押してダメなら引いてみろ。

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押してダメなら引いてみろ。

出会ったその瞬間、旧い記憶が呼び起こされ彼を思い出した。僕の目に映るその澄んだ赤い双眸は千年経っても輝きを失わない。 自然と胸が高鳴った。彼に助けられ再会した事は、運命だと。 けれど、彼は僕を覚えていなかった。当たり前だ、千年という時は人間からすれば途方もない時間なのだから。例え永遠の様な寿命を持つ妖者であっても。 酒呑童子。 鬼の頂点に君臨する妖怪。今の世でも伝説として語り継がれる存在。 彼は現代まで生き延びていた。自分を庇い死んだ女との、たった一つの約束を胸に刻んで。 『私を忘れないで』 呪いのような言葉。死ぬ間際、どうしてあんな事を言ってしまったのか。残された彼はどう思っただろう。当時の彼の感情を想像するのは難くない。 けれど、覚えていてほしかった。愛していたから。シュテンだって憎からず想っていたはずだ。僕の妄想でもなんでもなく。 そう、愛し合っていたはずなのに。 『お前、名前は?』 僕は直ぐに自分を助けてくれたのがシュテンだと気付いた。妖怪なのに人の子を助ける優しさは健在だった。 僕の家は平安の時代から妖怪退治を生業にしている家系で、生まれてくる子供はみんな生まれた頃から妖怪などの姿が視えていた。もちろん僕も。 ただ、霊力と妖力が同じくらい強かった僕は、その所為で妖怪に命を狙われる事が多かった。 力の強い人間、特に僕みたいに霊力と妖力の釣り合いが取れている人間は大変美味しいらしい。あと食べると妖怪の力が増幅するみたい。 シュテンに助けてもらった時も、危うく喰われるところだった。 でもシュテンに再会出来たことが嬉しくて気にせずに居ると、上記の言葉を言われた。 気付かれなくてショックだったが、まあ千年以上経ってるし、おまけに今世の僕は前世の様なお淑やかさが無くなっていた。自分でも男っぽいと感じていたし、シュテンも最初は僕を男だと勘違いしていた。 男だと思っている誤解を解いたは良いが、シュテンは素っ気ない態度を取る。 それが癪に触って、僕はその日からシュテンに付き纏い始めた。見かければ抱き付き、他の妖怪と話していても関係無しに会話に割り込んだ。 そんな事を続けていれば当然不満に思う妖怪も出てくるわけで。人のくせに生意気だ、と妖怪らしい事を言う輩が増えた。この辺りに住む妖怪たちはシュテンが僕を助けたのを知っているから、直接的な攻撃はして来なかった。意外に思うがシュテンはモテるのである。 シュテンの仲間である大妖怪たちや部下の鬼たち、取り巻きの小物の妖怪たち。会う度にやれ生意気だとか、空気を読めとか、気を遣えだとか。ネチネチ言って来るのが超うざかった。 そんなの知ったこっちゃない、こちとら千年超えてようやくシュテンに再会出来たんだ。寧ろそっちが気を遣え。くらいに思っていた。 だから周りの妖怪どもの話なんて一切聞かなかったし、嫌がるシュテンを見てもやめようとしなかった。 当時の自分を振り返ると、よくここまで傲慢に振る舞えたものだと感心した。 けど、この時は必死だったのだ。前世では手に入らなかったシュテンを、今度こそ僕の物にしたかった。 それはもう好きとか嫌いとかのレベルではなく、愛以上に烈しくも重苦しいドロドロとした感情だった。 シュテンからすれば助けた人の子に異常な程懐かれ、他の妖怪たちとの関係をめちゃくちゃにされた様なもの。当然彼はいつも怒っていた。 でも本当に嫌ならシュテンは僕を冷たく突き放したはずだ。人の子如きが調子に乗るなと。 そう、僕が調子に乗って傲慢で居られたのはシュテンのこの曖昧な態度のおかげだ。本気で嫌だと思うなら突き放すはずだから、満更ではないのだと。 シュテンの一番の部下である茨木童子からは、旦那は呆れて何も言えないだけ。と辛辣に言われたが、無視した。 シュテンは僕の物。