7人が本棚に入れています
本棚に追加
人魚姫の恋。
彼が隣国の王女と仲睦まじく話す姿を見てまた胸が痛む。
彼を助けたのは僕なのに……
彼が海で溺れているところを人魚だった僕は助けて海岸に運んだ。
けれど何故か彼は目を覚ました時に傍に居た王女を命の恩人だと思い込んだ。
それが悔しくて魔法使いに頼み込み人間の姿にしてもらった。
代わりに声を奪われたけど、これで彼に会える。そう思ったのに王子は王女しか見ない。
貴方を助けたのは僕なのに。気付いてよ。
城の与えられた部屋で悲しみに暮れているとノックの音が響いた。
顔を上げれば王子が心配そうな表情をして立っていた。
「食事を取らなかったと聞いたが、大丈夫か?」
今日は何かを食べる気がしなくて朝食を拒んだ。それは図らずも彼の気を引く事に成功したらしい。
声が出せないので頷いて見せると、彼は綺麗な顔に陰を落とした。
「ちゃんと食べないと駄目だろう。君は痩せ過ぎだ」
王子の言葉に首を傾げながら自分の身体を見下ろす。言うほど痩せてるだろうか。
彼は僕を優しく抱き上げベッドに運んだ。彼は僕を妹の様に扱う。
決して王女の様には接してくれない。
魔法使いが言うには王子に愛されなければ泡になって消えてしまうらしい。
消えるのは怖くない。でもこの想いを一度で良いから彼に伝えたい。
その日の夜、部屋に魔法使いが現れた。
「よう、調子はどうだ?」
彼は笑いながら問い掛けて来た。黙って首を振ると魔法使いはそうだろうなあ。と楽しそうに言う。
「本題に入るがお前はこのままだと泡になって消える。それが嫌ならこれで王子を殺せ」
そう言って魔法使いが渡したのは銀製のナイフだった。
「心臓を一突きすれば俺が掛けた呪いが解ける。そうすればお前は泡にならなくても済むぞ」
分からなかった。彼に人間になりたいと言った時、代償を払えと声を奪われた。
なのに今度は呪いを解く為に王子を殺せ? おちょくってるとしか思えない。
「お前の事だから面白がってるだけだと思ってるだろ? 違うんだよなあ。人間なんかに恋したって所詮報われないって教えたかったんだよ。お前は声まで失ったのに彼奴は見向きもしない。惨めだな」
魔法使いの言葉一つ一つが胸の奥に突き刺さる。彼の言う事は何も間違っていなかった。
王子は王女を愛してる。それは紛れもない事実で。
僕が愛されることなんて絶対にない。
魔法使いは僕を抱きしめながら囁く。
「あんな奴より、俺がお前を愛してやるよ。だからアイツの事は殺して忘れろ」
その言葉に、心がひどく動揺した。
夜中に王子の部屋に忍び込み銀のナイフを握りしめながら彼に近付く。
眠っているのを確認して彼の上に跨り心臓部分にナイフを突き立てる。カタカタと震えるのを抑えてナイフで刺そうとした時だ。
「君が夜襲を仕掛けるとは思わなかった」
腕を絡め取られて驚いた拍子にナイフが床に落ちてしまって焦る。
王子は薄ら笑いを浮かべながら片方の手を僕の腰に回して固定した。
「で? 何故俺を殺そうとした?」
彼は殺されそうになったというのに笑顔のままだった。それがとても怖い。
何も言えないでいると、彼は冷ややかな笑みを浮かべた。優しく接してくれた彼とは思えないほどの冷酷な雰囲気に知らず身体が震える。
「男と共謀して俺の命を狙いにくるなんて、あの男にそれほど惹かれているのか?」
男? 魔法使いの彼の事だろうか。それ以前になんで彼は魔法使いと僕の関係を知っているんだろう?
不思議だと思っていたのが表情に出ていたのか、王子とは思えない盛大な舌打ちを打った。
「二人きりで密会し、抱き合っていただろ。俺よりそんな男を愛するなんて、相変わらず君の考えていることは全く理解できない」
真っ向から否定された僕の視界は、次第にぼやけて行った。せめて泣くまいと握った拳に力を込める。
「君は、俺の命を奪ってやろうと思うくらい、俺が嫌いだったのか? 触れることすら厭うていたのか?」
そんな訳ない。好きな人に触れてもらえるのはなによりも幸せで……けれど辛かった。
だって、この手はいつか僕以外の女の手を取ると知っているから。
顔を大きく歪めるとそこで彼はあることに気づいた。
「ああ、喋れないんだったな。なら紙に事情を書け」
サイドテーブルの傍にあったペンと紙を目の前に突き出される。
……事情を話して、分かってもらえるかな。貴方を助けたのは僕だと。
僕はペンを使って紙に詳細を書いた。人魚の姿で王子を助けた事、魔法使いに人間にしてもらった代わりに声を失った事。王子を殺さないと僕が泡になって消える事。
それを読んだ王子は見る間に青ざめて行く。
「君が、俺を……?」
信じられない様な目で見る彼にやっぱり信じて貰うのは無理だったのだと落胆する。
『ごめんなさい。もう二度と貴方の前に現れません』
そう書いたのを見せてから彼から離れようとしたけど、彼は一向に離してはくれなかった。
戸惑いながら彼を見ると感情が抜け落ちたアイスブルーの瞳と視線が交わる。
「俺の元から居なくなる? そしてあの男と結ばれるというのか? そんなバカな話があってたまるか」
王子は乱暴に僕の下顎を掴むとキスをした。
突然の事に思考が追い付かず彼に為すがままにされ抵抗もしなかった。
「君はずっと俺のものだ。他の男になんか絶対に渡さない」
力強く宣言する彼に安心して、とうとう涙がこぼれた。流れ落ちる涙を掬いながら、彼は眉を寄せる。
「俺を助けたのが君だと気付いていたら、あの女と婚約をしようとは思わなかったのに」
彼の言う言葉に若干驚いていると、彼は困った様に微笑う。
「俺をどうやって助けたのか訊くと、曖昧な事ばかり言って信用出来なかったんだ。若しかしたら恩人は別の人なんじゃないかと」
……彼がそう考えてたなら、もっと早く真実を話せば良かった。
「ごめんなさい……え?」
声が、出る。まさか呪いが解けたの?
王子も初めて聞く僕の声に唖然とする。けれど直ぐにベッドに押し倒された。
「失った声が戻ったなら、もう君が消える事はない。俺と結婚しよう」
優しい声音に泣きそうになりながらもなんとか頷く事だけが出来た。
王子は蕩ける様な笑顔になり、額に口付けた。
「ずっと気付かなくて済まなかった。これから君を大切にすると約束する」
こうして人魚姫は、泡にならずに済みましたとさ。
最初のコメントを投稿しよう!