純粋の代償

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純粋の代償

 のどかな石造りの町並み。中心部を離れ、森に近い位置にその建物はあった。すり鉢とすりこぎを模した看板が吊り下げられている。  ドアが開き、一人の娘が出てきた。艶やかな栗色の髪をアップにまとめ、深い紫のストールを肩にかけている。手にはカゴが一つ。 「リリィ!」  かけられた声に娘、リリィは振り返った。一瞬、驚きの表情を浮かべ、すぐに笑みに変わる。 「あら。チャーリー。ごきげんよう」 「やぁ。どこか出かけるの?」 「薬草を摘みに森へ。足はもう大丈夫なようね」  見るから上等な服に身を包んだ金髪碧眼の青年、チャーリーは満面の笑みでリリィに駆け寄った。 「おかげさまで。ご覧の通り」 「ならよかったわ。それじゃあ」  話は終わりとばかりに、リリィは森へと足を向ける。それをチャーリーは慌てて追いかけた。 「ご一緒しても?」 「あら。若い男女が二人きりで森にだなんて。噂になったら困るんじゃなくって?」 「まさか」  そんなわけないと、チャーリーは大げさに驚いてみせる。それにと、自分の胸を叩いた。 「森には危険がいっぱいだからね。素敵なお嬢さん一人きりじゃ危ない。オレが守るよ」 「あら。その森で怪我をして動けなくなっていたのは、誰だったかしら」 「う」  おかしそうに言われ、チャーリーは言葉をつまらせた。一瞬、足が止まりおいていかれそうになったものの、すぐに追いつく。 「面目ない。でもそのお陰で君というとても素晴らしい女性に出会えた。まさに怪我の功名だ」 「よくまわる舌だこと」  リリィがくすくすと笑う。  記憶に新しすぎるその出来事がなければ、確かに二人は知り合っていなかったかもしれない。  それはわずか一週間前のこと。森の中で足を捻ってしまったチャーリーは、身動きがとれなくなっていた。ある程度は自力で移動したものの、痛みがひどすぎて歩けなくなったのだ。  そこに通りかかったのがリリィだった。今日と同じように薬草を摘みにいっていたリリィがチャーリーを発見し、すりつぶした薬草で手当てをして彼の家まで介助した。その時からチャーリーの舌はよくまわっていた。  乞われて、リリィは翌日薬を届けた。二日後、チャーリーはまだ痛む足でリリィの薬屋を訪れ、リリィを呆れさせた。  そうして今、ようやく完治したチャーリーは、リリィと並んで歩いている。 「でも事実だ。君に出会えてオレはとても幸せだよ」 「はいはい。安い幸せね」 「本気なんだけどなぁ」  話しつつ、二人は森へと足を踏み入れる。 「でも、君みたいな優秀な薬師がこの町にいただなんて知らなかったよ」 「私はこの町に来たばかりだもの。ちょっと事情があって」  その事情は教えてもらえないのだろうか。チャーリーはリリィを見つめたけれど、リリィはあちらこちらと視線を動かして目当ての草を探している。  気を引きたくて、チャーリーは口を開く。 「……本当にすごいよ。あっという間に治った。さっきソフィアに会いに行った時にも、君のすごさを話してきたんだ」 「あら」  リリィに視線を向けられ、チャーリーの鼓動が跳ねた。けれどそれも一瞬。 「他の女に会った足で私に会いに来たのね」  いたずらっぽく続いた言葉に、みっともなく慌てる。 「え?あ、ち、違うよ。親父が見舞いに行けってうるさくて。それに本人には会えなかったし。話したのはソフィアの親父さんとだ」 「いいのよ。つくろわなくて。婚約者なのでしょう?」 「……まだ正式に決定はしていない。まぁ、断れない立場では、あるけれど」  視線をそらし、歯切れ悪く釈明する。  そんなチャーリーを、リリィは笑みを含んだまま見つめた。 「だからいいのよ。別に。貴族の娘さんと結婚だなんて、おめでたい話じゃない」 「おめでたくないよ。そりゃ親父は喜んでるし、客観的には良い話かもしれないけど。そこにオレの意思はない」  もどかしそうに、チャーリーは言う。  いつの間にか二人の足は止まっていた。柔らかな木漏れ日の降り注ぐ中、向かい合っている。ちちちと、どこかで鳥の声がした。 「可愛らしい婚約者なのでしょう?」 「可愛くは……良い子だけど、何と言うか、見た目はちょっと……とても個性的としか言いようが」 「可愛らしいじゃない。あなたを思いすぎて病にかかったと聞いたけれど?