異邦人

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異邦人

「邪魔ですよね。コレ」  おそらく、彼は光成の意識が飛んだことに気づいていない。いや、飛ぼうか飛ばないか関係ない。汚物を見るように、倒れこんだ光成の身体を見下した。ただ、突然「邪魔なんですよ」と言いながら何度も蹴り始めた。何度も、何度も反応しない光成の身体を蹴る。蹴る度、光成の身体はズルッ ズルッと麺をすするような音を立て、赤い線を描く。まるで、顔料をたっぷり付着させたハケで描いたように。鈍い音は、光成からだけではなく、蹴った本人からも発せられている。彼の片足。脛から骨が見えている。彼が蹴れば蹴るほど、骨はその姿をあらわにし、最後に大きな声で「邪魔ぁ」と叫ぶと、メリッと音を立て骨は完全に露出していた。  外灯が一本だけ、チカチカと点灯した。外灯の下には、ひ弱な男の身体が横たわっていた。 「いやぁ。本当に邪魔でした」  中年男は、汗を拭い満足そうな表情を湛えている。骨がむき出しになっているせいで痛覚・感情のネジはどこかへ消えたのだろう。そんな男と対照的に、若者はアスファルトに唾を吐き捨てた。 「うるせーよ。それになぁ、てめぇは同じ事しか言えねーのかよ」 「良いじゃないですか。私と()()()の仲じゃないですか」  カグヤ。それが若者の名前だ。カグヤは頭をワシャワシャとかき乱すと、がなるように吐き捨てた。 「カグヤ様だろ。言葉には気をつけろ、このクソデコ野郎」  中年男はカグヤの蔑称を強調するよう、よく磨かれた不毛地帯をペチンと手で叩いた。 「それはそうと、先ほどは面白かったですよ。若い貴方がまさかあの手の疑似餌に引っかかるなんて。びっくりしましたか? 正義感っていう生き物に。仕方ないですよ。月ではあの手の疑似餌(人間)は絶滅していますしね。そもそも正義のノウタレなんぞ、下民のエサにもなりやしない。そんなモノを見てしまったんですから。動揺しても仕方ない。落ち込まないでくださいね。()()()()()()」  カグヤは強い不快感を示し、中年男に殴りかかった。その反応は想定無いだろう。いや、この行動は「そうあって欲しい」と願ったに違いない。カグヤとはそういう生き物。であると彼は知っている。けれども、本当にそういう風に行動するのかデータが欲しかった。だから、殴られ 蹴られ 攻撃のパターン パワーなどを可能な限り収集した。だが、それも十分。もう、カグヤからデータをする必要はない。  激昂し殴りかかる若者の拳。拳は、男の顎をまっすぐ狙っていた。  しかし、がらあきの腹部。彼は、冷静に、無防備な腹部に掌底を叩き込んだ。  カグヤの身体は「く」の字に曲がる。顔だけ中年男を見つめる。掌底のダメージが一テンポ遅れ、腹部から込み上げる。「出る」と予感すると、タタラを踏み、不快感を奥歯ですり潰す。 「吐けばラクになりますよ。カグヤ」 「誰が、んな事するか」  言葉を発するだけで、胃が痙攣する。ヨロヨロとよろめく足元。中年男は再びカグヤとの距離を詰める。 (くそったれ)  中年男の手がカグヤの身体に触れる距離。攻撃をしかけたのはカグヤだった。カグヤ身長さを利用し、中年男の頭頂部目掛け、自分の頭を叩きつけた。  この行動パターンは読めなかっただろう。カグヤに至っては本能に近い。  互いに激しい火花が眼前に飛び散る。  クラクラと眼球は見えない何かを追い、頭もフラフラと円を描く。  とはいえ、その時間は短時間。先にリカバリーしたのは、カグヤだった。  意識不明瞭な中年男の胸部に肘打ちを二発入れる。意識を取り戻す代償で、彼の口から息が逆流する音が聞こえた。ダメ押しでもう一発と殴りかかった時、中年男は、彼の肘を濡れた手で払い落とした。  ならばと、カグヤは手を変え品を変えするも、それらは全てことごとく払い落とされた。 (ちくしょう。しぶとい野郎め)  確かな手つきもそして足さばき。も重傷人には見えない。軽快だ。二歩 三歩と跳ねるようにして大きく後ずさった。カグヤの胸中を見透いたのだろうか。中年男は彼と対照的に笑っていた。 「ごらんなさい」  高らかな宣言。肘からぐっしょりと赤く濡れた腕を供物のように天に掲げる。テラテラと水気を帯びた珠が腕の線を伝い肘にたまっていく。それはやがて雫と姿を変える。熟しに熟した甘露。彼は、もう辛抱ならんと、舌を伸ばし、滴を掬い取った。 「うーん。若い」    と唇を嘗め回しながら感想を述べた。目を細め、今度は指についた血を一本一本 ジュポジュポと下品な音を立てしゃぶり上げていく。赤い指の色は抜けおち、黄色味の強い肌色が姿を見せた。 「若くて甘い。こんな血はなかなかお目にかかりません。だが残念。残り寿命六十年()()……か。短命地球人の宿命とはいえ、残り六十年ぽっちじゃ眼の傷ぐらいしか治せないですね。残念。本当に残念だ。」  彼が口元を拭うと、赤く染まる。一方、赤黒く晴れ上がっていた瞼は人間らしい色に戻っていく。  その様をカグヤは渋い表情を浮かべ見つめていた。忌々しく舌打ちをすると再びパーカーのポケットに手を入れる。 「貴方も舐めますか?」  中年男はそう言うと、カグヤに自分の腕を差し出す。その返事は否。鼻で一蹴するだけだ。 「誰がてめえの施しなんか受けるもんか」 「残念。