第2章 再会

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「何も遊園地でなんて歌う必要、ないじゃない。あなたは舞台の歌姫だったのよ。あの豪華マンションを売ったのだったら別にお金に困っているというわけでもないんでしょ?  なんでまた・・」  埼玉の遊園地で舞台を踏める、という芹沢が持ちこんでくれた話に喜び亜美が母に電話したところ、落胆された。たぶん昔の女王気取りの自分だったら、同じ感想を抱いたに違いない。亜美は母に今の気持ちを知ってもらいたかった。 「お母さん、私、生まれ変わりたいの。芸能事務所には解雇され、もう昔の難波亜美は死んだ。でもハワイで気づかされた。私には歌しかない、って。だから私の歌声を喜んで聴いてくれる人がいるならば、老人ホームへの慰問でも、酒場でも遊園地でも、どこでも歌いたい、歌い続けたいって思う」  母は電話の向こうでしばらく無言だった。ハワイ、とつい口に出したのは、失敗だったかもしれない。母は自分勝手な父のことを良く思っていないのだから。  亜美は意図して快活な声で続けた。 「主催側は私にヒット曲のメドレーを歌ってくれ、って言ってくれているの。だから、もしよかったら、慶太と一緒に観に来てちょうだい」 「ヒット曲って、亜美、また具合が悪くなるんじゃないの? お母さんは心配で、・・とても観に行けやしないよ」  母の気持ちが亜美にはよくわかる。初期のヒット曲とは彼が創った曲ばかりで、作曲家の彼と二人三脚でのぼり詰め手にした栄光なのだから。厳然たるその事実は忘れ去ろうと努めていたのに、母の一言によって、はからずも思い出させられた。  亜美が黙っていると耳許で母の声がした。 「亜美、・・もう歌はやめにしたらどうなの? せっかく健康を回復したのに、辛い想い出を揺り起こしてまた病気になられるより、お母さんとしては亜美に歌をやめてもらいたい。うちに戻って、慶太の弁当屋でも手伝ってくれる方がよほど嬉しいわ」  睡眠薬中毒で倒れて以来、母と弟の慶太に迷惑をかけっ放しだった、とすまない気持ちが胸に広がる。  ミュージカル女優として栄華を極めていた際に知り合った人々には皆背を向けられ、真の友人などいない亜美を見捨てずにいてくれたのは、結局は家族だけだった。よくある話ではあるけれど、世間とはこうも冷たいのか、と亜美は初めて納得させられたのだった。 「お母さん、・・じゃ、遊園地の舞台が終わったら、帰りにうちへ寄るね。慶太にもよろしく伝えておいて」  電話を切ってからも、亜美はしばらく携帯を握り締めていた。  もともと仲の良い親子というわけではないのは、母は働き詰めだったからだ。調理師の資格があるので小学校の給食調理師として働き、父が残した借金を返済するために夜は近くのラーメン屋を手伝っていた。子供たちを学校へ通わせるために、と奮闘する母の後ろ姿を見るたびに、亜美は感謝するより淋しかった。  亜美がミュージカル界で成功して家へ仕送りを始めたところ、これはいざという時に使わせてもらう、とすべて貯金に回していた母。その理由を訊くと、芸能界なんて水商売だから、いつ干されてお金に困ることになるかわからないよ、と説教されたものだった。  ヒット曲メドレーなど歌ったりしたらまた精神に異常をきたすかもしれない、と家族にさえ信用されていないことが辛い。しかし、大丈夫だから、と心の底から言い張ることができるだろうか。亜美はふと不安に駆られた。  リハーサルには芹沢も同席してくれ、塔子コーチの前では全曲を完全に歌い切ることができた。彼の面影など思い起こすこともなしに、ヒット曲を単なる歌として。  しかし遊園地の興行だとはいえ、舞台に立ち観衆を前にして、彼との想い出が詰まった曲を、はたして歌い切ることができるだろうか。
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