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神狼は事務所について話を戻す。
「たダ、このままずっト東雲探偵事務所ニ残るかどうかハ、分からなイ」
深雪は内心でぎくりとする。
「どういう意味だ?」
「他の奴ラ……神父や傭兵もそうだガ、永久ニこの事務所にいる事ハ、考えていないと思ウ。みな所長にスカウトされテ、ここにいル。だかラ、もし所長がいなくなったラ、その時ハどうなるか分からなイ」
「……」
深雪も神狼の言うことには同意見だ。ある程度、的を射ていると思うし、だからこそ他のメンバーの考えが気になるのだ。しかし、こうして言葉にして突きつけられると、嫌でも再確認させられる。
(つくづく痛感させられるな……東雲探偵事務所は六道あっての事務所なんだって。もし六道が死んでしまったら、この事務所には俺以外、誰も残らないかもしれない……)
その可能性に思い至った深雪は戦慄する。もし深雪が《中立地帯の死神》になることを選んだとしても、他のメンバーが誰ひとり事務所に残らないのであれば、何の意味もない。いくら《死神》とはいえ、一人では何もできないからだ。
引き留めたら残ってくれる者はいるかもしれないが、深雪に果たしてそう決断させることができるだろうか。みなを事務所に残留させるだけの価値が、今の自分にあるのだろうか。
(ともかく……みなも六道の具合がかなり悪いことを、それとなく察しているみたいだな)
そうでなければ、神狼も「もし所長がいなくなったラ」という話はしないだろう。奈落やオリヴィエ、流星やマリアも、六道の体調が日増しに悪化していることには気づいている。これから先の身の振り方を決めていても、おかしくはない。
考えれば考えるほど強い焦りが胸に湧きあがってきて、深雪は質問を重ねずにはいられなかった。
「神狼は東雲探偵事務所については、どう思っているんだ?」
「そうだナ……特に不満な点は無イ。でモ、鈴華は心配していル。あまり事務所の仕事ハして欲しくなイみたいダ。その事ハ気になってル」
「そっか……確かに危険がないわけじゃないし、鈴華にしてみれば気が気じゃないだろうな」
鈴華が神狼が事務所の仕事をすることに否定的だと、深雪もはじめて知った。
考えてみれば《死刑執行人は命を落としかねない危険な仕事だし、神狼は《ペルソナ》を使いすぎると記憶を失うリスクがある。鈴華がいい顔をしないのも当然だ。
だが、少なくとも鈴華の言葉や態度から否定的な気配を感じたことはない。
(神狼が事務所に残るかどうかは、鈴華次第なのかもしれない……)
深雪がそんな事を考えていると、今度は神狼が質問してくる。
「俺もお前ニ、聞きたイ事があル」
「え……何を?」
「この間、事務所を襲撃しタ、陸軍特殊武装戦術群についてダ。あいつらハ、お前とどういう関係なんダ? あの中ニいた一人……顔も声モ、お前ニそっくりだっタ。どういう事なんダ?」
「えっと、それは……」
深雪たちに接触してきた陸軍特殊武装戦術群所属のゴーストは全部で三人。その中の一人が、深雪と驚くほど酷似していたのだ。
容姿も声も同一人物と言っていいほど似ていた。彼の名は雨宮実由紀。深雪と同じ《雨宮=シリーズ》と呼ばれるクローン体―――その十一番目だという。
もっとも似ているのは外見と声だけで、性格や価値観はまったく違う。深雪にしてみれば、雨宮実由紀は融通の利かない頑固者で、自分の偏狭な価値観を平気で他人に押しつけてくる、迷惑極まりない人種だ。
まず話が通じないし、相手の話を聞くという最低限度のことすらしようとしない。話せば話すほど分厚いコンクリートの壁を素手で突き崩すような、虚しい徒労感を覚えさせられる。同じ顔をしているだけの、まったく理解できない存在だ。
(あいつは本当に俺と同じクローンなのか? 信じられないな。同じ細胞から作られているはずなのに、ああも考えが食い違うものなのか……?)
雨宮実由紀のことを思い出すと、自分でも不思議なほどイライラしてくる。今まで気の合わない人間も何人かいたが、そういった感情とも少し違う。
深雪がしかめっ面をして考え込んでいると、神狼が遠慮がちに口を挟んだ。
「答えたくないなラ、無理しテ答えなくてもいいガ……」
「ああ、いや……自分でもまだよく呑み込めてなくて」
どう説明したらいいのか、深雪は思い悩んだ。自分がクローンであることは仲間には知られたくなかった。どういった反応が返って来るのか、それが怖かったのだ。
好奇の眼差しを向けられるのも怖いし、同情されるのにも違和感がある。神狼を信用していないわけではないが、身近な存在であるからこそ、自分の秘密を知られたくない。
ためらいつつも、深雪は口を開いた。
「陸軍特殊武装戦術群にいたのは、確かに俺と関係のある奴だよ。俺と……同じ細胞から創られたんだって」
「同じ細胞かラ創った……? どういう事ダ?」
「俺もよく分からないんだ。たぶん……双子の兄弟みたいなものだと思う」
その比喩が適切かどうかは分からないが、神狼はそれで納得してくれたようだ。「……なるほどナ」と頷いたあとに続けて言った。
「……双子ノ兄弟、カ。確かニそう言われるト、しっくり来るナ。だガ、去り際の台詞ヲ考えてモ、あいつらハお前を諦めていなイ……次は勝てるかどうか分からないゾ」
「神狼なら、どんな相手だって負けるはずないよ」
深雪はそう笑ったが、神狼は真剣な顔をして「そんな事は無イ」と首を横に振る。
「俺の基本ハ、あくまで暗殺術ダ。相手が気を緩メ、油断している時ニ、最大限に効果ヲ発揮すル。だが……次ニ接触してくる時ハ、奴らも警戒ヲして来るだろウ。そういった条件でハ、俺はどうしても不利ニ立たされル」
「神狼……」
「流星や傭兵、神父も同じダ。次ハ間違いなク、前回トくらべ物にならないほド、厳しい戦いになル。だかラ真剣ニ対策を考えるべきだナ。もっとモ、事ハそう簡単じゃないト思うガ……」
神狼は自分の力を誇示する性格でないし、逆に自分の実力を過小評価する性格でもない。その神狼が冷静に分析するのだから、それが事実なのだろう。神狼が手こずるレベルの相手に深雪が敵うわけがない。
それだけに深雪は頭が痛かった。《中立地帯の死神》を継ぐかどうかという件だけでも手一杯なのに、陸軍特殊武装戦術群への対処法など落ち着いて考えられるはずがない。
だからと言って、ずるずると解決を先延ばしにすることも許されない。時間は差し迫っている。六道は「俺はいつ死んでもおかしくない状況だ」と言っていたのだから。
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