ちゃんとお見舞いに行ってあげなきゃひどいじゃない」  くすくすとリリィは言う。チャーリーは情けなく眉尻を下げた。 「恋の病とは言うけどさ、本当に病気になるわけじゃない。体調を崩しているのは別の要因だよ」 「それに、女の子は少し見ないうちに見違えるほど変わるわよ?特に恋をすれば」 「……やつれてはいそうだけど」  ため息と共に言葉を吐き出す。  最初から、リリィに相手にされていないと気づいていた。その理由がこの婚約の件なのだとしたら、後悔しかない。 「せめて、もっと早く君と出会えていたら」  そうしたら、婚約の話が出た時に、すでに心に決めた人がいるからと断れたかもしれない。否、話が出るよりも前にリリィへの思いが周囲に知れわたっていれば、そもそもそんな話は出てこなかったかも。  全ては仮定の話で、今さら何も変わりようはないのだけれど。 「私がこの町にきたのは、婚約が内定してからよ?」  リリィは変わらず笑みを浮かべている。その軽い調子に、チャーリーはもどかしさを覚える。心が全く届いていない。 「ねぇ、リリィ」  チャーリーは、そっとリリィの手をとった。 「信じてほしい。本気なんだ。一目惚れだったんだ」  真剣に見つめ、片膝を地面につく。 「君を抱きしめたいし、髪を解いた姿を見たい。毎晩夢に見るんだ。君が応えてくれるなら、婚約の件だってどうにかしてみせる」 「あぁ、チャーリー」  困ったような笑みを表情にのせ、リリィはチャーリーの手をひっぱった。立ち上がらせたチャーリーと、手を繋いだまま向かい合う。 「まるで悪い魔女になった気分だわ。惚れ薬なんて使った覚えないのに」 「でも、魔法にかかったみたいに君のことしか考えられない」 「悪い魔女がやってくる。絶望ひきつれやってくる」  リリィが呟いたのは古いわらべ歌の一節。チャーリーも子供の頃によく聞かされていた。 「私が悪い魔女なら絶望もやって来てしまうわよ?」 「君が応えてくれないことこそだよ」 「かわいそうなチャーリー」  微笑み、リリィはチャーリーの手を強くひっぱった。二人の距離が縮まる。両手をチャーリーの肩にそわせ、頬を寄せる。身体が密着した。 「抱きしめるだけならいくらでもどうぞ」 「リリィっ?」 「はしたない?」 「……そんなことは、言えないよ」   チャーリーはおそるおそるリリィの背に腕をます。 「あとは髪を解いた姿を見たいんだったかしら?」  腕の中の温もりがくすくすと笑う。 「本当に君の心は風みたいに自由だ。どうやったら捕まえられるんだろう」 「あら、風に例えた時点で捕まえるのは無理よ。鳥ならばカゴに閉じ込めておけたのに」 「鳥だとしても、カゴに閉じ込めておける気がしないよ」 「そうね」  リリィの髪が喉元をくすぐり、チャーリーは一瞬息を飲んだ。 「私はカゴを壊して出ていくわ」  やっぱりと、チャーリーは嘆息した。  そうして、せめて今だけはどこにも行ってしまわないように、強く、抱きしめる。 「どうやったら君の心を手に入れられるんだろう」 「私の心は私のものよ。誰にも渡さないわ。でも、そうね」  すっと、チャーリーの肩を押しやり、リリィは身を離した。 「リリィ?」 「今夜は月のない夜なの」  突然違う話題を出され、チャーリーは戸惑う。お構いなしに、リリィは笑みを深めた。 「星明かりの下でなら、言葉遊びに付き合ってもいいわ」 「え?」 「せいぜい頑張って口説き落としてちょうだいね」  それはつまり、チャンスをくれるということなのだろうか。そう、問おうとしたチャーリーの顎を、白い指先がそっと撫でる。 「……っ」 「楽しみにしているわ」  言い残し、リリィは一人森の奥へと足を進めた。  その姿を見送ることもできず、チャーリーは立ち尽くしていた。起きたことを理解するのに時間を要している。  やがて、慌ててリリィの後を追おうとした時には、とっくにその姿は見えなくなっていた。それでも、今晩会う約束をくれた。  愛を囁く機会を、思いに応えてくれる可能性をくれた。嬉しさから、チャーリーは小さく声をあげる。  夕暮れのひかえる頃、リリィは森から戻った。はな歌交じりに人気のない道を行く。  ふと、メロディが途切れる。  リリィの視線の先、店の前に身なりのよい人物が立っていた。その姿に、赤い唇が弧を描く。
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