しており、幾つもの水が弓矢を模りそれらは何時でも射撃可能な状態で自分に矢先を向けている。
今の少年は話を聴く状態にはない。
ならば自分もそれに対応するためには痛みを遮断してでも動かなければ…!
自分は上半身を起こし片手を床に付いた状態で身構えた。
その時。
ぱかんっ……と、なんとも小気味良い音が短く響く。
「あぃたっ……」
少年の頭を小突く愉快な音。
青の守護者が頭上に湛えていた水、弓矢を模していた水も全て目に追えぬ速さで小屋の周囲を取り巻き、再び明るく室内を照らす。
唖然としている自分を無視して青の守護者は背後から現れた少年…青年?いや少年か?とにかくその存在に幾度も頭を小突かれている。
「バカヤロウ、何勝手に突っ走ってんだオメーはよ」
「ご、ごめんなさい! でも、でもっ……」
先程の狩人のような眼光は何処へやら、青の守護者はその存在に何度も頭を下げ続けている。
しばらく様子を見る。
一段落したのか、青年のような少年がこちらに近付いてくる。
自分もまた、突如現れて危機を救ってくれた男に眼を向ける。
……目を向け、意識を向けるまで気づかないこともどうかしていた。
そもそも守護者がここまで付き従う存在など初めから一人しかいないのだ。
「……キミが青の神子……?」
「おうそうだ。でもアンタ、なんでそれがわかる? アンタもあの仮説とやらを信じてオレらを探してたのか?」
仮説? なんのことだかは理解できず、眉を寄せてじっと青の神子と見つめ合う。
暫く睨めっこ状態で沈黙したままだった。
一度目を伏せ逸らした青の神子は下を向き、突如ブハッと盛大に息を吐いてから大きな声で笑い出す。
「あははははっ! ありえねぇ! ありえねーよそれはっ! コイツとおんなじぐらいヒョロっこくて軽くて弱ぇ奴が神サマの術やら技やらを酷使できる神子を殺すだぁ? 無理に決まってんだろ、なぁペト?」
にやにやと笑いからかうように青の守護者……ペトと呼ばれる存在へ視線を向ける青の神子。
何やら恥ずかし気に眉をハの字に曲げて今にも泣きそうな顔をしている少年。
彼の先程の勇ましさはどこへやら……しかし無理もない、守護者は神子に絶対服従、文字通り命懸けで神子を守り、次の神子をこの世界に残す為の番となる存在なのだから。
二人の関係性に自分が納得する。
すると、突如自分の肉体に新たな激痛が走る。
燃え滾るように、煮えたぎるように血肉が痛い。
「っっ~~あぁあぁぁっ! っぐ…ぅあ…!」
まるで体が痛みを忘れていたかのように、そして思い出したかのように全身を繋ぐ血液を沸騰させる。
少年の殺意と対峙した際、緊張の中で無意識に痛覚を封じていたのだろう。
封じていた器官が多いほど解放した瞬間の痛みは想像を絶する、最早呼吸もままならない。
自分は身悶え体を丸めて布の上を転げ回り、無意識に心を内蔵された胸部をぎゅっと握りしめ自らの肉体を抱き締めていた。
「やべっ……おいペト!」
「は、はい!」
青の神子が青の守護者を呼ぶと、部屋を取り巻いている水の一部が輝きながら自分の体中に滴り落ち、肌に染み入り体内に取り込まれ再び痛みを緩和してくれる。
死んだ方がマシなのではないかと思うほどの痛みだった。
しかしそれほどの痛みの後だからこそ、治癒の水が冷たく優しく沁み渡るのを感じ、暖かく肉体に溶けてゆくのを感じ、自分を取り戻してゆく感覚を知る。
……正気を取り戻してようやく気付く、涙を零して壁に縋りついている情けない姿に気付く、気づくと途端に妙な居たたまれなさを覚える。
今すぐ逃げ出したい、そう思った。
「おいおい、大丈夫かよマジで……」
心配そうに見つめる青髪の神子。
「ごめんなさいごめんなさいっ! あのままボクが治療を続けていれば……! で、でも……」
青の守護者は謝罪を繰り返しながらも困惑した様子でこちらを見ている。
青の神子はあやすように青の守護者の髪をくしゃくしゃと撫で、蹲ったままのこちらに近づいて来て手を差し伸べてくる。
その手を拒む理由などはない、しかし先程まで激痛に強張っていたこの腕は動くのか、果たして意のままに上がるのか……?
