秘密の関係。

1/1
前へ
/12ページ
次へ

秘密の関係。

ぼうっとしたまま窓の外を眺めていると授業の終わりを知らせるチャイムが鳴る。 時計を確認した先生は持っていた教科書を閉じる。 「今日はここまで。さっき教えたところをよく覚えておくように。あと柏木、ちょっと来い」 担任かつ指導部の教師に呼び出された事でクラスメイトの好奇心を含んだ視線が突き刺さる。 無表情を保ったまま先生の後をついて行くと廊下の端で先生は立ち止まる。 「授業中殆どうわの空だったな。ちゃんと俺の話聴いてたか?」 どうやら授業態度が悪いと疑われているようなので、先程の授業内容をつらつらと言い挙げる。 先生は呆れた様に片方の手で顔を覆い、お前さぁ……と軽く唸る。 美しい容貌をこれでもかと歪ませているというのに、美しさが損なわれないなんて最早嫌味だ。 「聴いているなら態度に示せ。他の先生から今の所苦情は来ていないけど、成績に関わって来るのはお前もマズイだろ」 諭すように言われ気まずさから目を逸らす。 他の先生から苦情が来る事は無いだろう。うわの空になるのはこの人の時だけだから。 この人は洞察力が鋭いから、授業に集中していない生徒を一発で見分けてしまう。それを利用して、わざとうわの空であるかの様に振る舞ってるだけだ。 橘先生は日本史の授業を担当しているイケメン教師。 顔良し、頭良し、性格良しと生徒達に大人気な先生なのだが…… 「今日はクズじゃないんですね」 そう言うと先生にギロリと睨まれる。 橘先生のクズとドSっぷりを見たのは偶然だけどここまで面白くなるとは思わなかった。 先生を見るたび、あの日のやり取りが思い出される。 学校の帰り道、道草しようと思って家とは反対方向の道を進んでいたとき。 路地裏から争う様な声が聞こえたから覗いてみれば、橘先生と女性が言い争いをしていた。 内容はただの痴話喧嘩。けれど驚くべきは橘先生の口調だった。 学校で教えている時とは似ても似つかない乱暴な言い方と、相手の女性を見下した発言の数々。 どうやら相手の女性が寂しくて浮気をしたのが喧嘩の理由らしいけど、先生の暴言は暴言と捉えるには周りくどて、余計に心に突き刺さる言葉だった。 普通はその人の本性を目撃した場合、嫌悪やら恐怖を抱くのが当たり前だけど。 僕は……笑いが止まらなかった。 あの完璧過ぎるイケメン教師の本性が、超が付くほどドSでクズみたいな性格だなんて誰も思わない。 しかし僕は知ってしまった。この人の唯一の弱みを。 笑い続ける僕に気づいた二人が硬直しているのにも拘らず更に笑うと、橘先生は僕をその場から連れ出した。 ある程度離れた場所で、先生から今見た事は誰にも話すな。と口止めされた。 僕はこの人に好意を抱いていたから即了解したのに、先生は不安を煽られたのかーもしくは信じてないー僕のSNSのアカウントを監視し出した。 他にもやり様は在るだろうに。先生のこういう所が好きなんだよなぁ……他は気に喰わないけど。 「俺の人生の中で最大の汚点は生徒のお前に見られた事だよ」 忌々しそうに言う橘先生を宥めようと両手を前に押し出す。 「まあまあ。そう気を落とさなくても良いじゃないですか」 「お前に言われたくない」 先生は美しい顔を盛大に歪めて苦々しげに言う。酷い言い様だな。 「逆に何で僕が先生の本性を他人にバラすと思うんですか? こんな面白い事を他人と共有する筈が無いでしょう」 「お前のそういう所っていっそ清々しいよな」 橘先生は感心した様に言う。褒め言葉として受け取っておこう。 「……まあいい。次から授業態度改めろよ」 遠ざかっていく先生の後ろ姿を見送りながら、好きだって告白したらどんな反応をするのかと考える。 橘先生の本性、けっこうタイプなんだよね。 「どうすっかなー」 先生、貴方の心はどうしたら手に入りますか。 放課後、数学の先生に捕まった僕は資料室の片付けをするように頼まれた。 実際には強制に近いもので、僕に拒否権なんてものは在りはしなかった。 ていうか生徒に片付けやらせる? 黙々と資料を片していると誰かが資料室のドアを開けた。 足音は二人分だし、誰だろうと隙間から覗くと橘先生が可愛らしい女子生徒と一緒に居る。 ふーん、なんか面白そうな展開……告白かな。 二人からは見えないのを良い事に息を潜めていると、女子生徒が真っ赤な顔で口を開く。 「私、先生が好きなんです! 一人の男性として……!」 わーどストレートな告白。先生はどう返すんだろ。 とこの状況を愉しむ僕は次の瞬間、凍り付いた。 「ありがとう。でもごめん、俺は生徒とは付き合わないんだ」 眉根を寄せて申し訳なく笑う先生の笑顔は見た事もないくらい綺麗だった。 それが僕に向けられていない事に胸が苦しくなる。 フラれた女子生徒も泣きそうな顔をして、失礼します。と言って去って行った。 でも僕にはそんな事どうでもいい。この持て余した感情、どうしてくれよう…… ふっと人の気配がして、顔を上げれば橘先生が無表情で僕を見下ろしていて。 本能が何かを感じ取ったのか、直ぐに距離を取ろうとした。 けれど橘先生は素早く僕を壁に押し付けた。 強い痛みに顔を歪めると、先生はさっきとは違う冷え冷えとした笑顔を浮かべる。 「覗き見とは随分と良い趣味だな?」 「違いますよ、不可抗力です」 僕何も悪くないし。たまたま居合わせただけで怒られるのは理不尽だ。 「ふーん?」 足の間に先生の膝が入り込み上の方にググッと力を入れて来た。 「……んっ」 変な声が出て慌てて口元を押さえる。 見上げれば先生はニヤニヤと笑っていて。彼の口元が僕の耳に寄せられた。 「可愛いよ、瑠璃」 名前で呼ばれた嬉しさよりも顎を掴まれてキスをされた方が衝撃だった。 生温かい舌が口の中で暴れ回り着いて行くのが精一杯だ。 ようやく先生の顔が離れた頃には息も絶え絶えになっていた。 力が抜け崩れ落ちそうになった僕を先生は腕で支え、そのまま離そうとしない。 愛おしげに髪を撫でる先生の指の熱が伝わり、心臓の鼓動が高鳴っていく。 「な、何でこんな事……」 「こんな事って?」 意地悪く訊いてくる先生を涙目で見上げると彼から余裕の笑みが消える。 それで確信した。 「……先生、僕の事好きなんですか」 「お前はどうなの?」 僕の質問に答えてくれないので無言を貫くと先生はまたキスを繰り返す。 何度も交わす口付けは、言葉で説明するよりも如実に答えを導き出している。 なにより、先生から注がれる熱い視線。これを演技というなら、大した役者だ。 先生を離したくなくて彼の首に腕を回すと、先生は満足そうに口元を緩める。 僕らの間に、また一つ秘密が増えた。
/12ページ

最初のコメントを投稿しよう!

7人が本棚に入れています
本棚に追加