第十二話「限界を超えて! 解き放たれた野生〝覇逐の極み〟」

1/1
17人が本棚に入れています
本棚に追加
/14ページ

第十二話「限界を超えて! 解き放たれた野生〝覇逐の極み〟」

 何が俺は最強だ! だ。いるじゃないか、ここに、俺と互角以上の奴が。俺は今まで、自分より弱い奴と己を比べていたんだなと、思い知らされた。  世界トップの国である韓国のプロにも勝ってきたから、思いあがっていたんだ。自分より強い奴なんていないと。  それが、こんなところに、それもアマの中にいたなんて。  認めよう、林、お前は凄いよ。いくら俺に一年のブランクがあるとはいえ、今年は韓国の李師匠を訪ねてまで修行したというのに。そんな俺を超えていくというのか、お前は。 『手が、止まりましたね、名人』 『この黒の大石、私でも活路は見えない。夏目君、あの林君相手に良く打ちましたね。白の中押し勝ちです』  でも、俺だって負けるわけにはいかない! 活路を作るんだ、手筋を駆使して!  それは、モヤの中へ手を突っ込むような、そんな感覚だった。今までは予知通りに打つような碁だったが、今は違う。確信はないのに、なぜかそれが正解だと、わかる。  林が何千手もヨムなら、俺は何万手もヨメばいい。もっと局面を広く、視野を広げるんだ! 集中しろ、夏目秀呉! 頭の中で、盤面を反転させるんだ。  そうしているうちに、やがて、見えていなかった手が、見えるようになった。暗闇の中で必死に見つけた答えが、ここだ! 『これは、まさかこんなことが』 『勝負手ですか? 遠野名人、何が起きているのでしょう?』  打ち進めていくと、シチョウとコウが見合いになった。自分でも驚いている。こんな形になるなんて、想像もしていなかった。しかし手は不思議なことに止まらない。  さぁ、まだまだこれからだ。俺はこのシチョウを逃げながら、コウを争えばいい。 『この手筋は、正直気づきませんでした。発想が素晴らしい』 『白はシチョウを追いかけながらコウを争っているので、白にとっては負担、ということでしょうか?』 『ええ、そうですね。最後に手を入れた方が、半目負けしそうです』                ***  夏目の奴、とうとう限界を超えて〝覇逐の極み〟に辿り着いたっすね。自分に捕らわれる心を超越した心。それが覇逐っす。対局をとことん楽しむこと。それらが条件だったんすよ。これで勝負はわからなくなったすね。  さて、テレビ観戦はこのくらいにして、俺もそろそろ行きますか。  テレビを消して、リビングを出る。渋谷駅から下北沢まで電車で移動し、そこから小田急線に乗り換えて新百合ヶ丘までむかった。  改札口を出て、夏目と井上さんの家まで赴く。すると、夏目の予知通り、汐留の顧問坂上巴がいた。 「部員をほったらかしにして、こんなところで何やってるんすか?」 「お前は、秀栄の……、どうしてここに」 「それはこちらのセリフっす。どうして電柱の影から井上さんの家を見てるんすか」 「べ、別に、何だっていいだろ」と、坂上は立ち去ろうとした。俺はその腕を掴む。 「林と、企んでたんじゃないっすか? 夏目を大会に出すために」 「な、何を言って」 「夏目が大会に出れば、汐留高校囲碁部は復活するかもしれない。夏目が大会に出れば、息子の英一が喜ぶ。だからこんな事件を起こした。違いますか?」  坂上は、「証拠はあるのか。俺が井上の左目を傷つけた証拠と、俺が林英一の父である証拠は?」と言う。 「あれ? 俺、井上さんの左目の話なんてしてないっすよ。なんで、その話題が出るんすかねぇ?」  坂上は慌てて右手で口を覆った。 「自首を勧めるっす。もう逃げられないのだから」  周囲に、パトカーが集まってきた。井上さんの家をガードしていた人たちが呼んだのだろう。 「ぶ、物的証拠は? この同行は、任意ですよね」 「証拠ならあるんだよ! お前の息子から署に送られてきた、人を殺す瞬間の写真がな!」 「ば、ばかな!」 「さぁ、来い! 話はゆっくり署で聞いてやる」  こうして、坂上は連行されていった。だが、疑問が一つ出てきた。