しかし疑問よりも体が動くことを拒む。
再び襲うかもしれないあの激痛を恐れているのか、体は強張り震えて動けない。
「大丈夫だって、神子の力だからな。オレの水は守護者を経由して体の隅々まで循環して怪我の大元を治療する。もう立ち上がれもするだろう。力を抜いてみろ、痛みもそれほどないだろ?」
……、……そう言われてみると…。
青の神子が言うように硬く縮こまった体から徐々に力を抜いてゆくと、先ほどまでが嘘のように痛みを感じず楽に腕が動き、彼の手を掴むことに成功するだけではなく、ぐぃといささか乱暴に引っ張られて立ち上がることも可能とした。
立ち上がって手で確かめて、目で見てようやく確認できた。
衣服が元から着用していたもののままであることにも酷く安心する。
側にあった見覚えのある緑色の布を掴み、無意識に自分を包む。
二人を見て迷いながら口を開き、ある程度を予測しながら言葉を紡ぐ。
「あ、えと……助けてくれてありがとう」
先ずは礼を述べねばと、二人に対して頭を下げる。
二人は安心した様子で返事をくれるので、こちらも少しずつ落ち着いてくる。
「あの、それで……オレはどうしてここに? どうしてあんなに身体中が痛かったんでしょうか……死ぬかと思った」
安堵感からなのか、彼らが特別な存在だったからなのか、最初は一言も話せなかったのにスラスラと言葉が出てくる。
体中が軽くなり自由を得たかのようだ。
二人に対する警戒心も最初ほどはなく、今は最初から疑問に思っていたことを聞ける。
一番に知りたいことを訊ねたつもりだったが、二人は口をぽかんと開けたまま無言で見つめてくるのみ。
一度互いに顔を見合わせて、数秒後にまたこちらを見る。
「え、と……覚えていらっしゃらない……ですか?」
青の守護者に問いかけられる。
青い三白眼と薄い唇を開いて呆然としている青の神子。
信じられないという目で見つめてくる青の守護者。
覚えているならばそもそもこんな質問はしない。
こちらも青の守護者を見つめて当たり前だが深く頷く。
そうすると二人は再び互いを見て、こちらに聞こえぬ声量で何事かを話し始める。
……見ていてあまり気分のよいものではないが、今はそんなことを思っている場合でもない、しばらく無言で二人を見守る。
互いの意見を酌み交わすことで結論が出たらしく、青の神子がこちらを見る。
「アンタ崖下で倒れてたんだ、多分この森の……どことは言わねぇが崖から落ちたんだと思うぜ」
「崖から?」
「おう、チョー高ぇとこからズドーン! ってな。傷の具合から分かっただけで落ちるとこは見ちゃいねぇぜ? でもオレたちが気付くまでずっとそこで倒れ込んでたみてぇだな」
チョー高ぇとこからズドーン。
よくわからないが兎に角とんでもない高所から彼らの言う崖下へ落下したのだろう……が、やはりよくわからない。
何故なら落ちる直前の記憶がない、そんなところから落ちてしまった理由もわからないのだからどうしようもない。
一体なぜに崖から落ちたのだろう……?
