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第5話 悪魔(オグル)
どういうことかと眉根を寄せる深雪に、オリヴィエは淡々と話し続ける。
「修道院で暮らしはじめた私は、すぐある事に気づきました。身の内に何か得体の知れない者が存在することに……私は言いようのない恐怖に駆られつつも、何度も気のせいだと思い込もうとしました。けれど、それは確かに存在するのです。おまけに彼は私の中に棲みついて、そこから出て行く気配はまったくありません。やがて私は恐るおそる、彼に話しかけました。あなたは何者なのか、どこから来たのか、どうして私の中にいるのか。彼はその質問にすべて答えました」
「ええと……つまり二重人格みたいなもの?」
「そうかもしれません。ただ彼が何者であるかは、私にはどうでも良かった。恐ろしかったのは、彼が信じられないほどおぞましい思想を持った悪魔だったということです。彼の主義主張など口にするのも汚らわしい。決して存在を許してはならない、禍々しい悪魔そのものです。ですから私は、彼を悪魔と呼んでいました」
「よ……よっぽど嫌いだったんだね」
先ほどオリヴィエは奈落のことを憎たらしげに悪魔と呼んでいたが、悪魔に対する感情とはまるで違う。オリヴィエは心の底から悪魔を忌み嫌い、同時に恐れているように感じた。
それは深雪の気のせいではないらしく、オリヴィエは強い口調で忌々しげに吐露する。
「私は悩み苦しみました。どうしてこんな悪魔が身の内に宿ってしまったのか。神に背き悪魔を宿してしまった自分は、償いようのない恐ろしい罪を背負っているのではないかと。あまりの罪深さに死を考えたこともあります。もし私が自死すれば、あの悪魔も一緒に葬り去ることができると思ったのです。しかし、一度も成功しませんでした。私がどれだけ死を望んでも、身の内に棲む悪魔と《聖痕)》が死なせてはくれないのです」
「その……悪魔は今もオリヴィエの中にいるのか?」
「いえ、今はいません。悪魔と私は二つに分かれたからです」
「分かれた……? どうやって?」
深雪が訊ねた瞬間、オリヴィエの両手の甲から、どす黒い血が―――《聖痕》が凄まじい勢いであふれ出る。そしてオリヴィエの白い手袋が指先まで血に染まったかと思うと、そこから赤黒い雫がボタボタと地面に滴り落ちる。
ここまで来ると、いくら大丈夫だと言われても、さすがに放ってはおけない。
「それ本当に大丈夫!? 俺、救急箱を持ってくるよ!」
「え……ええ、すみません……」
深雪は事務所の二階に向かうと、ミーティングルームの奥にある備品倉庫へと向かった。そこから救急箱を取り出し、一階に戻ると、キッチンにあるダイニングセットの椅子にオリヴィエを座らせる。
血に染まった手袋を外すと、オリヴィエの手全体がどす黒い血で染まっていた。深雪は消毒薬を含ませたコットンで血を拭き取り、オリヴィエの手に包帯を巻きながら尋ねた。
「もしかしてだけどさ、《聖痕》が制御できてないんじゃないか?」
「私が悪魔の話をしたからでしょう。恐れと怒り、そして激しい殺気を抱いているのを感じます」
深雪はその言葉を奇異に思った。オリヴィエの言い方だと、自分のアニムスなのに、まるで他人のアニムスのようだ。いや、《聖痕》にオリヴィエとは別個の人格と意思が宿っているように聞こえてしまう。
「それから……」
「それから?」
「いえ……何でもありません」
オリヴィエはそう言って瞳を伏せた。顔色はやはり悪い。自分の過去を打ち明けるのが辛いこともあるだろうし、《聖痕》が暴走して大量の血を失っているので、余計に血色が悪いのかもしれない。
わずかの間、静寂がキッチンを包む。それを破ったのはオリヴィエだった。
「……話を戻しますが、修道院の子どもたちを殺害したのは悪魔です」
「え……でも悪魔はオリヴィエの中にいるんだろ? それじゃ、オリヴィエが子供たちを殺したことになってしまうんじゃ……?」
「ある意味では正しく、ある意味では違うとも言えます。……先ほども言いましたが、悪魔は私の中から去っていきました。ただ、悪魔が私から離れるためには、修道院の子どもたちを殺す必要があったのですよ。悪魔が必要としたのは彼らの肉体です。修道院で共に育った私の友人たちは全員、悪魔の餌食となってしまったのです……!!」
「……」
「あれから悪魔とは一度も会っていません。ですが、今もどこかで生きているはずです。私が東雲探偵事務に入ったのは、それが理由のひとつでもあります。この事務所であれば万が一、私に何かあっても対処してくれるでしょうから……」
つまりオリヴィエが東雲探偵事務所に協力しているのは、悪魔に脅かされているからなのだ。オリヴィエは東雲探偵事務所に協力していると同時に、その身を事務所から守ってもらっているのだ。そういった意味では深雪と立場が似ているかもしれない。ただ―――
(……よく分からないな。いわゆる多重人格症の話みたいに聞こえるけど、それとはちょっと違うみたいだし……)
実際、今までオリヴィエと接してきて多重人格を疑ったことは無いし、複数の人格がオリヴィエに現れたこともない。いわゆる多重人格―――解離性同一障害の条件とはさまざまな点で食い違う。
それに分裂した人格が統合するならまだしも、別れた人格そのまま消えて、片方だけが残ることなどあり得るのだろうか。オリヴィエの言う悪魔とはいったい何なのだろう。
すると深雪の困惑が伝わってしまったのか、オリヴィエは悄然として肩を落とす。
「……すみません。荒唐無稽な話をしてしまいましたね」
深雪は慌てて否定しようとするが、そうすれば、かえって逆効果になると気付いてしまう。オリヴィエは自覚しているのだ。自分が信じられないような話をしているのだと。
ただ、深雪はオリヴィエの話を頭ごなしに「おかしい」と決めつけたくなかった。
「ごめん……正直にいうと完全には理解できてないと思う。でも……俺はオリヴィエの言うことを信じるよ。オリヴィエは嘘をついたりしないって知ってるから」
それを聞いたオリヴィエは少しだけ嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます……深雪は優しいですね。日本に来てこの話をしたのは、六道に次いで二人目です」
やはりと深雪は思う。オリヴィエの過去や悪魔の存在は六道も知っているのではないか。そして六道はオリヴィエの話を事実だと認めたからこそ、こうして事務所に置いているのだろう。
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