勝手にそう思っていた。しかしそれは、ある一人の少女が現れた事で覆された。 凛音と名乗る少女は、僕と同じで妖怪が視える人間だった。彼女の血縁者に妖怪が視える者は居らず、受け継がれた血統的なものではなく、偶発的なものと判断された。 彼女もタチの悪い妖怪に襲われているところをシュテンに助けられたらしい。それ以来、二人は誰の目から見ても親しくなっていった。 僕はそれが面白くなくて何度も邪魔してやったが、シュテンの怒りがいつもの比ではなかった。 『いい加減にしろよ』 『頼むから邪魔しないでくれ』 よほど凛音ちゃんとの時間を邪魔されたくないのか、他の妖怪たちに頼んで僕を足止めしているらしかった。ひどい。 シュテンの仲間である妖怪たちの妨害を乗り越え彼らの下へ行くと、見たくない光景が広がっていた。 凛音ちゃんが幸せそうなのはまだ理解出来る。けどシュテンまで幸せそうってどういう事? シュテンはいつも眉間にシワを寄せた表情をしていた。というか、僕の前ではその表情が常なのだ。なのに、今は穏やかに笑っている。 あんな笑顔、僕は見たことがない。シュテンは僕の物、というどこから来るのか分からない自信は、音を立てて崩れ去った。 泣きそうだった。それでも必死に耐えて、耐えて耐えて。 気が付けば見知らぬ森の中に独り、立ち竦んでいた。来る途中で誰かから自業自得だの恥知らずだの声を掛けられた気がするが、もうどうでも良かった。 両目から溢れるほど涙が零れようが、喉の奥から嗚咽が漏れようが。 もう、どうでも良い。 独りは嫌だ。 独りは寂しい。 誰でも良いから傍に居てほしい、独りにしないで。 もう独りで冷たくなって死ぬのは嫌だ。 「い……や……っ」 冷たい雨が容赦なく身体を打ちつける。これは罰なのだと。人如きが妖怪に、鬼に懸想し傲慢に振る舞ったから。 僕の手から滑り落ちて行く。色んなものが。信じていた何かが。 滑稽でしかない。所詮は独りで空回っていたのだから。全部、ぜんぶ。僕の独り相撲。 忘れられていた時点で、解っていたはずなのに。未練がましく執着した結果がこれだ。いっそ笑えてくる。 ずぶ濡れのまま家に帰った次の日、僕は熱を出した。 「なんとか弱き事か、たかが風邪くらいで」 「妖であればこの程度、どうって事ないというのに」 じゃあ代わってくれ。と人の枕元で心ないことを言う妖怪たちに心の中で突っ込む。 雨に打たれたあと放置したまま寝た所為か、翌日高熱に魘されることに。おまけにそれを面白がって見物に来た妖怪たちが後を絶たない。いい加減にしろと怒鳴りたい。 「それにしても、神子様でも風邪って引くんだねぇ」 呑気な声で宣う彼は狐の妖怪。名前は知らない。覚える気もないし。ぶっちゃけシュテン以外の妖怪なんぞ興味無い。 ひんやりとした冷たい手が額に触れる。狐くんに目を向ければ、気持ちいいでしょ? と得意げに返される。 汗ばんだ手を額に触れる手に重ねると、狐くんの尻尾が左右に揺れた。嫌だったかと思ったが、狐くんはどこか嬉しそうだ。 「あはっ、神子様に触れてもらえるなんてラッキ〜」 狐くんは九尾の大妖でシュテンの友人だというのに、傲慢な僕に好意的に接する数少ない妖怪の一人だ。 僕に敵意を向ける妖怪たちと違い、珍しく友好的な態度を取る妖怪なので、その理由を訊いた事がある。 『え? 仲良くする理由? 面白いからだよ〜。俺神子様気に入ってるもん』 らしい。どうせ妖怪特有の気まぐれか何かだろう。 冷たいものに触れたためか、少し熱が下がった気がした。うつらうつらと眠気に誘われながらも、狐くんの冷え切った手を握りしめる。 その行動は殆ど無意識で、狐くんが驚いたことすら気付かなかった。 夢か現実かも判らないところを行ったり来たりしている感覚に陥っていると、ひんやりとした手が離れて行くのが分かった。 その手を掴み、強く握る。 「狐、くん……行か、な……で」 そう懇願しながらも力が緩んだ隙に手は離れてしまう。 独りは嫌だ。置いて行かないで。