不思議に思いなんとか一つでも思い当たる記憶を探るも、頭の中にはやはりその情報は抜け落ちていて、問い掛ける彼らに満足な答えも出せないと申し訳なさに肩を落とす。
「ごめんなさい、やっぱり思い出せない……」
自然と眉間に皴が寄り、彼らに頭を下げ深く俯いてしまう。
あまりの不甲斐なさにふつふつと罪悪感がこみ上げてくる。
二人に問いかけておきながら自分自身は何も説明できないなんて笑えもしない。
……そんな苦さを取り払うかのようにこちらの手をぽんと叩かれ、自然と顔が上がる。
見上げた先には青の神子がいて、目が合うと優しく笑ってくれた。
「落ちたショックで記憶喪失、とかじゃねぇ?」
青の守護者も合点がいったと言わんばかりに大きく頷き、改めてこちらを見てくるので見つめ返す。
「心因性ショックか、一時的なものならボクらでは治せませんし、ありえないことではないです」
青の神子が手の甲を叩いて離し、青の守護者に同意するよう何度も頷く。
「ボクらを狙っていないとすればあなたは希望側の人間。だとすればあなたは絶望側の人間に忌み嫌われています。だから、その…、もしかしたら彼らに突き落とされた……という可能性はあります」
希望側の人間。
絶望側の人間。
ああそうか、そうだった。
彼ら人間達は一つしかない世界を二つに割り、今まさに様々な形で戦っているのだ。
絶望の人間達は七人の神子を太陽神へ返上し、七人の守護者を生贄として聖なる炎で、聖なる雷で焼き尽くさなければ太陽は蘇らないと信じている。
希望の人間達は七人の神子を大陸に集わせ、七人の守護者に供物と絶え間なき祈りを捧げることで太陽は新世界に生まれ変わると信じている。
だがそれはともに間違いであり、そして正しくもあった。
黙り込んで考え事をしていると、鼻孔を擽るよい香りが腹を刺激する。
その匂いにつられて意識を取り戻し、周囲を見回す。
いつの間にか姿を消していた青の神子。
彼は木彫りの茶碗と湯気立つ鍋を運んで戻ってきた。
小屋の真ん中に敷物を置き、その上に鍋を置いたことで中で揺らめく彩り豊かな食材が見える。
肉と野菜と香草のスープだ、塩の匂いは干し肉のものだろうか、肉ではなく魚のものだろうか、わからないがとても芳しい。
どうやら青の神子は最初から小屋にいて台所でこれを作っていたらしい。
水を利用されたことで異変に気付いたのか…それにしても腹が減る、意識が散る、考えるべきことが沢山あるはずなのに腹が減る。
きゅうううぅ…と、とうとう胃袋が鳴き声を上げた。
空腹を訴える素直な器官だ、どこからか戻ってきた青の守護者も聞いていたらしい、最初に見せてくれた柔らかな笑顔をくれる。
彼は具をいっぱいに注いだスープ揺蕩う木の器を青の神子から受け取り、こちらに近付いて木の匙を添えて差し出してくる。
「まぁなんにせよ、腹ごしらえが大事ってのは一致してるみたいで何よりだ」
「ふふ……そうですねっ」
二人が笑いながら言い、差し出された器をいつのまにか受け取っている自分に気づく…しかし羞恥心よりも空腹感が勝ち、本能で受け取った暖かなスープを食すべく静かにその場に座り込む。
促されるまま欲のままに一口、また一口とスープを口に運ぶ。
……口の中いっぱいに広がる香草の香りと生臭さが目立たずツルリとした食感の肉、噛みごたえのある野菜も美味だ。
一口食べると止められず、咀嚼して飲み込むとすぐに次を掻き込んでいく、そんな姿を見て二人も食事を始める。
偶然とはいえここで神に選ばれた存在に出会えたのは、きっとみんなの導きだと信じ、生きる糧に感謝しながらそれらを余すことなく食す。
穀物の団子まで出されてしまえばもう食事の手は止まらない。
優しい塩味のスープと団子を堪能してから…それから今後のことを考え、彼らにも話すとしよう。
……そう思いひたすらに空腹を満たした。
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