1 天啓

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1 天啓

 通勤で疲れ、仕事で疲れ、アパートに帰ってきて玄関の照明を点ける。安心感はあるけど、それ以上に疲れがドッと押し寄せてくる。  これからある程度の家事をしなければならない。掃除は週末の休みにするとして、洗濯と食事の支度だ。  スーツを脱ぎ捨てベットにダイブしたい衝動を抑え、きちんとハンガーにかけて消臭スプレーをかける。Yシャツや下着類を洗濯機に投げ込んで、回している間にシャワーを浴びる。  洗いざらい不快なものを落としたおかげか、ようやく気力が生き返り、鼻歌混じりで2、3品料理を作った。取りかかればなんてことないのだが、取りかかるまでがとんでもなくダルい。  料理をすること自体好きだ。両親が忙しく、子どものころから料理をしていることもあって、どうしても出来合いの物で済ませたくない。包丁を始め、様々な調理器具にも魅力を感じて集めたりもした。進路はもちろん調理系の専門学校へ行った。  だから、思う。調理系の専門学校からどうして営業の仕事に就いたんだろう?   とにかく稼げる仕事がしたかった。それはお金を貯めて自分の小さな店を持ちたい夢があるからだ。ただ、その一心で今の仕事をしている。……でも、こんなに心身を擦り減らすのなら、収入は減るし、夢を叶えるまでの時間はかかるけど、違う職に就けばよかったのかもしれない。  髪を乾かしたり、ボディケアを済ませ、洗濯物を干し終えてから夕食を食べ始める。賑やかしにテレビのスイッチを入れると、今ノリに乗っている作家がバラエティ番組に出ていた。  度しがたいほどのまっ金髪にケバケバしいメイク。露出が多めのギャル系のファッションに身を包んだ若い女。  富小路(とみのこうじ)コトミ。  本名ではないらしいが、大層ご立派な苗字をつけもんだなと見るたび思う。よく、公家系統のあんまり見かけないようなところから引っ張ってきたもんだ。  頭はそれなりにいい抜けたキャラとスタイルの良さから、鼻の下をだらしなく伸ばし切った男ども連中や、女子中高大生あたりまで絶大な支持を得ている。  タレントとしては今年になってようやく姿を現した駆け出しだが、作家業は女子高校生のころからキャリアが始まっている。  どんなジャンルを書くのかと言えば、特定のジャンルなどない。やけに知性的な硬い内容のものを書いたり、一時期流行ったケータイ小説的なものを書いたり、中国の五胡十六国や日本の南北朝時代を大胆にアレンジしてラノベに仕立て上げたり。  とにかく、その都度出す作品に世間は彼女のギャップと筆力に驚かされ続ける。そして、いつも持ち上がる疑惑があった。  ゴーストライターがいるのではないか――  と。  マスコミが嗅ぎまわっているらしいが、確たる証拠はつかめていないし、当然本人は否認している。仮にそうだとしても言わないでしょうよ。  まあ、多作な作家ほど怪しいものはない。こうやってテレビやインターネットの番組に出ていることも増えた。だから、果たして執筆や構想に時間が取れているのか? 誰でも疑問に思う。私だってそう思う。  今年は非常に精力的だ。基本的に毎週短編――1万文字~3万文字程度――と、月末には長編1本を出版。このペースを下半期に突入する今でも崩さない。ハッキリ言ってイカレている。 「今度は書いたことないジャンルを書きたいですねー。ホラー、ミステリー、スペースオペラ、歴史改変SF……あ、子どもが読んじゃダメ―なやつもいいですね♪」  司会者に振られ、能天気の口調でさらっと言ってのける富小路センセイ。なんだ、その辺はまだ全然書いてないんだ。  ――ッ!  頭の中でパッと映像が浮かんだかと思うと、それがパラパラマンガのように流れ始めた。  え? 何これ? 前に観たドラマか映画? いやでも、こんな内容じゃないような……。  何度か頭を振って映像を振り払う。  そうか、これはある種の天啓だ。富小路が書いたことのないホラーを書いて、奴に送り付けてやればいい。スプラッター成分もおまけにつけてやろう。この際、ゴーストライターがいるいないなんてどうでもいい。。  ただ、問題がある。小説はおろか作文や小論文を書くのも苦労した筆不精が書けるのか。……いや、これをきっかけに書くんだ。ゴーストライターなら何割か報酬ももらえるはずだし、何もなかったら週刊誌あたりにチクればいい。  早いところ私は自分の人生を歩みたいんだ。
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