傍に居て、誰か。 そんな不安な心を落ち着かせる様に、優しく手を包まれた。なんの躊躇もなくその手を握り返す。 どこか懐かしさのある手だった。 目が覚めると、あれほど熱が上がっていたのが嘘の様に下がっていた。まだ身体のダルさはあるものの、殆ど全快みたいなものだ。 ずっと狐くんの手を握っていたからかな? と結論づける。 翌日には倦怠感も消え、元気になったのだが……外に出たくない。シュテンと凛音ちゃんが一緒に居るところなんか見たくなかった。 そういえば、昨日シュテンはお見舞いに来なかったな。まあ来られても困るんだけど。 熱を出す前から、シュテンを追いかけるのはやめようと心に決めていた。 僕はシュテンを自分の物にしたかった。でも僕の物にならないなら、シュテンなんか要らない。 徹底的に避けてやると誓ったのだが京都にある分家でトラブルが起きたらしく、その処理を僕が担当する事に。途端に忙しくなって、意図的にシュテンを避けなくても顔を会わせなくなった。 処理のためだけにわざわざ京都にまで行かなければならなくなり、辟易したけど事情を知られた狐くんに一緒に行きたいと申し出られ、暇潰しの為に連れて行くことにした。 「あら、(すい)様のお連れ様ですか?」 懇意にしている旅館の女将さんが、驚いた様に狐くんを凝視する。女将さんとは顔見知りなので、僕が仕事で誰かを連れてくることはないと知っていた。 視線を受け止めた狐くんはその綺麗な顔に人懐っこい笑みを浮かべた。その姿は正しく人間そのもので、一瞬妖怪だと忘れかける。 狐くんは狐の中でも上位に君臨する九尾の狐だからなのか、人間に化けるのが上手い。妖怪が視えない女将さん相手でも、姿を見せる事が出来ている。 「初めまして、(そら)です。三日間お世話になります」 礼儀正しく挨拶する狐くんを、女将さんはいたく気に入った。 一日目で仕事は終わったので、残り二日で狐くんと京都観光へ繰り出した。といっても狐くんは京都に住んでいた事があるそうだから、今更観光してもつまらないんじゃないかと思った。 「わ、何これ? 今はこんなんあるんだ」 物珍しいと言わんばかりに手当たり次第にお店を覗く姿勢に、僕が危惧していたことは杞憂に終わった。 そして京都に来て初めて知ったことがある。それは…… 「もふもふ……」 通された旅館の一室で、姿を元に戻した狐くんの揺れる尻尾が気になり、つい触ってみると。 狐くんの尻尾はとてもふわふわで柔らかいということを知った。普段シュテンにしか触れないのでこれは新発見だ。 九つの尻尾を無遠慮に触りながら顔を埋めると尻尾がふりふり動く。 (癒される……) 思えばここ数日ストレスが溜まりまくって可笑しくなりそうだった。 シュテンと凛音ちゃんの関係を認めたくないのに認めるしかなくて、他の妖怪たちからは暴言を吐かれ。おまけに慣れない後処理の仕事に忙殺されて。 今までにないほど疲れが蓄積された身体は、無意識に癒しを求めていた。だから僕は心が望むままに狐くんの尻尾を堪能した。狐くんも嫌がる素振りをしなかったので。 しかし、僕の癒しを求めたこの行動がのちにちょっとした一悶着を起こすのであった。 京都から帰った次の日、家でだらだら過ごしている僕の下に小物の妖怪たちがやって来た。 いやに慌てている様子で僕を頼ってきた妖怪たちの話を聞けば、シュテンが狐くんを殴り倒していると言う。 その話を聞いた瞬間、家を飛び出していた。 (なに、なんで……) 何で、シュテンが狐くんを殴るの? 何で狐くんはシュテンに殴られてるの? 疑問が頭を飛び交いながらも走り続けると人集りが見えてきた。妖怪たちは僕に気付くと道を開けてくれた。 開けた道の中心には、シュテンと狐くん。 「天! てめぇどういうつもりだ!? 説明しろよ、おい!」 シュテンが狐くんの身体に跨り、容赦なく拳を振るっている。鈍い音が耳に届き頭から血の気が引いて行く。 「狐くん!」 たまらず叫べばシュテンは僕の方を見てーー強く睨んだ。