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「お目にかかれて光栄ですわ。領主様」
領主ブライアン・ネルソンは、屋敷に現れた娘の思いの外若い姿に顔をしかめた。けれど全く物怖じしない態度と、流れるように美しいお辞儀に場馴れしていると気づく。
ならば腕は確かかもしれない。
とはいえ、過度な期待は禁物だ。
「ソフィア様の件ですわね」
「……ああ」
ソフィアの病はすでに町で噂になっている。さらにこの薬師はチャーリーの紹介なのだ。知っているのも道理だろう。
「どこまで聞いている?」
「お会いできなかったと、それだけですわ」
ゆったりとした、落ち着き払った微笑みを薬師の娘、リリィは浮かべている。ブライアンは居心地の悪さを覚えた。
気を抜いたら主導権を握られてしまいそうだ。気を引き締めないと。そこまで考えてはたと気づく。自身の娘ほどの相手に、何を怖じけづく必要があるのかと。
ブライアンは緩く頭を振った。
「お医者様は?」
「……原因が全くわからないと。今、王都の名医を探させてはいるが」
ため息と共に言葉を吐き出す。
いつ見つかるか。見つかったところですぐに来てもらえるか。そもそも、それまでソフィアの身体がもつのか。
「なら、私が呼ばれたのは時間稼ぎですわね」
「……そうだ」
もとより完治させるまでの腕は期待していない。せめて優秀な医者が着くまで、もたせることができればと。
「……こちらだ。ついてきてくれ」
「はい」
ソフィアの部屋は、最低限の世話をする人間以外人払いをしている。うつる病の可能性がなくもないというのが理由の一つだ。
そうしてもう一つ。
「先に一つお訊きしてもよろしいですか?」
「何だ?」
「お見舞いにいらしたチャーリー殿はお会いできなかったとのことですが、なにか理由が?」
触れられたくなかったことに触れられ、ブライアンは口ごもった。
「……婚約者といえど、娘の寝室に入れるわけにはいかない。それに」
言い淀み、一つの扉の前で足を止める。とってに手をかけ、それでもまだ決心がつかない。とは言え、説明しないわけにはいかないし、何より一目でわかってしまうのだ。
ちらりと、リリィの様子をうかがう。
変わらず微笑みを浮かべ、悠然と佇んでいる。
「……娘の容姿は知っているか?」
「一度だけお見かけしたことが」
「ならばわかると思うが、娘は私に似て見目が良くない。だが」
意を決し、リリィに向き合う。
「十日ほど前から、急激に容姿が変化した。今では見違えるほど美しい娘になっている。ただ……」
「比例するように衰弱していった、と?」
「……そうだ」
苦虫を噛み潰したような表情で、ブライアンは言葉を絞り出した。
ほとんどの使用人が気味悪がっている。呪いでもかけられたのではないかと。
ソフィアはチャーリーに心奪われている。そのチャーリーもソフィアの変化を気味悪がったら。心的ダメージを考えると、とてもではないが会わせられなかった。
「恋をすると見違える、と言いますものね」
「そういう次元ではない」
言って、ブライアンはようやく扉を開いた。
窓から差し込む夕日が寝室を赤く染め上げ、長い影を落としていた。明かりを灯そうとしたブライアンを、リリィが止める。
まずは話を。
そう言って寝台に近づくリリィを、ブライアンは扉の横に立ったまま眺めた。
「ごきげんよう。ソフィア様」
リリィが寝台に顔を寄せる。ソフィアのか細い声を聞き取るためだろう。つられてか、リリィの声も小さくなる。ブライアンの元まで辛うじて声は届くが、内容まではわからない。
赤い室内、寝台に寄り添う影。
二人きりにしてしまうには不安があり、だからといって近づくのは躊躇われた。所在なくただ佇む。
一度、ソフィアの以前の姿を目にしたことがあるとリリィは言った。ならば容姿の異様な変貌もわかるはずだというのに、リリィのソフィアに対する態度はあまりにも自然だった。事前に伝えたとはいえ、欠片も驚いた気配がない。
その事に、言い知れぬ不安がじわじわと這い上がる。変わり果てた娘の姿を目にする度、自分が何かを間違えてしまっている気がしてならない。
何より不気味なのは、今の娘の姿が亡き妻と瓜二つだということだ。
「おやすみなさい。ソフィア様。せめて夢の中では幸せに」
聞こえた声に、ブライアンは我に返った。見ればちょうど、リリィが屈めていた身を起こすところ。
リリィがブライアンの方を向く。その表情は薄闇の中、逆光になっていて見えない。見えないはずなのに、なぜか笑みを浮かべているとわかった。
「領主様」
呼ばれた。けれどブライアンの足は動かなかった。むしろ、今すぐこの場から逃げ出してしまいたいとさえ思った。
「領主様?」
重ねて呼ばれ、重たい足を引きずる。ちらりと目にした娘の寝顔には、目じりにわずかに涙が見えた気がした。
ざわざわとしたものが胸に広がる。それを無視するために、その姿を視界から追いやる。
「……とにかく、少しでも体力が回復」
「手遅れですわ」
ブライアンの言葉を、リリィが遮る。微笑みを浮かべたまま。
「は?」
「ほら、もう日が暮れる」
すっと窓の外に向けられた眼差し。
ちょうど日が沈みきり、ふつりと明かりが消える。全てが宵闇に包まれる。
「何を、言って……」
「時間切れ」
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