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隅田川にかかる百十間もの長さを誇る永代橋。その橋が崩落したのは文化四年八月十九日のことだ。
その日は富岡八幡宮の祭りが行われるとあって、江戸中の人間が永代橋に押し寄せた。永代橋は元々幕府が建てたものを、享保四年に町方へと管理が移っている。
以後、橋の通行料を維持費にあてていたが、実際の管理は杜撰なものであったらしい。
長年積もった老朽化と、祭り目当てに押し寄せる人々。崩れたのは橋の東側だった。そこへ事情のわからぬ人々が前の人間をどんどん押しやって。結果多くの人間がおぼれ死んだのだ。
利助は橋大工である。弟子を数人抱え、仕事に油の乗った四十歳。家族は今年十になった息子の伊一。妻は産褥で亡くしている。
利助の生活は裕福とは程遠かった。橋を作るにはお上の許可がいる。限られた数をいつも同業者と取り合った。弟子たちや息子を養わせる必要もある。
それでも息子の伊一を立派に育ててみせるという使命感、いつかは江戸中に知られる橋大工になってやるという野心があった。
だが、弟子たちは去った。息子は死んだ。
事故のあった朝、伊一と「いってらっしゃい」「いってくる」と、でかけの挨拶をしたのが最後。
神田川にある和泉橋の修繕作業中、利助は永代橋崩落を…さらには家に残してきた息子が、八幡宮の祭りに向かっていたことを、変わり果てた息子の遺体と対面して知った。
嘆く利助に対する、周りの視線は冷ややかだった。彼らは言う――罰が当たったのだ、と。
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