殺気が宿る赤の双眸は少し濁っている様に見えた。 殺気を飛ばすシュテンに怯みそうになりながらも、なんとか狐くんの上からシュテンを退かす。 狐くんは頬が腫れ上がっていて、見るからに痛々しい。そっと彼の頬に指で触れると周りの妖怪たちがどよめいた。 どんな事があろうとそこにシュテンが居れば迷わず彼に駆け寄るのが僕だったから、シュテンに目もくれずに狐くんの相手をする僕に妖怪たちは戸惑っていた。 シュテンから離れるって決めた今、僕がシュテンを瞳に映すことは無い。 「狐くん、大丈夫?」 安否を確認すると狐くんは大丈夫だと言うようにへらりと笑ってみせた。それに安堵していれば、ぐいっと腕を掴まれて無理矢理立ち上がらせられる。 「え」 戸惑う僕をよそにめちゃくちゃ機嫌の悪いシュテンが大股で歩き出す。待って痛い痛い痛い。 足の長いシュテンの一歩は僕にとって小走りになる程だ。着いて行くのが辛い。 いつも僕を置いて歩くから気付かなかったけど、シュテンは歩幅を合わせてくれてたらしい。じゃなきゃシュテンを見失ってた。 不機嫌オーラを醸し出すシュテンはしかし歩く速度を緩めた。 ほっとしていると僕の家が見えてきた。どうやらシュテンは僕の家を目指して歩いていたらしい。 ……なんでだ? 我が物顔で家に上がり込むシュテンに息を呑む。けれど誰も驚きはせず、微笑ましいと言わんばかりだった。この家の者なら妖怪が視えるのは当たり前だけど、いきなり妖怪が入って来たりしたら驚く筈だ。 なのに何で皆驚かないの? 何でそんな嬉しそうなの? 僕思いっきり引き摺られてるのに。 家の者たちの妙な態度が気になったが、シュテンが僕の部屋のドアを開けてベットに僕を放ったのでそれどころじゃなくなった。 地味に痛い。シュテンは僕に暴力的だ。凛音ちゃんには優しいくせに。 ぞんざいな扱われ方をされたのが気に喰わなくてシュテンを睨もうとしたら、シュテンが覆い被さってきた。 押し倒された事によってシュテンの匂いが鼻を掠め、思わず彼の胸に顔を寄せてしまう。 チッと大きい舌打ちが聞こえ、不愉快だったのかと思ってすぐ顔を離す。けれどガッと後頭部に手を回されシュテンの胸に顔を押し付けられる。 マジでなんなの。そう思っているとシュテンの鼻が首筋に近付き匂いを嗅ぐ。 「やっぱりそうか……」 やっぱりって何。僕臭いの? 不満げにシュテンを見上げれば、憤怒の色に染まった赤い瞳と目が合う。 「三日間、天とどこへ行ってた?」 「どこって……京都だけど」 「何で俺に言わなかった」 シュテンのその言葉に一瞬ビックリした。シュテンは僕がどこへ行こうが気にした事はなかったのに、どうして急にそんなことを言うんだろうか。 「家の仕事だったし……わざわざ言う必要も無いかなって」 「天には話したくせにか?」 「狐くんが一緒に行きたいって言うから……」 そう言うとシュテンの機嫌が更に悪くなる。今のやり取りで怒るようなとこあった?? 頭の中を疑問符でいっぱいにしているとシュテンが嫌そうに僕を見た。それに胸にズキッとした痛みが走る。 「お前、天の匂いを纏わりつかせて気持ち悪いんだよ」 狐くんの匂いが付いた事よりも、シュテンに気持ち悪いと言われ胸が抉られる。さすがにそこまで言わなくてもいいじゃん、と眉を寄せて泣きそうになるのを堪えた。 「俺が目離した隙にマーキングされやがって……」 「ご、誤解だから! 狐くんにべったりだったのは僕の方で……!」 「あ゛?」 とにかくシュテンの怒りを鎮めようと誤解を解こうとしたが、余計火に油を注いでしまったようで。睨め付けるシュテン怖い。 「随分と天を気に入ったんだな。俺以外眼中になかったのによ」 「……いやあ、あんなの知っちゃったらね」 狐くんの尻尾はずっと触ってられるほどもふもふしている。あの感触を知ってしまえば、知らなかった頃には戻れない。 「天のヤツ、後でもう一回絞める……」 狐くんにお門違いな恨み言を吐くシュテンを静かに見つめる。 