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第1話 儲からない仕事
――ガコン。
路上の瓦礫でも踏んだのだろうか。角張ったオフロード四輪駆動の車体が大きく揺れ、運転席でハンドルを握る馬渕時成は危うく舌を噛みそうになった。
くそ―――思わず悪態が口をついて出そうになる。
しかし、よく考えてみれば、そんな事でいちいちブレーキを踏むのも馬鹿らしい。なにせ《監獄都市》の道路はほとんどアスファルトが剥げ、そこらじゅうが陥没して、穴だらけになっているのだから。
馬渕の駆るオフロード四輪駆動が車体を揺らすたび、ヘッドライトの光が上下左右に乱れて、複雑な軌跡を描いていく。結局、馬渕は一度もスピードを緩めることなく、オフロード四輪駆動を明治通りの南側に走らせた。
時刻は午前零時をとうに過ぎており、あたりはすっかり夜闇に包まれている。
新宿界隈にある繁華街は昼間のように明るいものの、そこから一歩でも離れると、一寸先も見渡せないほどの闇が広がっている。
空には欠けた月が所在なげに浮かんでいるが、地上を克明に照らすほどではない。車のヘッドライトだけが頼みの綱だ。
おまけに道路の両脇には瓦礫の山が広がり、その一部が路上にも散乱している。
オフロード四輪駆動は多少の悪路にも耐えられる仕様となっているが、少しでもハンドル操作を誤れば瓦礫の山へとダイブしそうになるため、一瞬たりとも気が抜けない。
タイヤが瓦礫でも踏んだのか、車体がゴトンと大きく揺れる。すると助手席に座る天沢伊吹がアシストグリップにしがみつき、小さく悲鳴をあげた。
「うわっと……道、悪いッスねー。おまけに暗いし、周囲は瓦礫だらけだし。これ、襲撃を受けたら、ひとたまりもないんじゃないっすかぁ?」
天沢は車窓の向こうに広がる瓦礫の山々や、その奥にひっそりと佇む半壊したビル群を見やって肩をすくめた。
天沢は二十歳過ぎの青年だ。元はホストだというが、今はあさぎり警備会社に《死刑執行人》として所属している。馬渕にとっては部下であり後輩だ。
その天沢に何か答えようと馬渕は口を開きかけた。ところが後部座席に座る犬飼虹子が会話へ割りこんできたため、すっかり気勢をくじかれてしまう。
「うるせえんだよ、天沢ぁぁぁ!! 三下のくせに文句ばっか言ってんじゃねえ!!」
犬飼は何やら不穏な気配を漂わせつつ怒鳴り散らすと、後部座席から両手を突き出し、天沢の頭に掴みかかった。
「あだだだだ、痛い! 痛いッスよ、虹子ちゃん!! 俺はただ現状における危機管理の話をしてるんであって、別に文句を垂れてるわけじゃ……!」
天沢は情けない声で悲鳴をあげた。しかし犬飼は天沢の声を完全に聞き流し、運転席の馬渕へと笑顔を向ける。
「それより馬渕さん、運転大丈夫ですか~? 私、変わりましょうか?」
「虹子ちゃん、俺の話は無視ッスか!?」
「いや、大丈夫だ。今は急がなきゃならないしな」
馬渕たちは『あさぎり警備会社』の《死刑執行人》だ。《リスト執行》を担当する時は大抵、この三人で行動している。
犬飼も馬渕の部下なのだが、彼女にはひとつ大きな問題があった。犬飼は馬渕が相手だとまともな対応をするが、何故か天沢の前では人格が豹変するのだ。よほど天沢が気に食わないのか、蛇蝎のごとく嫌っている。
天沢は天沢で、つい先ほど犬飼にど突かれて悲鳴をあげていたくせに、直後には何食わぬ顔で欠伸をしているから、心配する必要はまったくないようだが。
「あ~あ……こんな時間に抗争なんて勘弁してほしいッスよー、ホント。夜くらい静かに眠ってりゃいいのに。しかもアレでしょ、馬渕さん。ウチには一銭の得にもならない案件でしょ?」
「……そうだな」
天沢のぼやきで馬渕も憂鬱がぶり返してきた。そう、この仕事に報酬は出ない。馬渕たちがどれほどスマートに仕事を完遂したとしても、『あさぎり警備会社』には何の利益もないのだ。
その為、馬渕の声にも気鬱が滲んでしまったのだが、その気配を敏感に察知した犬飼が天沢に噛みつく。
「てめえ、この天沢ぁ! 馬渕さんに生意気な質問してんじゃねえ! お前はタダ飯食らいも同然だろうが!!」
「ああ、はいはい。どうせ俺は無能ですよー」
天沢は唇を尖らせる。犬飼の罵倒にも慣れた様子だ。犬飼はそれを完全に無視すると、馬渕へと尋ねた。
「でも……確かに変ですよねー。どうしてうちに出動要請が来たんですか? こういう面倒な仕事は、今まで東雲探偵事務所が処理していたのに~」
「よく分からんが……東雲探偵事務所は何かあったらしいぞ。最初はいつも通り、向こうさんに抗争鎮圧の要請が行ったようだが、対応できないと返事があったそうだ。だから、うちにお鉢が回って来たらしい」
「へえ……そうなんですか~。東雲探偵事務所が……珍しいですね?」
馬渕が答えると、犬飼は何やら含んだ微笑を浮かべた。東雲探偵事務所は『あさぎり警備会社』にとってライバル会社に当たる。ライバルの動向が気になるのは馬渕たち《死刑執行人》の世界も同じだ。
ただ、犬飼に微妙な反応をさせたのは、東雲探偵事務所の特殊性にある。
