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――……もしかしたら。私は転生なんかしてないのかもしれないわ。
泥やら油やらの汚れが染み付いたカーペットを、雑巾でごしごしと拭き取っていく。洗剤はあるが、この世界の洗剤は現代日本のクレンザーの類とは比較にならないほど性能が悪い。雑巾で集中的にごしごししたところで、汚れの落ちはあまり期待できなかった。時間をかけて、力を入れて念入りにこすり続けるしかないのである。そしてカーペットを頑張りすぎると、手摺や階段には一切手が回らない。目立たない花瓶の水を返るなんて後回しの後回しになってしまう。
一人で終わるような作業量であるはずが、なかった。それでも奥様はいつも私一人に、午前中だけで掃除を終わらせるようにと言ってエントランスの担当を押し付けるのである。私に嫌がらせをし、苦しめるためだけに。
――此処は、生きている人の世界に見せかけた……地獄、なのかもしれない。私一人の為に用意された地獄だというのなら、ちょっと贅沢すぎる気がするけれど。
因果応報。その通りだ。
自分は。現代日本を生きていた、斎藤冬子は。
印刷会社のベテランチーフとして働いていて――そして、新入社員の女子を虐めていた。自分より若くて、肌の綺麗な彼女が気に食わなかったから。理由はそれだけだ。夫が若い女子と浮気をしているかもしれない、そういう噂を聞いてしまって苛立った腹いせだった。確かに五十にもなって、夫の愛を過剰に求めるのは重いのかもしれないけれど。それでも、金銭面でも家庭面でも夫を支える良き妻として尽くしてきたつもりで。年の割に美を保とうと、必死にお手入れにも金をかけてきたはずだったというのに。
結局、年増は若い女に勝てないのか。
きっとお前らは、私のような年のいった上司を、お局様だと言って影で嗤っているんだろう!
そう一度思い込んでしまったら、どうしようもなかった。ゆえに、新人の彼女がちょっとしたミスをした時に、好機とばかりに八つ当たりが炸裂したのである。それがきっかけだった。私は、一番大変な庶務や雑務をいつも彼女にばかり任せ、終わらないと罵倒するということを繰り返した。彼女が俯いてごめんなさい、ごめんなさいと言っている時だけは、自分は優位に立てているのだと信じることができたのだから。
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