シュテンがここまで怒る理由を、僕は全く理解出来ない。だってシュテンは凛音ちゃんが好きなのに。 今のシュテンは、まるで彼女が浮気した事を責める彼氏のような態度だ。もちろん僕たちはそんな関係じゃない。 「せっかく離れようって決めたのに」 言うつもりのなかった本音がぽろりと零れた。よほど驚いたのか、シュテンの赤い瞳が大きく見開かれる。 「彗、今なんて言った。俺から離れるつもりだったのか……?」 「安心しなよ、もう前みたいに付き纏ったりしないし近付かないから」 シュテンの声色が硬くなっていってる事に気付かず、僕は淡々と話す。 喜ぶと思った。いつも眉間にシワを寄せ、僕を邪険にするシュテンならば。ようやく僕から解放されると。 けれどシュテンの反応は僕の想像とは全く違っていて。黙り込んだ彼を不審に思ってその端正な顔を見上げれば、心ここに在らずと言うような表情で。 愛しい人から別れでも告げられたかのような表情に、僕相手なんだからあり得ないと否定する。 「お荷物が居なくなって、シュテンも嬉し──」 ダァン!! とシュテンが壁を殴りつける。ここ僕の部屋なんですけど。 「っざけんな!! お気に入りが見つかったら俺はポイ捨てかよっ、んなのぜってぇ許さねー。そんなに天が好きだってんなら二度と会わせられねぇようにしてやるよ」 え、なんかシュテンの勘違いが凄い、暴走してる。というか会わせられないようにするってなに、何する気。 「シュ、シュテン待って。狐くんに会えなくなるのは……」 もふもふが堪能出来ない。それは困る。アレはせっかく見つけた癒しなのに。残念がっている僕の傍でシュテンは唸り声を漏らす。 「お前、俺が好きなのに天に心変わりしたのか」 「……好きじゃないけど、シュテンのこと」 言葉を失ったシュテンに首を竦める。いやでも僕がシュテンに抱くこれは好き嫌いのレベルじゃない。愛以上に重苦しいものだ。 前世では純愛だったものがなぜここまで歪んでしまったのか。自分でもよく解らない。 「……くっ、はは、はははははっ!!」 突然笑い声を上げたシュテンにぎょっとしていると、赤い瞳に冷たい色が宿る。 ……もしかして僕、地雷踏み抜いた? 「そうかそうか、好いてくれてると思ってたがどうやら俺の勘違いだったらしいなぁ?」 へらりと笑うシュテンの表情は狂気に満ちていて、悪寒が背中を走り抜ける。急に僕を押し倒しているシュテンが別人のように思えて身体が震えた。 いきなりシュテンの生温い手が服の中に入ってきて悲鳴を上げる。 「な、なにっ!?」 「何って、既成事実作るんだよ。お前ん家子供さえ作れば相手は誰でも良いんだろ?」 「な、何で知って……」 僕の家は絶対に血を絶やさせてはいけないという家訓がある。その為には例え相手が妖怪だろうが子作りしてもいいという雰囲気だ。 どう考えてもうちは世間とかなりズレている。生き方も考え方も。けれど家訓を知るのは家の者だけなのに…… 「子供が出来れば彗も俺から離れようとは考えねぇだろ? 最初からこうしておけば良かったんだ……こうして囲んじまえば……」 シュテンがそう呟きながら服を脱がせにかかる。気持ちの伴わない行為なんてご免だと無茶苦茶に暴れた。 「おい、彗……!」 「やだ! 絶対いや!」 凛音ちゃんを好きなシュテンとなんか、死んでもするもんか! 「クソッ、千年振りに会えたってのに……」 絞り出した声でそう言ったシュテンに、ふと動きが止まる。シュテンは千年も前のことを覚えていないはずだ。 コツン、とシュテンが額を合わせて僕の目を覗き込んでくる。その眼差しは縋っているように見えて、一瞬目を細めた。 「彗は覚えちゃいねぇだろうけど、俺たちは千年前に出会ってんだよ。その人間の生まれ変わりが、お前」 「……え、シュテン僕のこと覚えてんの?」 「は? んだそれ。覚えてないのはお前の方だろうが」 「覚えてるわ!!」 シュテンの物言いにカチンときた僕は頭突きをかました。めちゃくちゃ痛いしシュテンは大してダメージ受けてない。 