夜明けの向こうへ

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 どうしても、僕は逃げたかった。  つまらない大人の罵詈雑言、(けな)されることしか知らない可能性、道を絶たれるばかりの夢や憧れ。無論、そんなことを分かち合える人なんていない。  誰も彼もが、大人のご都合主義で作られた理想郷のルールに従っている。  そこから外れた僕は、『不良品』そのもののように扱われていた。やがて、歳を重ねる毎に、自分の否定までし始めてしまったのだ。  そんな堕ちた自分を見て、十五になったその夜に、バイクに乗って夜を走り抜けたかった。  でも、そんな勇気も無くて、より下を向いてしまう毎日。(くす)んだ部屋、色褪せた窓の外、埃被った世界。もういっそ––––。  そう言って見つけたのは、誰もいない体育館裏。ポケットの中に入っているのはハサミだった。 「下らない」  ある日。彼女は唐突に僕の前に現れ、そう言った。  制服越しにでも分かる華奢(きゃしゃ)な身体付きに、透き通るような白い肌。当然、外見からすれば、ただの大人しい美人な女子に他ならない。ただ、見覚えがあるような、無いような、そんな近しい雰囲気を持った女子でもあった。  そんな彼女がどうして現れたのかなんて、分かるわけがない。  だが、見ず知らずの相手を目の前に、厳しくも優しい言葉を投げつけて来たのだ。 「そんなのって、馬鹿みたいじゃない?」 「え?」 「じゃあ、君は君を否定した人の為にいなくなるの? それじゃあ、君を否定した人が正しくなっちゃうじゃん」  投げかけられた文字列に返す言葉はない。確かに、間違ってはいない。本当にその通りだ。  でも、どうして……。そればかりが頭を埋め尽くしている。 「だったらさ、私と付き合ってよ?」 「は?」 「こんなとこをさ、こんな毎日を抜け出そうよ」  それを言われた瞬間、心の(わだかま)りが音を立てながら消え始めた。同時に、僕を支えていたものも消えてしまう。だけど、代わりのものでは直ぐに補われた。彼女という存在で。  手を引かれ、“学校から許可なく抜け出してはならない”という決まりを破り、堂々と表門から飛び出していく。行先は分からない。  それでも良かった。  きっと、こんな日を僕は待ってたんだと思う。久々に表に出てきた笑顔はぎこちなくて、そして、飛びっきり最高の表情だった。 「ねぇ、君は何か楽器は出来る?」 「え? あ、うん。ベースなら」 「ベース? ギターじゃなくて、何でベース?」 「お祖父ちゃんが弾いてたんだよ。それがカッコよくて」 「へぇ、珍しいね。でも、それなら丁度良かった」  そんな話も終わる頃、海辺にある廃れた倉庫街へと辿り着いていた。  そこの八と書かれた倉庫へと、脇のドアから入る。 「此処が私達の始まりにして、終わりの場所だよ」  そこには、一級品と思わしき楽器の数々が並んでいた。それも、値打ちで言えば、全部合わせると一生暮らしていける程。  ただ、疑問符は尽きない。 「私ね、音楽が好きなんだ。クラシックでもなくて、ジャズでもない、ポップミュージックでもない、私だけの音楽が。でもさ、誰も評価もしてくれないし、認めてもくれない」  そんな言葉は深く、重く胸を締め付ける。 「そんな時に、君の物語を、詩を見たの。それで、私も負けちゃいられないって思ってさ」  乾いた空気、心は緊張で一杯になる。今まで認められることのなかった自分の作品が認められたこと、そして、誰かの心を動かせたこと。それが、一番嬉しかった。 「……ただ、私もそろそろ限界なんだよ」 「限界?」 「うん。だから、二人だけで逃げようよ」 「え? でも、逃げるって言ったって、何処に、何で行くの?」 「目的地は分からない。でも、とにかく東に行く。地平線を越えるまで」 「だから、どうやって」 「トラックがあるよ」 「トラック?」 「そう。お父さんから貰ったんだ」 「じゃあ、免許は? お金は? 泊まるとこだってどうするの? あまりにも無謀すぎるよ」 「そんなこと、気にしなくて、いいじゃん」  そう言う彼女の目は、確かに僕に向いている。でも、僕とあの楽器以外の全ては、写っていない気がしている。  何処か、虚空(こくう)を見ているようだった。 「まぁ、今はいいや。取り敢えずさ、リズム作るから、歌詞書いてよ」 「は?」 「いやだから、曲作ろうって言ってるの」 「はぁ? いきなりすぎんだろ」 「別にいいじゃん。一生に一度のお願いなんだし」 「言われてないし。しかも、今日初めて会った奴に、それを言うか?」 「細かいことは気にしないで、ね?」  結局、彼女の押しに負け、彼女の奏でるリズムを聴き、そこから歌詞を描く。  何処にも行かず、二人でひたすら曲を作る。勿論だが、幾度かぶつかる事もある。でも、その度に少しずつ互いのことが分かり始めていた。  そんな日々を繰り返すうちに、惹かれ合い、特別な感情まで抱くようになっていく。  あの日々は、今までの人生の中で一番最高だった。  そして、カレンダーが五回(めく)られ、数日が経った頃。ようやく二人だけの曲が完成したのだ。出来は、満足に値していた。 「あ、そうだ。曲名はどうする? 陽奈」 「うーん、そうだなぁ。アレが良いかも」 「アレ?」 「そう」 ––––『夜明けの向こうへ』
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