第2章 再会

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  「全然声が出ていない! もう一度!」  芹沢が紹介してくれたボイストレーニングの女性コーチ、安西塔子には怒られるばかりだ。難波さんみたいにスキャンダルを起こした人とは関わりたくない、と彼女にゴネられたそうだが、芹沢が拝み倒して頼んでくれたらしい。 「すみません」  亜美は再び深呼吸し、腹に力を入れて音節を繰り返す。 「ダメよ。ダメ、ダメ! あなた、それでも歌手だったの?」  暴言に傷ついたものの、亜美は歯を食いしばった。ここでトレーニングコーチにさえ見捨てられたら、それこそ歌手生命の完全な終わりだ。プライドも何もかもかなぐり捨て、とにかく声を鍛えなければ再起など不可能で、ブランクがあるからなどと言い訳できる立場ではない。  歌っていうのはさ、口とか声帯とか腹筋で歌うものじゃない。心で、魂で、歌うものなんだ。亜美だったら、それができる。お前の歌で人々を感動させることが、できる。  彼の声が脳裏に蘇る。いや、すぐ耳許で囁かれたように思う。  亜美は瞼をつむり、もう一度音節を繰り返した。歌詞のない音節にしても、歌は歌。真心がこもった肉声を人々に伝えるのが歌手のはず。 「OK、やればできるじゃない。じゃ、次・・」  そして塔子にレッスンの後言われたのだった。 「難波さん、こう言っちゃなんだけれど、声がシコっている」 「声がシコっている、ですか?」  意味がわからずに亜美がオウム返しに繰り返すと、塔子は意地悪な笑みを浮かべた。 「そうよ。噂ではクスリやっていたそうね。そういうリラックス感って声を通す上ではプラスかもしれない。今の声は身体がシコっている感じ、発声が変に抑圧されている」  まるでミュージカルで活躍していた時代に麻薬でもやっていたかの台詞に、真美は思わず憤りを感じたが、無理に微笑を形づくった。 「自分ではリラックスして歌っているつもりですが・・」  亜美の言葉を途中でさえぎると、塔子が続けた。 「あなたの声はこんなものじゃなかったはずでしょ? あなたの『キャッツ』、私は何度も聴いた。もっと伸び伸びと、天に向かうような声だったはず。檻に閉じこめられたような不抜けた声、あなたらしくないよ」  不抜けた声、という酷評に亜美が茫然自失していると、塔子は容赦なく言い足した。 「それと、腹筋やった方がいいと思う。なんだか昔に比べて身体がデレっとしているじゃないの」  ハワイでの久し振りに規則正しい食生活で体重が増えたことを気にしていた亜美は、つい言い返していた。 「先生は、先ほどリラックスしろとおっしゃったじゃないですか」  塔子は鼻で笑うと解説した。 「筋力がある身体でリラックスして腹式呼吸する。身体に怠けさせて、その上肩コリじゃないけど全身コリ固まっていたんじゃ、せっかくの才能が泣くってものよ。再起したいのだったら、そろそろ本気になった方がいいんじゃない?」  亜美は思わず塔子と視線を合わせた。  自分では本気で歌手復帰を望んでいるというのに、もし赤の他人にそう見えないのだとしたら、やはり自分のやり方はどこか間違っているに違いない。少なくとも塔子コーチに才能がある、あった、と認めてもらえていることが、世間から見放された自分にとって最後の藁とでも言うべき唯一の救いのはず。  亜美は深く頭を下げた。 「先生、次回のレッスンまでに腹筋も鍛えておきますので、よろしくお願いします」  塔子は亜美の素直な言葉に驚いたようだったが、それ以上何も言わなかった。  
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