それでもシュテンの拘束から抜け出せたのでベットの端に寄ろうとすると、後ろから抱きしめられる。 うなじのところに唇が吸い付いて、肩がビクッと跳ねた。 「彗、本当か。本当に俺のこと覚えてんのか」 確認してくるシュテンに気恥ずかしさを覚え、無言のまま頷いた。腹に回された腕に力が入り、シュテンが息を大きく吐く。 「覚えてんなら何で俺から離れようとすんだよ、おかしいだろ」 「シュ、シュテンが……」 シュテンが僕を忘れていると思ったから。そう告げると今度は呆れたようなため息を吐いた。 「忘れないでってお前が言ったんだろうが。言っとくが、俺は一日たりとも忘れたことなんかなかったからな」 「ウソ」 「何でウソなんだよ。この状況で嘘なんか吐くか」 だって覚えてたのなら再会したあの日に何かしら言ってくるだろう。それに凛音ちゃんとイチャイチャしていたくせに。 むくれる僕をどう思ったのか、シュテンは更に僕を抱き寄せた。 「……言わなかったんじゃなくて、言えなかったんだよ。お前を男だと思ってたから」 ……あ。そういえばシュテンは最初の頃僕を男だって勘違いしてたっけ。 「まあ別に男でも囲んじまえば良いって思ってたが……男は子を産めねぇから、俺に縛り付けとく理由作りが出来なかったんだよ。それに覚えていないヤツに前世は女で俺の恋人だったとか、絶対信じねぇだろ」 あー、まあ確かに。僕が本当に男でシュテンにそんな事言われれば、複雑な気分だったかもしれない。 「女だって気付いてからも、彗は俺に異常なほど纏わりついてたから言う必要が無くなったんだよ。俺から離れるなんて夢にも思って無かったからな」 凄い自信だな。でも凛音ちゃんの事が無ければ離れようなんて考えもしなかったから、あながち間違いじゃないかも。 「そうやって胡座をかいていた所為で、彗は天に心変わりしたばかりか俺から離れるなんて暴挙に──」 「ちょっと待って! 心変わりしたのはシュテンでしょ!」 僕の指摘にシュテンは、はぁ? と眉間に眉を寄せる。 「俺がいつ心変わりしたんだよ」 「凛音ちゃんとイチャイチャしてたじゃん!」 あ。という顔つきになったシュテンを鼻で笑い飛ばす。それ見たことか。心変わりしたのは僕じゃない、シュテンだ。 「あー、そうか。お前は知らないんだったな。てか分家の人間の顔くらい覚えとけよ」 ……分家? 凛音ちゃんが? 「え、あの子祓い人なの」 「そこからかよ」 完全に呆れているシュテンの腕の中で凛音ちゃんの顔付きを思い出す。そして昔の記憶を引っ張り出し、幼い頃会った子だと思い出した。 「あー、あの子だったのか。分家の生まれなのに本家レベルの才能に恵まれた天才」 あまりにも能力が高くて、一時期本家の誰かの隠し子なんじゃないかって噂が立った。 「凛音はお前に憧れてたぜ。私を救ってくれたって」 「えー、隠し子の噂をバカらしいって一蹴しただけなのに?」 「それだけ救われたって事だろ。現に俺の命を狙ってきたほどだからな」 命を狙ったという言葉に動揺が隠せなくて震えた僕の身体をシュテンが宥めるように撫でる。 「凛音は俺が彗を誑かしこんでるって思ってたみたいでな、彗様を正気に戻せって怒鳴られたわ」 「じゃあ分家のトラブルって……」 「凛音が、将来彗の伴侶になるかもしれない俺を殺そうとしたから、本家のヤツらがブチ切れて分家に物申したそうだ。それで分家の方で一悶着あったらしい」 シュテンの説明に目が点になる。どうしてうちの人たちはそこまでシュテンに肩入れするの? 後何でシュテンが僕の将来の伴侶になるわけ? 僕がちんぷんかんぷんになっている事を察したシュテンは呆れたのか、ため息を吐いた。 「お前、俺のことあれだけ束縛しといて本家のヤツらが何も思わなかったって本気で考えてんのか? 本家のヤツらはお前が俺を好きだから、周りを一切顧みず俺に執着してるって思ってたんだとよ」 だ、だから家の人たちはさっきあんなに生温い眼差しで見てたのか……! 