三、夜の祈り

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三、夜の祈り

 星竜の子を救いたいが一心で、私は恐れをふりはらい、生まれて初めての魔術四番勝負を受けた。すなわち万物の源である四元素、土、風、水、火それぞれによる技比べである。メアトは余裕しゃくしゃくで、最も得意とする元素は何かと私に問うた。風、と私が答え、その場で風の対決が始まった。   ……結果は言わずもがな、私の惨敗であった。池に吹く風を集めて雲吹鳥の姿となし、若さにまかせた渾身の詠唱でメアトめがけて放ったものを、「喝!」というただのひと言で吹き返された。すさまじい風圧が襲って薄緑色の雲吹鳥は木端微塵に四散し、私の身体は宙を浮いて庭の端まで吹き飛ばされ、激痛とともに無様に地面に叩きつけられていた。最も得意と思っていた風の術ですらそのありさま、続く水の勝負では溺れながら降参を叫び、火の勝負ではひざまづいて鎮火を請い、ついに最後の土の勝負では、震える地面の上でのたうち回りながら、私は涙ながらに十年間の服従を口にしてメアトに許しを乞うていた。       ―毎日、屋敷に出入りするたびに、幼き星竜の囚われている暗い池を遠くに見ては、すまなさと悔しさで胸が締め付けられる。鞭打たれる姿はあの日以来見ていないが、水中から出ているときはいつもぼんやりと水辺にたたずみ、竜の子はまるで精気がないように見えた。あのような濁った池に縛られて、病気になどなっていないだろうか。夜はきちんと星空を飛ばせてもらっているのだろうか。  ぶちまけられた山百合の花を拾い終え、とぼとぼと門の外へ歩く。腰にある長衣のかくしに何となく手をやると、あるはずのものがそこに入っていない。 「しまった……。」    私の大切な花ばさみがない。いつだったか、メアトの弟子となってから、珍しく「課題」のない午後のひとときに、大通りの露店で買った花ばさみ。なんということのない日用の道具だが、刃の部分に波打つ豊かな髪と流れるような美しいひだの衣の女神のような像が刻まれたそのはさみは、私のためにそこに売られているように思われて、店主の言い値で迷わず買ってしまったものだった。  二人の姉の影響か、私は花が好きだった。実家にいた幼いころから、野の花を摘んできては食卓に飾るような子供であったし、この都に来てからも、長屋の窓辺にいつも花を飾っては心の慰めとしていた。花ばさみは私にとって身近な道具だったのである。  露店で買ったその品を、部屋に戻ってためつすがめつしていると、女性像の傍になにか、細密な文字が刻印されていることに気がついた。また別の日に暇を見つけて図書館でその文字を調べると、はるか南方の地で使われていた古代の文字で、どうやら冒頭は「花を捧げよ」という意味であることが分かった。残念なことに最後まで解読はできなず、途中に「七百」という数字があることのほか、手掛かりは得られなかった。  刃に彫られた女性が女神であるのか、単なる乙女であるのかは解明できなかったが、これを自分の守り神としよう、と私はそのとき心に決め、それからというもの、毎夜、欠かさずに刃の前に花を捧げ、目を閉じて短い祈りを捧げた。そうすることで、いかにメアトにののしられようとも、その日一日の自分の努力、自分の行いを、女神がすべて認めてくれるように、感じられたから。いつしかその花ばさみは、私の心のよりどころとなっていた。    「山百合の茎を切ったときだ、ああ……。」  今朝は夜明け前からハルワトの花を求め、メアトがそこに自生すると主張して譲らぬ都の西の小高い丘の斜面に出かけたのだ。ハルワトであることを願って茎を切り、花ばさみを足元に置いて花を籠に詰めたそのあと、再びはさみを拾わずに戻ってしまったのに違いなかった。  早足で屋敷の門を抜けると、私はふたたび西の丘を目指すべく、城門へと続く近道を小走りに進んでいった。
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