3 影へ

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3 影へ

 ひと月経って何も音沙汰なし。  何度もメールを確認すれども、返信なども来ず。電話も来ず。手紙なんかもってのほか。  はあー、そうだよねぇ。所詮、素人の文章なんか読んでられないよね。私以外にも同じ考えに至った人もいるだろうし、その人の作品が採用される可能性のほうが高い。  なんせ私は初心者だし。クジとかギャンブルみたいに、ビギナーズラックなんてないような世界だもん。  今万が一続きか他のを書いてくださいって言われたらヤバいね。あの1作を書いてから、脳から新しい映像が出て来なくなった。その書き方しかしてないから、他のやり方で書こうにもまったく書けないし。だから自然と断筆状態。絶対、作家向きじゃないわ。  やっぱり、非生産的な生活が1番なのかもしれない。人は生涯に1作は作品を残すと言われているけど、それがあの作品だっただけだ。  今日は土曜日。早起きもできたし、ゆっくり過ごそう。テレビをザッピングして、情報番組でも――ってあれ? 番組のラテ欄に書いてなかったゲストがいる。 「全国のみなさん、おはようございます! 富小路(とみのこうじ)コトミんでーす♪」  番組MCやレギュラー陣にイジられまくる富小路。彼女は嫌な顔ひとつせずに、イジりをウィットに富んだボケで返しながら「実はー」と切り出した。 「新作『昇圧の波動』が今月末に出まーす! あっ、でもでも、買うのは大学生以上ね☆ 怖くて、グロ~いお話だから。初めてホラーに挑戦してみました!」 「あれ、今月末の長編変わったんだ?」「それ、私の小説!!」  番組のMCと私のツッコミは同時だった。もちろん私の声など届かず、部屋に虚しく響いただけだった。すると、  ♪ピーンポーン♪  突然のチャイムに今度は悲鳴が出そうになった。壁ドンならぬ直接ドン! か。いやいや、何を言っているんだ私は。  覗き穴から確認。若い女性だ。マジで知らない人。一応出てみようか。 「はい、なんでしょうか?」 「安威(あい)了子(さとこ)さんですよね?」  片目が長い黒い前髪に隠れ、そうでない目は生気がなく沈んだように見えた。やけに落ち着いた声と不気味な雰囲気に、緊張感が体中に走る。  普通なら了子(りょうこ)と読み間違えられるのに、正しく一発で読んできた。この女、タダ者ではない。   女の胸ポケットから折り畳まれた紙が出てくる。もしかして令状? 全身の血の気がサーッと引いていく。  パッと広げられたそれは、私が送った募集要項を印刷したものだった。ということは、この人が――。 「少しお話できますか?」  状況が読み込めず、生返事を返し、とりあえず部屋に上がってもらうことにした。 * * * 「あなたが富小路コトミさんなんですか!?」  しまったと思い、自分の口を塞ぐ。いくら防音が行き届いているとは言え、声量が大きすぎる。 「そうなのだけど、あの娘も含めて富小路コトミなの」  名刺を渡してくる。あの娘とはテレビに映っている金髪のケバケバしいギャルのことである。 「わたしとあの娘は双子なの。メイクを取ればわたしと瓜ふたつなんだから」 「そうなんですか!?」 「そうなのよ。どうしても、人前が苦手で……だからあの娘にはメディア担当を任せたの」  どうしよう。この人を部屋に上げてから、まだサプライズしか出て来ない。喉が潰れてしまうし、驚きのバリエーションが尽きてしまう。 「それにしても、多作ですよね。よくそんなハイペースで書けますね」 「幼いころから読むのも書くことも好きだったの。今年はさすがに貯金を切り崩している感はあるけどね」 「それで、どうしてあんなお願い染みたことをしたんですか」 「わたしには野望がある。ありとあらゆるジャンルで名を残すこと。けどね、書けないジャンルがどうしてもあるの。興味というか食指が伸びないと言えばいいのかしら」  真顔で凄みのあることを語るコトミさんから、有無を言わさぬ意志が伝わってくる。このレベルの作家でも、そんなことがあるもんなんだね。 「生涯版の執筆計画を改めて確認したら、未ジャンルに取りかかる暇がなかった。だからあのころ、書きたいジャンルを並べて、お願いしたわけなの」 「そして私が引っかかったと……。その、私なんかの小説でよかったんですか? ぶっちゃけますけど、あれ処女作なんですよ」 「うん、ひと目見てわかった。でも、おもしろかったのよ。文章はまだまだだけど、筋は売れるレベルのお話だった。  料理で人を殺す。しかも殺した直後に、ひとり1ヶ所切り落とす部位に血を集めて叩き切るなんて、サイコもサイコよね。  あと、感心したのは包丁や痛そうな調理器具の種類も用途にも詳しいようだから、この小説を書いたのは料理人か実は殺人犯かなってあの娘と話してたの」 「あ、ありがとうございます!」  いろいろ不名誉なことを言われてるけど、褒められたことは嬉しかった。が、急に不安になった。大々的に売り出されて、売れなかったらどうしよう……。 「いいんですか? 先生が書いてないのに売り出してしまって」 「さっきも言ったけど、わたしは名を残したいだけだから、全然構わない」 「は、はあ……」 「貴女がどんな作品を書くか読んでみたい。貴女だって、何か思うところがあって送って来たんでしょう。創作意欲を突き動かした何かが」  片目でも充分射殺せるぐらい鋭い視線が突き刺さる。まるでヤクザの姐(あね)さんだ。 「私、自分の店を出すのが夢なんです。自分の料理を多くの人に食べて喜んでもらいたいんです! だから、お金が必要で……!」  正直にハッキリ言ったおかげか、コトミさんの頬が緩んだ。手提げ袋を机の上に置いた。 「売り上げ見込みで即金ね」  小さな手提げ袋を広げると、帯付きの100万円が何個か入っていた。 「500万は入ってるはずよ。売り上げに応じてさらに振り込んでおくから」 「あ、あの……」 「あと、貴女の正直なことを言ったから、もう100万ね」  胸ポケットから帯付きの100万円がなんのてらいもなく取り出し、袋の傍らにバン! と置かれた。目の前の大量の1万円札に、私の心は乱れに乱れた。 「どうかしら? わたしの影(ゴースト)になってみない?」 「ゴースト? ゴーストライターですね? やります! やらせてください!!」 「よろしく頼むわね、サトコ先生♡」  コトミさんの期待の眼差しに、言い知れぬ熱いものが全身を駆け巡った。  こうして私は、売れっ子作家の富小路コトミのゴーストライターを始めることになったのだった。
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