「で、でも他の妖怪たちはシュテンと凛音ちゃんの仲を邪魔するなって……それにシュテンも……」 「アイツらは俺と彗の関係を知らねぇし、凛音が何企んでるか判らなかったから、無闇にお前を近付かせたくなかったんだよ」 なんか……独りで空回ってた気分なんですけど…… 「……で、でもイチャイチャ……」 「まだ言うか。そもそも俺がお前以外の女に惚れると思ってんのか?」 シュテンが心外だと言わんばかりに僕を睨む。僕も信じたかったけど引き返せないところまで来ていて、負けじと言い返した。 「千年も気持ちが変わらないなんて有り得ないもん」 「まあお前は天に首ったけだもんな」 拗ねた顔で言うシュテン。好きなのは狐くんの尻尾であって、狐くん自身を好きというわけじゃない、と言おうとしたらシュテンに口を塞がれた。 今世で初めてのキスに目を見開いているとシュテンの舌が入り込んでくる。驚いてシュテンの硬い胸を押し返そうとしたがビクともしない。 顔が離れたと思ったらシュテンが悪い笑みを浮かべている。 「そこで既成事実を作るってわけだ。子供ができれば天に会いに行けなくなるだろ。それで良いんだよ、彗は俺の隣に居れば」 澄んだ赤の中に少しの濁った色が見えた気がして、何か言わなければと口を開きかけたが、まるで聞きたくないと言わんばかりにキスをされる。 長い口付けの後に押し倒されれば、シュテンは訝しげな表情を浮かべた。 「何で抵抗しねぇんだよ……」 暴れていたのが嘘のように大人しくなった僕を見て、シュテンは困惑してるみたいだった。けれど僕からすれば気持ちが伴っているのなら全然問題ない。だって相手はシュテンだよ? 嫌がる理由が無いよね。 と自己完結していれば、シュテンの機嫌が悪くなったのが分かった。なぜに。 「……お前、俺が何もしないって信じてるだろ」 まあ半分は。と心の中で答える。いや別に僕は全然襲ってもらって良いんだけど、シュテンはそんな事しない。 鬼の王だとか称えられているけれど、曲がった事は大嫌いだし卑怯な真似も許さない。妖怪の中ではかなり誠実な方だと思う。 だから僕が本気で嫌がる事を、シュテンがするはずは── 「そうかよ」 ガバッと服が捲られ、下着が露わになる。眼前に曝け出されたそれをシュテンは無表情に見つめていて…… 「うあぁぁっ!? なに!? なに!?」 突然の事にパニックに陥った僕はただ叫ぶ事しか出来ない。だって、あのシュテンが! シュテンがだよ?! ぼ、僕の服脱がせて……!! 顔から火が出そうなほど真っ赤になりながらも腕で胸を隠すと、シュテンがせせら笑う。 「黒のレースって、天の好みか?」 「そんなわけないでしょっ!?」 第一狐くんの下着の好みなんか僕が知るはずないしっ! 「じゃあ彗の趣味か? 背伸びしてるって感じだな」 「なっ……」 いつかシュテンが襲ってくれればいいと思って付けていたのに、似合ってないってこと? ああ、そりゃ僕は子供っぽいよ。前世では肉付きの良いカラダだったのに、今世では貧相と言って良い程だ。背伸びをしていると思われるのは仕方ない。 でも、シュテンにだけは言われたくなかった。 「……らい」 「彗? どうした?」 「シュテンなんか大嫌い!」 心にも思っていない事を思わず叫べば、シュテンは沈黙する。重苦しい空気が辺りを漂い始め、数秒も経たない内に後悔し懺悔した。 (違う違う違う違うちがうちがう。全然嫌ってない、嫌ってはないんだよ) あれこれと言い訳が脳内を飛び交い、しかし怖くて口を開けないし目も開けられない。ブルブル震えていると、ゆっくり僕の上からシュテンが退く気配がした。 そっと目を開けると憂いを含んだ赤い瞳がこちらを見据えている。悲しそうに揺れる二つの目と違い、口元は歪んだ笑みを浮かべている。 「好きじゃないが嫌い、か。悪かったな、無理矢理襲って」 力なくそう言ったシュテンは背中を向けて消えてしまった。伸ばした手が間に合わないくらい速く。 宙に伸ばした手は虚空を掴み、シュテンそのものを捕らえる事は出来ない。 