第5話 悪魔(オグル)

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 オリヴィエは先ほどより表情が明るくなったように見えた。話すべきことを話し終えて、胸のつかえが取れたのだろう。包帯を巻いてから、《聖痕(スティグマ)》の様子も落ち着いている。 「すみません、私の話ばかりしてしまいましたね。そういえば……深雪はこの事務所を離れることを考えたことは無いのですか? 深雪はもともと《死刑執行人(リーパー)》になることを嫌がっていたでしょう?」  突然、オリヴィエに尋ねられ、深雪は面食らってしまう。深雪が《監獄都市》に来てから、オリヴィエは幾度となく同じことを問いかけてきた。それでも深雪の答えは変わらない。 「……今でも《死刑執行人(リーパー)》に対する抵抗感はあるよ。でも、もう事務所を離れることは考えていない。それは俺が過去に犯した罪から逃げる、卑怯なことだから……」 「罪……ひょっとして以前話してくれた深雪の過去と、何か関係があるのですか?」 「……ああ」  深雪が頷くと、オリヴィエはにわかに顔を曇らせた。誰かの身を案じる時の、いつもの表情だ。 「以前にも話しましたが……私は正直に言って、深雪に《死刑執行人(リーパー)》になって欲しくありません。深雪は心の優しい普通の子です。このような世界に長居(ながい)をして欲しくないのです」 「オリヴィエ……」 「この事務所のメンバーはみな、こういう場所でしか生きられない者ばかりです。奈落や私はもちろん神狼(シェンラン)、流星、マリア、そしてシロ……みな破壊し、奪うことしかできない。どんなに望んでも光の中では生きられない、生まれながらの大罪人なのです。でも、あなたは自分の罪を償えばまだ引き返せる……まだやり直せるのですよ」  それは買いかぶりだと深雪は思う。深雪は許されざる罪を犯した。自分がクローンだという点を差し引いても、とても光の中で生きていく資格があるとは思えない。  ただ、オリヴィエの考えは深雪とは違う。オリヴィエにとって、深雪は良くも悪くもその辺のストリート=ダストと変わらないのだろう。オリヴィエの気持ちが嬉しいと感じる時もあるし、困ったと感じる時もある。今は後者だ。  深雪はオリヴィエにどう答えたものかと頭を悩ませていると、不意に低くハスキーな声が割って入った。 「また新手の宗教勧誘(かんゆう)か。次から次へと、よくもまあ思いつくものだな」  深雪が驚いてキッチンの入り口に目をやると、いつの間にかそこに奈落が立っていた。いつもの黒い眼帯に黒い軍服。身長は二メートル近くあるのに、まったくと言っていいほど気配を感じさせない。  黒い皮手袋をした手には、何やら紙袋を抱えている。その姿を目にしたオリヴィエは途端に半眼となった。 「……私はただ深雪と話をしていただけです。あなたこそ少々、物事を穿(うが)った目で見過ぎなのではありませんか?」  すると奈落は隻眼(せきがん)を細め、これでもかと傲岸不遜(ごうがんふそん)な態度で人差し指をオリヴィエへと突きつける。 「いいか、俺は煙草を勝手口で吸っている。お前が口うるさく言うからだ。だからお前も懺悔室(ざんげしつ)でもない場所で説教くさい話をするのはやめろ。前から言っているだろうが。……そもそも何故、他人の人生に干渉し、支配しようとする? 神父だったらその資格があるとでも言うのか?」 「何を言っているのですか、あなたの喫煙の件は、人として最低限度のマナーの話でしょう! それと私が神父であることを同列に語られては困ります!」  深雪は慌てて二人の間に割って入った。二人の口喧嘩を放っておいたら、どんどん燃え上がることはあっても、自然に鎮火(ちんか)することはない。 「まあまあ! やめなよ二人とも! ……奈落、ずいぶん早いんだね。予定では夕方から事務所に入るって聞いてたけど」  すると奈落は鋭利な隻眼を深雪へと向ける。 「暇だから来てやったんだ。おい、手伝え」 「手伝うって……俺が? その紙袋、何が入ってるの?」  不思議に思って尋ねると、奈落は紙袋を乱暴に深雪へと寄越した。深雪が紙袋を開いて中身を覗くと電球がいくつか入っていた。深雪は思わず目を(またた)かせる。 「これ電球……?」 「この間、地下に巣食う引きこもりが連れ去られただろう。その際に事務所の中を調べたら、電球の切れている箇所がいくつかあった」 「え……どこ?」 「三階と二階の廊下だ。あと階段の踊り場だな」 「そうなんだ……意外とマメなんだな」  深雪が感想を素直に述べると、実に奈落らしい返答が返ってきた。 「道具や住居のメンテナンスは手を抜くべきじゃない。万が一の事が起こった時に、放置した不備が命取りになるからな」 「な、なるほど……」  命取りになるかどうかは定かでないが、メンテナンスすべきというのは深雪も賛成だ。思ったより真っ当な意見が奈落の口から飛び出して、戸惑っているくらいだ。そんな深雪の後ろで、オリヴィエが冷やかに指摘する。 「深雪、真に受ける必要はありませんよ。万が一の事が起きなくても、切れた電球を取り換えるのは、ごく当たり前のことです」  そう言われた奈落も負けてはいない。 「そういうお前こそ、まだ鑑賞し愛でるだけの植物に、せっせと水をやっているのか。なぜ不毛で無駄なことばかりしたがるんだ? 生産性という概念を知らないのか?」 「あなただって他人(ひと)にどうこう言えるほど、生産性の高い生き方をしているようには見えませんが!? むしろあなたほど破壊してばかりで、生産性からほど遠い人物はほかにいませんよ!」 「分かったから! さっさと電球を取り換えよう! 俺、脚立(きゃたつ)を取ってくるから!」
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