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彼女は早口で、ぐいっと顔を近づけてくる。彼女が喋るたびに唾が飛び、私は思わず顔をしかめそうになった。そうでなくても、きつい香水の匂いに頭がくらくらするのである。
しかし、こんな間近で睨まれている状態で、眉の一つでもひそめようものなら余計地雷を踏むのは明白なのだ。とにかく、私を罵倒できる材料があれば彼女にとってはなんでもいいのである。
私は涙はおろか、表情一つにも全身全霊を傾けて気を使わなければならないのだった。とにかく、反省している顔だけをし続けなければいけない。彼女をこれ以上苛立たせないように、説教が少しでも早く終わるように。
「何故反省しないの?改善しないの?……ええ、新人なのよね、要領悪くても仕方ないわよね……なんてこと言って貰えるとでも思ってた?他のメイドの子達は、入って一週間もすればほとんど完璧にこなせるようになっていたのに、貴女はどうなの?玄関の掃除一つこなせないじゃない。他の仕事は全然任されてないのに、ここだけできるように私が“わざわざ”配慮して同じ仕事を任せてあげているのに、ねえ?」
「も、申し訳ありま……」
「だから!その言葉は聞き飽きたのよ!不器用なんて言い訳がいつまでも通用するとでも思ってるわけ!?なんでそんなに出来ないの?他の子ができることがなぜあんただけ出来ないのよ、ねえ!?聴いてるの!?これは仕事なのよ、あんたは私達一家に食わせて貰ってる立場なの、それをわかっていないのかしら!?」
「申し訳、ありま、せん……っ」
ああ、誰も助けてはくれない。
階段の下で延々と怒鳴られる私の傍で、待機しているように言われた他の数名のメイド達は。こちらを色のない目でじっとりと見つめるばかりで、私を庇う言葉の一つも言おうとはしなかった。他の執事達や料理人達もだ。忙しいから気づいてないフリをして、この付近を妙に早足で通り過ぎていく。
その目には覚えがあった。
あのオフィスの時と同じだ。怒鳴る上司、怒鳴られる新入社員、罵声が響くオフィスでそれでも我関せずを貫く同僚達。
理由など言うまでもなくわかっている。下手に口を出したら、自分も“こちら側”になることがわかっているからだ。いじめの構図は、何も学校だけで起こるわけではない。自分が標的にされないためには、とにかく傍観者を貫くしかないのである。皆で結託して対応するなどできるはずもない、なんせ相手は絶対の権力者なのだから。
――私にやめてほしいんでしょう。わかってる。わかってるわ。
私は罵倒の嵐を、ただひたすら拳を握って耐えるしかなかった。
――忌々しい若い新人が気に食わないのよね。だからやめてほしいのよね。私だってやめてしまいたい。でもそういうわけにもいかないじゃない……!
わかりきったこと。
私はこの屋敷以外に、行き場などない。此処をクビになったら、明日からまともに食べていくこともできなくなってしまう。
身分の低い、孤児の娘。奇跡的に子爵家のお屋敷で雇って貰うことができたばかりのメイド。それが、この世界の、私の“設定”なのだ。
元は地球の日本人であり、社会人であったはずの私の。
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