第1話 儲からない仕事

2/2
前へ
/55ページ
次へ
 二人がいつまで経っても静かにならないので、馬渕(まぶち)が「ゴホン」と咳ばらいをつけ加えると、犬飼(いぬかい)不承不承(ふしょうぶしょう)ながらも「……すみません、馬渕さん」と言って天沢を解放する。  天沢(あまさわ)はヒーヒーと涙目になりながらつぶやく。 「あー死ぬかと思った……三途の川の向こうで、子どものころ死んだ婆ちゃんが超にこやかに手を振ってたッスよ……!」 「惜しかったなあ、天沢ぁぁ。あともうちょっとだったのになぁ?」 「あのう、虹子ちゃん。深夜に後部座席で怪談調の語りはやめて欲しいッス……」 「いいからやめろ、二人とも。着いたぞ」  馬渕は二人にそう告げ、オフロード四輪駆動を停車させる。そこは渋谷駅をさらに南へ下った一角だった。周囲は暗い上に瓦礫がうず高く積み重なっていて、視界がすこぶる悪い。  ところが夜闇の中、ふいに空が明るくなったと思った途端、ズンと腹の底に響くような爆発音が(とどろ)く。あちこちで地鳴りのような音とともに閃光が瞬き、崩れかけたビル群を鮮明に照らし出した。  続いて聞こえてくるのは、若者の怒号と悲鳴だ。 「おい、そっちに行ったぞ!」 「援護してくれ!」 「あいつら、ぶっ殺してやる!」 「やれ、やれ! 応戦しろ」  抗争がすでに始まっているのは間違いない。一刻も早く止めなければ、被害は増えるばかりだ。 (やれやれ……これでただ働きの骨折り損か。勘弁(かんべん)して欲しいぜ、まったく)  馬渕は胸中で独り言ちた。視界が悪く、足場も悪いとなれば、抗争を制圧する馬渕たち《死刑執行人(リーパー)》にも危険が及ぶ可能性があるのは明らかだ。これが《リスト執行》のように報酬のある仕事ならまだ耐えられるが、ただ働きのうえに、無償奉仕(ボランティア)に近いというのだから(たま)らない。  馬渕は、ただ働きという言葉が何よりも嫌いだ。  無償奉仕(むしょうほうし)勤労奉仕(きんろうほうし)といった美しい理想は、確かに素晴らしいのかもしれないが、美しいからこそ厄介なのだ。美徳は慣習化されやすく、美しいことが正しいこととは限らない。そこに不公平や不平等、搾取(さくしゅ)といった病が潜んでいたとしても、耳障りの良い言葉ですべてが覆い隠されてしまうのだ。  世の中は決して公平でなければ、平等でも公明正大(こうめいせいだい)でもない。だからこそ、人間の労働にはそれ相応の対価が必要なのであり、対価が払えないのであれば労働者だけでなく、サービスを受ける客や恩恵を受け人々も含めた全員が、平等にその不具合を分担するべきなのだ。それが馬渕の考え方だった。  ただ、こういった仕事を東雲探偵事務所が担っていたことに対しては、素直に驚嘆(きょうたん)の念を禁じ得ない。  実力的にも精神的にも全ての《死刑執行人(リーパー)》に務まることではないし、だからこそあの連中は《中立地帯の死神》として《監獄都市》に君臨(くんりん)しているのだろう。  そこに異論はない。ただ、同じことを馬渕たちにも当然のごとく求められても困る、というだけの話だ。 「抗争、すでに始まっちゃってますねー。……どうしますか、馬渕さん?」  天沢は後頭部をかきながら、そうぼやいた。天沢はひどい猫背で、犬飼と並び立つとほとんど背丈が変わらない。 「やるしかないだろう。これも仕事だ」  馬渕も溜め息まじりに答える。部下である天沢や犬飼の前で、うんざりした態度を出すべきでないと分かっていても、声に疲労がにじむのは止められない。  それをどう解釈(かいしゃく)したのか、犬飼は俄然(がぜん)、はり切りだす。 「任せてください、馬渕さん~! ゴロつき連中なんざ、この私が、ちゃちゃっと燃やしつくしてやりますよ~!」 「ほどほどにな、犬飼」  馬渕がなだめるのも聞かず、犬飼は抗争を起こしているゴーストたちに向かって突っ込んでいく。天沢を締め上げる時の、ドスを利かせた声を張りあげて。 「おらおら、てめえらぁぁぁぁ! 馬渕さんを困らせるんじゃねぇぇぇぇぇぇ!!」  そして上空に突き上げた人差し指から、まるで火炎放射器のように盛大に炎を吹き出した。  犬飼虹子のアニムスは《火炎放射(フレイム・レディエイション)》だ。その名の通り、炎を操るアニムスで、高密度の火炎を指の先から放出し、対象を燃やしくす。  天を焦がさんばかりに噴き上がる炎。それを目にした抗争中のゴーストたちは、血相を変えて慌てる。 「な、何だぁ!? 新手のゴーストか?」 「すげえ火柱だ! 燃やしつくされるぞ!!」 「待て、落ち着け! 敵と味方、どっちなんだ!?」 「どっちでもねーよ、《死刑執行人(リーパー)》だよ!!」と犬飼は嬉々として叫ぶ。 「《死刑執行人(リーパー)》だと!?」 「おい、逃げろ! 《リスト執行》されるぞ!!」  先ほどまでアニムスを使い、互いに攻撃し合っていたゴーストたちは、《死刑執行人(リーパー)》の名を耳にした途端、蜘蛛(くも)の子を散らすようにいっせいに逃げていく。  犬飼は「あはははは、逃げきれると思ってんのかー!?」