欲望バンク

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「ふふふ。素晴らしい。素晴らしいよ。曽根崎くん。期待以上の成果だ。」 松濤の閑静な住宅街の中に、その政治家の屋敷はあった。美田正義。与党幹事長にして、政界のドン。富と名声と、欲に塗れた古典的な政治家である。曽根崎はこの男を決して好きにはなれなかったが、しかし欲望バンクが成立する為の法整備には、彼の力を借りる他なかった。人々の欲望をコントロールするなどという全く画期的な事業には、当然、様々な法律の規制を受けた。中でも薬機法は厄介で、改正には相当な困難が伴うことが予想された。 「いやぁ、実に大きな仕事でしたよ。私も君も運が良かった。新型感染症の流行で、折りよく機運が高まったのだから。改正の口実さえ作れれば、内容は何とでもなる。あとは担当大臣に私が念押しすれば、あら不思議。許認可などは簡単だったでしょう。」 「お力添え、感謝致します。」 曽根崎はそっとジェラルミンケースを差し出した。中身はもちろん札束だけれど、これは美田にとっておまけ程度の額である。美田は曽根崎の会社の株を大量に所有しており、今回の株価急騰で既に大儲けしているはずだ。それにも関わらず、法改正の苦労話なんか持ち出して追加の賄賂を要求するところなどは、まさに欲の塊のような男である。 「何のこれしき。」 美田はニヤリと笑う。欲だ。欲にはカタチがあることを曽根崎は知っている。神経伝達物質が脳を駆け巡り、特定の周波数の脳波を刻む。恐らく彼の欲望の脳波は18Hz前後の比較的高周波に分類されるβ波で、報酬系と呼ばれる脳領域の中でも特に帯状皮質で活発に働く。金欲は古典的な欲望だけあって、比較的シンプルな波形をしている。 美田の顔にはそのカタチがはっきりと浮かび上がっていた。 美田の計画はずっと壮大だった。欲望バンクが世に浸透する時期を見計らって、今度は政治家たちに任期中強制的に金欲を預けさせる法律を通そうとしている。表向きは金権政治の根治を謳っているが、実際は政治家の欲望を支配することで更に自分の実力を高めようという魂胆だ。 もちろん、それは曽根崎には関係のないことではあるのだけれど。 「しかし哀れだね。進んで欲望を差し出す国民の多いこと。彼らには欲望を満たす手段を持っていないから、仕方ないのだろうがね。欲は満たされれば美味いのに、満たされなければ腹が空いて苦しいだけなのだろうな。」 美田は決して欲望を預けたりはしなかった。むしろ、他人のありとあらゆる欲望を買い取っている。あらゆる欲望を満たすことの出来る人間にとって、欲望それ自体を得ることには他に代えがたい喜びがあるらしい。金銭欲を引き起こすのはドーパミンとその亜種ホルモンであり、報酬系にダイレクトに働くので、その快楽も些か直接的である。 「ふふふ。欲望バンクを使ってみて分かったよ。かつての私なんかはまだまだ欲のない男だったんだなと。」 話しながら膨らんだ鼻の孔に、美田は欲望を渦巻かせている。 その奥深さに、曽根崎は逆らい難い恐怖を感じるのだった。
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