たとえ残り六十年の血であっても、何かしらの役には立ちますよ」 「それはな、てめぇの場合は歳喰ってるから治りが早ぇんだよ。オレみたいな若者には六十年程度の血じゃ小便の素にもならねぇ」  声と同時に腰を落とす。 「あぁ。そうだ。治せるうちに治しとけ。治しておけば……。その分、てめぇをぶっ壊せるからなぁ!」 ポケットから片手を出し、指の腹でアスファルトを抉り取る。ガリガリガリとアスファルトを削る音は、猫の爪とぎの音に似ている。「野蛮な」中年男の顔は軽蔑に変化した。馬鹿力で抉り取られた4つの細長いコンクリート片。カグヤはコンクリート片を左手に持ち替え、サイドスロー気味に中年男へ放り投げつけた。  一投目は、かわされた。  二投目は大暴投。木の中に飛び込み、バリバリバリと枝が折れる音がした。  中年男の視線が音の方へ向くと、これ幸いと三投目 四投目が繰り出される。  彼が気づいた時は、アスファルト片はすぐ間近に迫っていた。身体を捻り  三投目は、かすり傷。  しかし、四投目は、骨折の代償か、ヨロヨロとバランスを崩し、彼の身体を穿った。出来上がった孔は、赤子の握り拳大の大きさ。目を凝らせば、壊れたブロック塀も見えるだろう。明らかな致命傷。だが、カグヤは忌々しく舌打ちをし、地団駄を踏んだ。 「集中力が足りないのですよ。今ので殺すなら、投擲物をもっと用意しておかないと」  中年男は孔の空いた腹部を押さえる。 「ただし、時間の余裕はありません」  中年男の視線も、カグヤの視線も腹部から血たまりを作る光成へ向けられた。 「トドメを刺しに来れば、彼は死んでしまいますね。地球人があんなに血を流せば無事なわけがない」 「んなもん」  カグヤの視線は中年男に向けられる。 「えぇ。私には関係ない。でも、カグヤ、()()には関係あるだろう。何しろここは惑わしの竹林。――だった場所。()()()()()()は月からこの場に降り立った。自分の身の保障を求め、地球と盟約を交わした。カグヤと地球の盟約。その盟約の一つが、地球人の不殺(殺すべからず)。でしょう? この盟約は、カグヤを縛るもので、当然、今のカグヤ。お前にも及んでいるはずでしょう? この場に降り立った時点で気づいているはずですよ」 「うっせぇな。他人の約束事なんざに口を挟むな。っつーか、テメェみてーなドサンピンが知って良い事じゃねぇぞ。このおしゃべりクソ野郎」 「知っているも何も。今、お前が殺そうとしている人物は、月の四賢人。キャンサーの名を頂く人物なんですよ。月の四賢人は、月の至宝(カグヤ)について()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()でしょう。だって――」  カグヤは抉られた地面に唾を吐き捨てた。 「人の事ガタガタぬかしやがって。なんだよ。キャンサー。新種の命乞いか?」  キャンサーはクスクスと笑い、口元を手で隠した。 「知ってますか? カグヤ。地球では、期待された行為をしていたら結果が回避された場合、その責任は、行為をしなかった人に及ぶそうですよ。」  キャンサーの言葉に、カグヤの視線は光成に移った。手を下したのは自分ではない。と言いたげであるが、キャンサーはダメ押しでカグヤに言葉を投げかけた。 「惑いの竹林。この場所に私やあの地球人を招きいれたのは貴方でしょう。無力な地球人をこの場から追い出す責任は貴方にあるし、私があの地球人を殺すことも十分に予見できたはずだ。この結果の責任は貴方にあります。因果は無いと言いたいところでしょうけれど、地球は因果を問わない。カグヤがいて。地球人がいた。でも地球人は死んだ。カグヤは地球人を救うことに関し、何もしなかった。だから全て因果。それだけで十分です。貴方を罰する理由には十分すぎる」  キャンサーは不敵な笑いを浮かべ、片足で形の残るブロック塀に飛び移る。 「そもそも、貴方が()()を渡せば――」 「黙れ。殺すぞ」  紛れもない怒気を含んだ一言。キャンサーは身を震わせ、もう一歩 カグヤから距離をとった。  月はカグヤの後ろ。キャンサーを照らすのは星の輝き。月は雲にかかり、瞬く星々は、血に濡れた腕をテラテラと輝かせる。 「カグヤ。私を見逃してくれませんか? 今の私では貴方に殺される。見逃してくれるのであれば、私はこの地球人に手を出さない。私が手を下せば、貴方に地球の罰が下ろされる。もしも、貴方の身に何かがあれば、あの方も、他の四賢人もただじゃおかないでしょう」  カグヤは暫く考えた。キャンサーを殺し、光成を助ける。出来ないわけではにが、成功率は乏しい。彼は、不承不承「異」を唱えなかった。キャンサーは彼の沈黙を「賛同」と捉えた。取引成立を知らせるよう、キャンサーは不愉快な笑い声をあげる。月が雲に隠れているうち、キャンサーの姿は消えていった。  その姿を彼は目で追い、口の中で「黙れ」と呟いた。  ようやく月は姿を現した。  惑わしの竹林と呼ばれる場所で。カグヤと光成以外。生き物の気配はなくなった。c42e2e6c-2fc6-4806-bd67-dfa7f4970fc7 イラスト:佳穂 一二三 様よりいただきました
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