何で嫌いだなんて言ってしまったんだろう。傷ついたとはいえ、それをシュテンに打つけるつもりは無かったのに。 「追いかけなきゃ……」 もう二度とシュテンを失いたくない。会えなくなるのは嫌だ。ずっと一緒に居たい。そんな想いを胸に秘めながらベットから降りようとすると、目の前にシュテンが現れた。 あれ? 何で戻って来たの? 困惑している僕と同じで、シュテンも戸惑いの目で見ている。その視線が僅かに下にズレている事に気付き、僕も視線を下げると。 捲られた状態のまま、胸が剥き出しになり下着もばっちり見えていた。ぶわっと一気に顔が真っ赤になる。 い、一度ならず二度までも!! シュテンに下着見られたっ!! バクバクと音が鳴る心臓を落ち着かせようと必死になっていると、シュテンが服を戻してくれた。けれど恥ずかし過ぎてシュテンの顔を見れない。枕に顔を押し付けていると背後からシュテンの手が肌を滑る。 「んあっ……」 不意打ちの攻撃に声を上げると再び服の中に手が入ってきた。いやらしい触り方にどうしても性的な事が浮かび、必死に首を振る。 「やめて……シュテン……!」 腰を抱かれ首筋に顔を埋められ、容赦なく痕を付けられていく。味わった事のない感覚に翻弄され、目尻に涙が浮かぶ。息苦しくなって枕から顔を上げると、待ってましたと言わんばかりにキスをされた。 仰向けに押し倒され深いキスに変わると、いよいよシュテンから遠慮というものが無くなる。 激しいキスをしながら手は際どいところを弄っていて、頭がぼうっとしてきた。 傷付いたから部屋を出て行ったと思ったのに、何この展開。てかこれ以上は年齢制限かかっちゃうってば!! 「シュ、シュテン!」 「ん、どした息吸いたいか?」 呼吸が乱れている僕を見てそう言ったシュテン。気遣ってくれるのは嬉しいんだけどそこじゃないんだよ。 「何で部屋戻って来たの? そして何でヤる雰囲気なの?」 「子作りするつったろーが」 それはもう良いんだよっ、十分分かったし!! と内心キレるがなんとか言葉を紡ぐ。こういう時は会話が一番大切だと思うんだ。 「僕が嫌いって言って、傷付いたんじゃないの?」 せっかくいい雰囲気なのにさっきの事を蒸し返すのは嫌だったけど、確認しておきたかった。シュテンはなんだそのことか。って呟き僕の頭を撫でる。 「嫌いって言われたのには傷付いたが、また愛してもらう様に努力すれば良いだけのことだろ」 きっぱり言うシュテンに目を見開く。あんな酷い事言ったのに少しもへこたれていないところが凄い。 「彗が何考えてるか知らねぇが、俺は惚れた女を逃すつもりは全くねーよ。例え天を好きでもまた俺に惚れさせてみせるから、首洗って待っとけ」 自信満々に宣言するシュテンの姿は眩しくて、とても格好良かった。もうとっくに惚れてるよ。と伝えたい。けれどシュテンは言いたいだけ言ったら満足したのか、愛撫の手を再開する。 「ちょっ、惚れさせるとか言っといて子作りする気なわけ?!」 「あ? 当たり前だろ。千年も待ち続けたんだからよ」 心より先に身体を堕としてもイイだろ? 鬼の王と呼ぶに相応しい凶悪な笑顔を浮かべたシュテンは、半裸の僕を見て舌舐めずりした。妖しい雰囲気を纏ったシュテンに魅せられ、ドクンッと心臓が一際強い鼓動を高鳴らせた。 美しい赤い鬼を前にして抵抗する術を全て失った僕は、大人しくシュテンに身を預ける。それに気分を良くするシュテンが狐くんと重なり、つい名前を呼んでしまった。 あ。と気付いた時には遅く、ご機嫌だった彼の気分は急降下し不機嫌を露わにした。天なんか忘れさせてやる。と低い声で言い放ったシュテンによって何度も気持ちよくさせられた挙句に、シュテン大好き。と言わされ続けた。 因みに、僕が狐くんを好きだと思い込んでいるシュテンの誤解が解けるのはもう少し先のお話。
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