第4話 オリヴィエの過去

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第4話 オリヴィエの過去

 昼になって神狼(シェンラン)が帰ると、今度は入れ違いにオリヴィエがやってきた。オリヴィエはいつもの神父服姿で、深雪の姿を認めると柔和に微笑む。 「こんにちは、深雪」 「オリヴィエもお疲れ」 「怪我の具合はどうですか?」 「お陰さまで、もうだいぶいいよ」 「そうですか。それは良かったですね。ところで……シロは二階ですか?」  「うん……まだ部屋からは出られないみたいだ」 「シロと仲直りはしましたか?」  あまりにもはっきりと尋ねられ、深雪は苦笑を返すしかない。 「……まだだよ。シロがもう少し元気になって、落ち着いて話ができるようになるのを待とうかと思ってるんだけど」 「それがいいかもしれませんね。シロも……ひどく落ち込んでいるようでしたから」  そしてオリヴィエから差し入れですと言って、バスケットを手渡される。中に入っていたのはバゲットにチーズやハム、リンゴなどシンプルなものばかりだ。  オリヴィエは比較的、簡素な食事を好む。日本で言うところの、フランス料理やイタリア料理を口にしているところを見たことがない。それがオリヴィエ個人の趣向(しゅこう)なのか、それとも神父という立場ゆえ節制(せっせい)しているのかは分からないが。  一方、オリヴィエはいつものように勝手口の扉を開け、じょうろに水を入れて植木の世話をしはじめる。深雪も水やりを手伝おうとするが、ふと異変に気付く。 「あれ……気のせいか植木の数が減ってない?」  するとオリヴィエは、どことなく寂しそうに答える。 「ええ、いくつか孤児院の庭へ移しました。流星にも数が多すぎると注意されましたし、この間のようにいつまた襲撃を受けるとも限りませんし……ね」 「勝手口に植物があり過ぎると、出入りがしにくいのは確かだけど……気にし過ぎじゃない?」 「私もそう思うのですが……心無い人物が根こそぎ植物を抜いてしまうので仕方ないのです」 「心無い人物って?」  深雪が尋ねると、それまで穏やかだったオリヴィエのスカイブルーの瞳に突如として(けん) がこもった。 「言うまでもないでしょう! 眼帯をした平然と煙草を吸う、あの悪魔のことですよ!!」  ―――奈落のことか。深雪はすぐに気づいたが、口にしないでおいた。ただ、それとなくやんわりと反論してみる。 「悪魔はさすがにちょっと言い過ぎなんじゃ……」 「ええ、分かっています。悪魔だなんて非科学的だと言うのでしょう? けれど深雪、悪魔は存在するのです。この間のことで確信を抱きました! 私はこの際、エクソシストが行う悪魔(ばら)いの儀式を本格的に勉強しようかと思っているのですよ!!」 「あ、いや……そういう意味じゃないんだけど……」  どうやらオリヴィエと奈落の間に、自分の知らないトラブルがあったらしい。ただ、これ以上突いても火に油を注ぐだけなので、深雪は触れないでおくことにした。それに二人が喧嘩するのはいつものことだ。 (それより……オリヴィエはどう考えているんだろう? 事務所のこと、六道のこと……)  深雪は神狼にした質問と同じものを、オリヴィエにもしてみる。「このまま東雲探偵事務所に在籍し続けるつもりなのか?」と。するとオリヴィエは逡巡(しゅんじゅん)したあとに口を開く。  「そうですね……今の段階ではまだ決めていません。ただ、私は六道に誘われて、この事務所に入りました。ですから今のところは六道が所長を務める間は……と思っています」 (やっぱりオリヴィエも六道ありきなのか……)   オリヴィエは《死刑執行人(リーパー)》の仕事にあまり積極的なようには見えない。どちらかと言うと、子どもたちや植物の世話をしているほうが楽しそうだ。本来は神父なのだし、もし六道が死んでしまったら《死刑執行人(リーパー)》から足を洗うつもりなのかもしれない。 