欲望バンク

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欲望バンクを開いてから2年が経った。曽根崎の事業は順調に成長し、社会にとって不可欠なインフラだも言えるまでのものになった。欲望の格差を助長したという批判もあって、確かにそれは間違っていないのだけれど、しかし格差はそれほど大きな問題にはならなかった。もとより、人は欲望を自動的にバランスさせようとする本能があるらしい。また、トレーダーの存在もスタビライザーとして一定の役割を果たした。 国民の大半に当たる70%は穏健な中間層となり、欲望バンクを便利な道具として上手く利用した。人が自由を享受するために必要最低限の取引。欲望は概ね節度のある使われ方をした。 次の20%は、かつて美田がそうだったように欲望を膨らませ続ける富裕層だった。これは曽根崎の予想よりも多い数字だった。美田にとっても予想外だったのだろう。彼の立案した政治家の強制預欲法案は思いがけないほど激しい反発を受けた。その結果、美田は失脚した。つまるところ、美田は自らの強欲に目が眩んで、他者の欲望を軽視していたのだ。個々の欲は到底美田に及ばなくても、政治家たちの欲がより集まった集合欲は美田個人のものを遥かに凌駕していたということだろう。 残る10%は、貧困層である。食欲や睡眠欲などの生存に必要な最小限の欲望を除いて、殆どの欲望を放棄した人々だ。欲がないので彼らはそこから浮上することは難しいだろうが、しかし決して不幸ではなかった。彼らこそ、最も満たされた人々だと言うことさえ出来る。 そのような欲望の僅かな格差というものは、実際の富の偏りの大きさと比べれば、全く無視して良いもののように思われる。これは欲望の総量を制限しているからに他ならない。つまり、欲望バンクは預けられている量の欲望を超えて、欲望を新たに作ることはしない。曽根崎は、金融における中央銀行が無制限に通貨を発行して極度のインフレと経済格差をもたらしたことから教訓を受けていた。 【欲望の安定を図ることを通じて国民生活の健全な発展に資すること】 これが欲望バンクの理念である。その為には欲望の総量は一定でなければならない、というのが曽根崎の信念であった。それだけは何としても守らなければならない。 「うちの子供がね、こんなものを学校で貰ってきたんですよ。」 役員会議の後、高橋が世間話をするようにして曽根崎に声をかけた。高橋はトレーダーとして出世して役員に就くまでになっていた。 「ほら。見て下さい。」 高橋が差し出したのは、"8歳のハローワーク"というカタログだった。 「ここから好きな職業を選んで、するとその職業に就きたいという自己実現欲が貰えるらしいんです。」 「ああ、それか。」 この2年で欲望バンクの社会的実装は進んだ。今や教育機関で子供に自己実現欲を給付するのは当たり前になったし、刑法では邪な欲望を強制的に抜き去る刑罰も加えられた。その背景には 、当然のこととして技術革新もあった。欲望の種類はより細分化され、具体的な願望に近いようなものまでやり取りすることが出来るようになった。宇宙飛行士になりたいという欲望と、医者になりたいという欲望とは、今や明確に区別出来るようになっている。 「本当に良い世の中になりましたよね。」 CSR担当役員の安藤が会話に割り込む。 「私たちの頃なんか、無理やり夢を持てなんて強制されて。作文を書かされたりしました。私にはその頃夢なんてなかったので、それが本当に苦痛で。また夢があったらあったで、今度は大人になると、いつまでも夢を見てるのは愚かだなんて言われたりして。まったく生き辛いことでした。」 「そうだな。私たちは人間を真に自由にする仕事をしているんだ。君たちもしっかり頼むよ。」 「お任せください。」安藤はそう答えた。 「自由、なんですかねぇ。」カタログを見ながらそうボヤいたのは高橋だった。
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