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五、花の女神
けっきょくハルワトの花は見つけられぬまま、翌朝にメアトの屋敷の門をくぐった。すっかり見慣れた黒衣の老人が、池のほとりにたたずんでいた。
「あれならさっき、逃がしたぞ。餌代ばかりかかって、ちっとも宝玉を吐かぬ。貴様もだ、アノニエルよ。ハルワトの花すら見つけられぬ貴様など弟子にしていても仕方がない。役立たずは出ていくがよい。」
アノニエル、と名を呼ばれて驚いた。面と向かって呼びかけられたのは初めてであった。
「メアト様、なぜ、急に……。」
私がおずおずと問うと、老魔術師はうるさそうに首を振った。
「夢を見たのだ、はるか昔に南に興り、やがて滅びた古の民の崇めた花の女神だ。このわしにひと晩中、説教を垂れた。貴様の思いがどうのこうのと。おかげで寝不足だ。」
やはり幻ではなかったのだ。私の思い。偉大な魔術師から、奴隷ではなくまっとうな弟子として教えを受けること。
「メアト様、お言葉ですが、私とあなたの契約はあと七年です。私をきちんと弟子として見てください。あなたの生きているうちに、その技を私に伝授していただかなくてはなりません。」
メアトは一瞬驚いたように目を見開き、すぐにいつもの渋面に戻ると、開口一番、お決まりの文句を力いっぱい吐き出した。
「たわけが!このわしに口ごたえとは良い度胸だ。良いか、この金で今すぐにハルワトの粉末を買ってこい。大聖堂のはす向かいの店にあるはずだ。……戻ったら貴様に息吹の粉の工法を伝授する。良いな、心して臨めよ。」
今度は私が驚いた。伝授する、と今、メアトは言ったのだ。彼の心と、私の未来とを縛りつけていた目に見えぬ黒い糸が、いまぷつりと断ち切られ、星竜の翼の白い羽根とともに初夏の風に流れていくのが、たしかに目の前に見えた気がした。
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