「そう言えば……オリヴィエはどうしてこの事務所に入ったんだ?」  深雪が尋ねると、オリヴィエはじょうろを傾けながら淡く微笑む。 「もともと私は《監獄都市》に派遣されるまで世界各地を転々(てんてん)としていました。ヨーロッパやアフリカ、南米……東南アジアに派遣されたこともあります」 「そんなに?」 「ええ。私はフランス生まれですが、フランスに戻ったことはほとんどありません」 「そうなんだ。世界各地を回って、どんなことをしていたんだ?」 「おおむね今と同じです。神父の職と用心棒のような仕事を兼ねていました。ゴーストの登場で世界各地が政情不安に陥っています。そういった時、宗教施設は真っ先に狙われやすいのです。カトリックが少数派(マイノリティ)である地域であれば、なおさらです」  深雪は少なからず衝撃を覚えた。深雪は信心深いほうではないが、特定の宗教を信仰しているだけで命を狙われるのは、おかしいのではないか。地域によっては宗教が複雑な問題を(はら)んでいることは理解しているけれど。 「そうなのか……教会と言っても場所によってはずいぶん危険なんだな。知らなかったよ」 「《監獄都市》では、宗教問題はあまり表に出てきませんからね」  かつて東京にあった大きな神社仏閣は、遷都(せんと)と共に西京新都(さいきょうしんと)へ移動してしまった。残った小さな寺や神社は打ち棄てられ、寂れ果てて、ほとんどが更地(さらち)となっている。宗教に囚われ、憎み合い、殺し合うほど愚かなことはないが、それほどドライなのも寂しい話ではある。 「じゃあオリヴィエの今回の派遣先が《監獄都市》だったんだ?」 「ええ。私が《監獄都市》に来てからしばらくして、孤児院がゴーストの襲撃を受けたことがありました。それがきっかけで六道と知り合い、東雲探偵事務所にスカウトされたのです。……深雪は先ほど尋ねましたね? このまま事務所に居続けるのかと」 「ああ、うん」 「私にとって一番重要なのは教会と孤児院、そして信仰です。その三つを守るためには、私が東雲探偵事務所に所属し、協力関係を結ぶことが最適でした。この危険極まりない《監獄都市》では、何らかの後ろ盾を得ることが我々にとって必要だったのです。事務所も私の能力を必要としていますし」 「つまり……利害が一致しているってこと?」  「ええ。ですから利害が噛み合わなくなったり、教会や子どもたちを守れないのであれば、他の選択肢も考えなければなりません」  オリヴィエはあくまでオリヴィエの大切なものを守るために、最適な選択をしているだけなのだ。今まではそれが東雲探偵事務所に協力することだった。けれど、これからも同じ関係が続くとは限らない。オリヴィエが言いたいのは、とどのつまりそういうことだろう。 「それじゃ、たとえば他の《死刑執行人(リーパー)》の事務所に移籍することを考えてるとか?」 「そこまで具体的には考えていませんが……どうしてそのような事を聞くのですか? ……何か悩みごとでも?」  「あ、いや……別にそういうわけじゃないけど、いろいろあって……」  まさか質問を返されるとは思っていなかった。オリヴィエに根掘り葉掘り尋ねられたら、話したくないことまで喋ってしまいそうだ。深雪は内心でドキリとすると、慌てて話題を変える。 「そういえばオリヴィエはフランス出身なんだっけ? 世界各地を転々として寂しくない? 故郷に帰りたいとは思わないのか?」  するとオリヴィエはわずかに表情を曇らせた。 「フランスには帰れません。私には……その資格がないのです」 「何かあったのか……?」 「私はフランスで大きな事件を起こしました。その事件のために何の罪もない大勢の子どもが命を落とし、亡くなりました。その時に決めたのです。もう二度と故郷の地は踏むまいと」
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