今の警官の話では林が写真を送ったとのことだが、どうして身内を裏切ったのか? 「林の奴、まさか……」                ***  こいつ、まだ諦めていなかったのか。くそ、黒六子は取ったが、自陣に入ってきた黒を殺すのに手数をかけすぎた。おまけにシチョウまで逃げられた。白模様が、自分の石でだいぶ埋まっては、この攻防は大損だ。  うまい、鮮やかにサバカレた。  これが夏目秀呉の底か。  ……だめだ、半目足りない。もう、大ヨセも終わり、残すは小ヨセのみ。  お互いに半目の狂いもなく淡々とヨセが進められ、終局した。整地をしてみると、やはり僕の半目負けだった。 「369手をもちまして、黒番、夏目秀呉選手の半目勝ちとなりました」と、記録係がマイクで告げる。 「林……」 「先輩……」  岡崎と相田が寄ってくる。その表情には暗いものがあった。  僕たちは、負けたのか。 「トップ棋士も驚きの名局だったな。誇っていいぞ」と、岡崎部長が言う。 「ちなみに部長は無勝負だから、負けてないですよ。同時優勝です」  そうか。 「夏目」と、僕は彼に声をかける。 「なんだよ?」と、夏目は眉間にシワを寄せる。 「また、打てるか?」 「……さぁな。打てるとしたら、プロの世界で、じゃないか?」  夏目がそう言うと、 「夏目君! 本気かい?」 「プロ試験、また受ける気か!」  団体戦のメンバーの二人が驚いて訊く。 「ああ。だが、その前に、林。罪は償ってもらうぞ」 「そう、だね。約束だ」  僕は全てを話した。  院生になってから一年間、君の幻影ばかり追っかけていたこと。連続殺人事件では義理の父を利用していたこと。それをきっかけとしてこの舞台をつくりあげたこと。そして、決勝前に警察に父をつきだしたこと。 「自首して、罪を償うよ。そして、生きていればプロになる」  七人殺して、一人重症を負わせたのだ。極刑は免れまい。 「そうか」と、夏目はそれだけを言い、仲間とともに対局場を去っていった。                ***  秀ちゃんが、勝った! おめでとう、秀ちゃん。 「お母さん! 秀ちゃんが、勝ったよ。副将戦は無勝負だから、同時優勝!」と、私はリビングから庭に通じている窓を開けて、庭仕事をしているお母さんに叫んだ。 「そう! 良かったわね。秀呉くんが帰ってきたら、夕飯に呼んであげましょう。お母さん、腕によりをかけて作るわ」 「ありがとう」  私は新百合ヶ丘駅の改札まで出かけに行く。もちろん、秀ちゃんを迎えるためだ。もう、犯人は警察に捕まったから、怯えて生活する必要もない。  駅の改札に到着して三時間くらい待っていると、秀ちゃんが改札から出てきた。 「よ! 桜」と、秀ちゃんは手を挙げる。 「秀ちゃん、お帰り!」  私は目に涙をためながら彼に抱きつく。 「無事、優勝できたぜ」 「うん、知ってる。テレビで応援してたから。おめでとう、秀ちゃん」 「ありがとう」と、秀ちゃんが抱き返してくれた。 「それで桜、話があるんだ」  私を離して、急に改まる秀ちゃん。 「話?」 「ああ。実はな、一年間、韓国の師匠のもとで修業しようと思うんだ」 「え? なんで! 学校は?」 「休学届を出して、一年修行して、日本でプロになるためだ。この大会で思い知らされたよ。俺以外に、まだまだ強い奴はアマにもたくさんいて、たぶんそいつらもプロになるんじゃないかって。俺もプロになって、もう一度戦いたい。それが今の俺の目標だ」と言って、彼は歩き出す。  そうか。新しい目標を見つけることができたんだ。秀ちゃん、この半年でだいぶ背中が大きくなったな。  私は秀ちゃんの隣へ駆け寄る。  私が好きだった秀ちゃんが、ようやく帰ってきた気がした。私はその彼を、全力で応援しようと思う。 「うん、秀ちゃんなら、今度は大丈夫だよ」 「今すぐってわけにはいかないから、桜、俺の家で打たない?」 「え? 今から?」 「ああ。お前と打つと、ホッとするんだ。今まで、ずっとピリピリして打ってたから」 「うん、すっごく嬉しい。ありがとう、秀ちゃん」  私、幸せだよ!
/14ページ

最初のコメントを投稿しよう!