と笑い声をあげ、《火炎放射(フレイム・レディエイション)》をぶちかましつつ、逃げるゴーストたちを追いかけていく。  天沢はそれを見送りつつ、馬渕に尋ねた。   「虹子ちゃん、テンション高いっスねー。放っておいていいんスか?」 「犬飼のことだ。あれしきの相手に負傷することは無いだろう」 「いや、心配するトコ、そこじゃない気もするんスけど……。抗争でただでさえ混乱してるところに虹子ちゃんが加わったら、余計に話がややこしくなるんじゃないスか? 最悪、死傷者が増える可能性も……」 「だとしても何か問題があるか? そうなれば抗争を起こしたゴーストどもが、《リスト執行》の対象者になるってだけの話だ。むしろ《リスト入り》してくれたほうが報酬が出るだけ、いくらかマシってもんだろう」  すると天沢はぎょっとした顔をする。 「ええ!? そりゃ確かにそうッスけど……馬渕さん、それ本気ッスか~?」 「……冗談だ。仕事として任された以上、遂行はするさ」  馬渕は薄っすらと笑みを浮かべた。天沢は身を引きつつ、「本当っスか~?」と(ほほ)を引きつらせている。  天沢は言動こそチャラけているが、意外とまともな良識を持っている。馬渕は天沢のそういった長所を、それなりに買っていた。 「とにかく虹子ちゃんを追わないと……」  天沢が口にしたその時、物かげに隠れていたゴーストが突然、馬渕たちの目の前に飛び出してきた。  暗がりに潜んでいたからか、今までまったく気づかなかった。二十歳にも満たないような若者で、馬渕達を睨みつける瞳には恐怖が浮かんでいる。 「お、お前ら……本当に《死刑執行人(リーパー)》か? 俺たちを殺しにきたってのか!?」  そう言って瞳孔の縁に赤い光を瞬かせるが、馬渕のほうがわずかに早かった。青年がアニムスを発動させるよりも早く、馬渕の瞳が赤く輝く。  その刹那、若いゴーストの周囲に透明の膜にも似た壁が現れ、彼をすっぽりと包んでしまう。丸みを帯びたダイスのような正方形。馬渕のアニムス―――《セル》だ。  《セル》はそれ自体が水でできた細胞膜のようなものであり、こうして捕獲対象を閉じ込めるのはもちろん、自らの周囲に展開させれば身を守る防御壁にもなる。 「何だこれ? おい、ここから出せ!! おい!!」  男は内側から水の膜を叩くものの、馬渕が解除しない限り、《セル》は破壊できない。事実、男の手は幾度も水の壁を殴りつけるものの、弾力のある壁に衝撃を吸収され、破壊できなかった。  若いゴーストはまだ《セル》の内側で暴れているが、馬渕はそれを無視して、天沢に声をかける。 「俺たちも犬飼のあとを追うぞ、天沢」 「了解ッス~」   ちなみに天沢のアニムスは《|盾(エスクード》》だ。受けた衝撃を盾のように受け、それを相手に弾き返すアニムスだ。  例えば天沢が犬飼の《火炎放射(フレイム・レディエイション)》を受けたら、天沢には傷ひとつつかず、火炎は反射して犬飼を襲うだろう。また、馬渕が天沢に《セル》を行使したら、逆に馬渕が水の膜に閉じ込められてしまう。  《(エスクード)》は防御性においては最強だと言ってもいい、とても便利な能力だ。  ただ、天沢のアニムスは便利なことに違いはないのだが、相手に攻撃されることが前提の能力なので、単体では何ら効果を発揮しない。そこが唯一の弱点だ。  誰かに攻撃されると、反発したり立ち向かうよりも、受け流すことを選ぶ―――いかにも天沢らしい能力(アニムス)だと言える。  (何にしろ、東雲探偵事務所の連中には一刻も早く、通常営業に戻ってもらいたいもんだ)  興奮したゴーストを次々と《セル》で捕獲し、制圧しながら、馬渕は胸中で考えていた。東雲探偵事務所に何があったのか興味もないし、知る気もない。所詮(しょせん)は他社だ。  東雲探偵事務所が《監獄都市》の秩序において重要な役割を占めているのが事実だとしても、そこまで心配する義理もなければ、関わるつもりもない。  今回のような抗争の鎮圧も、仕事として与えられればこなしもするが、そうでないなら極力関わりたくない。骨折り損のくたびれ儲けは、誰だって避けて当然だ。馬渕のポリシーにも反する。  そのためには東雲探偵事務所が復帰して、元の(さや)に納まってくれるのが一番手っ取り早いのだ。馬渕が気にするのは、その点だけであり、東雲探偵事務所がどうなろうが知ったことではない。  結局、ゴーストの抗争鎮圧には夜中いっぱいかかった。  犬飼が抗争に明け暮れていたゴーストの大半を蹴散らしたが、頭に血が上った一部の連中が馬渕や天沢に攻撃の矛先を変える。それらを《セル》で捕え、「今すぐ家に帰らなきゃ《リスト執行》だぞ」と脅し、彼らの興奮が冷めた頃を見計らって順次、解放していく。  すべてが終わった時には、日が昇りはじめていた。馬渕たちの制圧が速やかだったため、死傷者がほとんど出なかったことが唯一の救いだ。  オフロード四輪駆動のハンドルを握り、フロントガラス越しに登る朝日を見つめながら、馬渕は心の底から思ったのだった。  まったく割に合わない仕事だった。頼まれても、もう二度としたくない―――と。
/55ページ

最初のコメントを投稿しよう!

53人が本棚に入れています
本棚に追加