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深夜。真冬の白砂海岸から臨む太平洋は波も荒く、潮風は肌をズタズタに引き裂くように冷たかった。夏場の白砂海岸は日が高いうちは多くの海水浴客たちで賑わい、陽が落ちれば花火やキャンプを楽しむ若者たちがどこからともなく集まってくるのだが、季節外れの今は人影ひとつ見当たらない。
いや。寒風渦巻く砂浜を、あてもなく逃げ惑うひとりの男がいた。男の顔面は腫れ上がり、身にまとった衣服は所々引き裂かれていた。
男はさらさらとしてまるで踏み応えのない砂に足を滑らせて忌々しげに唸りながら、ときどき後ろを振り返っては追っ手との距離を確かめていた。追っ手は四人。距離は見る間に縮まってゆく。今や追っ手は十メートル後ろにまで迫っていた。
追っ手のひとりが、走りながら拳銃を撃った。乾いた銃声は波の音と潮風によってかき消された。
夜空には無数の星が瞬き、月の明かりが砂浜を蒼白く照らしていた。
男の頭上遥か遠くで瞬いていた星が、斜めにさっと流れて墜ちた。
逃げる男は苦し紛れに海水に足を踏み入れ、沖へ向かって歩み始めた。
追っ手の四人は砂浜に横一列に並び、無言で拳銃を構えた。
男は限界まで冷えきった海水に腰まで浸かりながら、真後ろを振り向いた。
瞬間、男は上半身を撃ち抜かれていた。
男は無言のまま痛みに耐え、再び沖へ向き直った。
銃弾が次々と水面に当たって水飛沫を跳ね上げた。男は前に進み、ついに海水は喉元にまで達した。男は泳いで沖に逃れようと覚悟を決めたのだろう。大きく息を吸い込んだ。その瞬間、男の頸の付け根を凶弾が貫通したのだった。それが致命傷となった。それきり、男は海に沈んだ。
拳銃を手にした四人の男たちは砂浜に立ち、男が浮かび上がるのを辛抱強く待ち続けた。誰ひとり言葉を発する者はいない。無言のまま十五分が過ぎた。男は海に沈んだきりついに浮かんでは来なかった。
「もういいだろう。行くぞ」
四人の内のひとりが、酷く陰鬱な声を発して他の三人を促した。三人は無言で頷いた。やがて四人の男たちは路上に停めた黒い高級車を目指して歩き始めた。
それは二月の酷く寒い日の、深夜二時の出来事だった。
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