《死刑執行人》の事務所はどこも《リスト登録》されたゴースト犯罪者を《リスト執行》し、その賞金を得ることで成り立っている。だからリスクと収入を天秤にかけ、利益が出るターゲットを慎重に選ぶのだ。
どれだけ高額の報奨金が掛けられたゴースト犯罪者でも、《リスト執行》に多大な手間と時間がかかるようなら、躊躇なく対象から省く。《死刑執行人》は慈善事業ではない。馬渕たちが動くかどうかは、すべて金次第なのだ。
儲け度外視で《リスト執行》しているのは、東雲探偵事務所くらいのものだろう。
《死刑執行人》が全員、東雲探偵事務所のように、ある意味で真摯になれたら、《監獄都市》もずいぶん治安が良くなるのかもしれない。
だが、かわりに人員不足に陥ったり、破産したりして、多くの事務所が立ち行かなくなるはずだ。
ゴーストの抗争鎮圧も同様だ。基本的には金にならないから、どこの《死刑執行人》もやりたがらない。中には中途半端に抗争を鎮圧するより、大惨事に発展させたほうが、かえって儲かると考える《死刑執行人》もいるくらいだ。
抗争の鎮圧には金は出ないが、抗争に関わったゴーストが《リスト登録》されれば、報奨金が出るからだ。進んで抗争の鎮圧に乗り出す東雲探偵事務所のほうが、珍しいのだ。
そういった経緯もあり、『あさぎり警備会社』に抗争鎮圧の依頼がきた当初、所長の朝霧隼人はあまり良い顔をしなかった。それでも馬渕たちが駆り出されたのは、抗争が起きた場所が渋谷だったからだ。
渋谷は《新八洲特区》と新宿の中間地点に位置し、地理的に《アラハバキ》の影響力が強い地域だ。猟奇的な犯罪もたびたび起きている。抗争という不安定要因を放置しておくのは、あまりにも危険すぎるとの判断からだ。
「東雲探偵事務所といえば、あそこの所長……《中立地帯の死神》でしたっけ? あの人、ヤバくないっすか? 最近、明らかに顔色が悪いし、こう言っちゃなんですけど……あんまり長生きできないんじゃないかって、俺、思うんですけどね。馬渕さんはどう見てるんスか?」
「……」
突然、天沢に尋ねられ、馬渕は眉間にしわを寄せた。
東雲六道はあまり先が長くないのではないか。馬渕もその意見には賛成だ。馬渕の上司であり、『あさぎり警備会社』の所長でもある朝霧隼人も、おそらく同様に考えているだろう。
ここ数年、《監獄都市》は問題がありつつも、どうにか人々が暮らせるレベルの治安を維持してきた。この平穏は《休戦協定》が結ばれたことによるものだが、東雲六道が死ねば、その平穏も水泡に帰すかもしれない。
最悪の場合、《死神》が恐怖によって街を支配していた反動で、混乱に拍車がかかる可能性さえある。
おまけに《アラハバキ》や《レッド=ドラゴン》の幹部にも健康不安が囁かれている。危ういところで保ってきたこの街のバランスは、一度崩れれば、二度と元には戻らない。それを考えると、やはりどうしても気が重くなる。
「天沢ぁぁぁぁぁ~~!! てめえ、馬渕さんを困らせるんじゃねえぇぇ!!」
にわかに押し黙った馬渕を見て、犬飼は後部座席から手を伸ばし、助手席に座る天沢の首をぎりぎりと締め上げる。
「に、虹子ちゃん! 苦しい! 苦しいって!!」
天沢はどうにか犬飼の手から逃れると、げほげほと咳をしながらも口を開く。
「……っていうか虹子ちゃん。俺、思ったことあるんですけど、言ってもいいっすか?」
「なんだ天沢、やる気か? ……ああん!?」
「い……いや、そーじゃなくて! 前から思ってたんスけど……虹子ちゃんって馬渕さんが絡むと、ギアが数段階ぶっちぎって上昇するっすよね? もしかして虹子ちゃんって俺が気に食わないわけじゃなく、ただ単に馬渕さん激ラブってだけなんじゃ……?」
すると犬飼はピシッと固まってしまった。バックミラー越しに確認すると、顔は赤くなっていないものの、石像のように固まっている。
天沢は犬飼の珍しい反応に、にんまりと笑った。
「ああ、なるほどね~! 俺に辛く当たるのもヤキモチだったってワケなんスね~! いやあ、虹子ちゃんも意外とカワイイとこあるじゃな――」
調子よく喋っていた天沢は次の瞬間、びくりと全身を硬直させ、口を閉じた。後部座席から漂ってくる禍々しい気配を敏感に感じ取ったからだ。
「あぁ~まぁ~さぁ~わぁ~……!! ここで私にくびり殺されるのと、この車から飛び降りて死ぬのと、どっちがいい~!?」
「何スかその二択ぅぅ!? どっちを選んでも死ぬんじゃないスかぁぁぁぁぁ!!」
ドタバタと掴み合いをはじめた犬飼と天沢に、馬渕は溜め息をつく。
「ほどほどにしておけよ、二人とも。もう少しで現場に到着するんだぞ」
実際のところ、犬飼が自分に対して抱いている感情は、天沢の揶揄しているようなものとは少し違うと、馬渕は思っている。
犬飼が馬渕に抱いているのは恋愛感情ではない。誰かに認めてもらいたいという承認欲求だ。それが上司である馬渕に向いているだけで、本当は誰だっていいのだろう。もっとも、天沢にはあまり違いが無いように見えるかもしれないが。
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