序章 行方不明

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序章 行方不明

 八月のある夕刻、わたしは行方不明になった。病院に行くと言って家を出たまま消息を絶ってしまった。  あと十六日で三十三歳が終わろうとしていた夏生まれのわたしは、あと四ヶ月で五歳を迎える冬生まれの娘を残して、不安定な空気の中に姿を消してしまった。  消えた日の最後に会った医師によると、診察室にあらわれたわたしは頭頸部に腫瘍が発見されたことを告げられると、悲運に嘆くでもなく、困ったようなあるいは退屈そうな薄い微笑みを浮かべていたという。  夫は述懐したそうだ。その日は、濃密な霧が町全体を覆っていて、沈んだ太陽がもう二度と昇ってこないのではないかと思わせるような、どこか心を不安定にさせる空気が漂う夕方であったと。  このようなことをわたしは後になって知った。  なぜかというと、行方不明になってそのまま長い不在期間を経た三十三年後、八月の同じ日、同じ夕刻に、ふいとわたしは戻ったのだ。  夫によると、いなくなったあの日と同じ水気を多く含んだ空気がたち込める夕方、ドアを開けてわたしが入ってきた。たった今病院から帰ったというふうに、ただいまと言って薄く微笑んだという。夫は七十歳になっていた。  わたしはわたしがしてきた旅のことを話したいとおもう。  幼い頃から自分の死が見えていた。  四歳のわたしに、ガスペグが教えてくれたの。 「芽(めえ)、あなたは死ぬのよ」って。 「どうして死ぬの?」 「生まれたからよ」 「いつ死ぬの?」 「そんなこと知ってどうするの?」 「わからないと怖いから」 「芽、死は怖くないのよ、別の世界に行くことなの、だからいつ死ぬかなんて知らなくていいの、時なんか信じてはいけない、時とか時の連続は青空にぽっかり浮かぶ浮雲のように意味はないの、信じる価値があるのは生まれることと死ぬことだけなのよ」  だから先生に、 「腫瘍が見つかりました」  と言われた時も、 (ああ、それで最近肌が白く透き通ってきたのね)  と思っただけだった。 (死を境にここの人でなくなる)  ここの人で無くなったらどこの人になるのかという死に対する憧れが昂まったまま生きてきた。 わたしが病院を出ると駐車場はバニラの霧に覆われていた。 この病院は山の中腹に広がる原生林の中に建っているので、霧や雲海の中に沈んでしまうのは珍しいことではない。 夕日が霧を紅く染めはじめ、糖度がさらに増してゆく。 バニラには誰も抗えない。 夜に向かって町が溶けてゆくその儚い風光に軽い目眩を覚えながら駐車場に向かっていると、筋力がどんどん失われて膝から下の感覚が失せてきた。 心地よい音楽が聞こえてきて、それが電柱のスピーカーから流れてくる病院のBGMなのかわたしの脳内の幻聴なのか、それがなんという曲なのか、聞き覚えはあるけれど曲名が出てこない、月に関係する名前がついていたような、そんな、夢のあいだに浮かんだふんわりした状態でさらに一歩進むと、先刻までの霧とは明らかに質感の違う、それは……そう、まるで極薄の粘土のカーテンを体全体で押して別空間に入るように、びろぉおおおおんという感触でさらに濃密な霧の中にぬるりと入り込んだ。 まつげの先が濡れたと思った刹那、それは始まった。 最初に脳が、次に顔の皮膚が、頭蓋が、首が、脊椎が、筋肉が、内臓が、子宮が、わたしの肉や骨のすべてが、体液のことごとくが。それらを物質として存在させている構成粒子が徹底的に結合力を失い解体された。 わたしという物質は限りなく小さな要素に分解され粉々になる…… ミキサーにかけられて粉々に、というのとは少し感じが違う。 そうではなく、もっと細かな粒子、線香の煙のようなものにわたしが分解される、芽という人間が一瞬で煙になる、というのがもっとも近いかな。 そして、これが「人知を超える」ということなのだろうか、とにかく経験も想像もはるかに超えた凄まじい高圧で撹拌され、すでにわたしという物質は存在を失っていた。 (我あり)は成り立たなくなったのに、(我おもう)は機能している。 大前提であるわたしの肉体としての実体がない。 実体がなくてもわたしはわたしだ。 心とでもいうべきものが自立した存在者として実体化した。 物質による存在をやめて意識体へと変換したわたし、芽の心は、上空へと浮上する。 どこへ行こうかと迷っていたら、ガスペグが現れて先導してくれた。 霧をすかしてぼんやり見える月へと。
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