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思い出の感傷に浸りながら、ハンドルを片手に、もう片手でコーヒーを飲み干した。
メーターは時速五十キロを示したまま動かず、曲がるところなんて殆どなく、片手は添えているだけ。ただ、それでも走っていると言う感覚には満たされていた。
もう大分走っただろうか。気付けば、空は白み始めている。星も、段々とその姿を消し始めていた。
空気も柔らかくなり、月は背中のそのまた奥で、もう沈みかけている。風も出てきた時、ふと、後ろから声が聞こえてきた。
「ねぇ、結弦」
「……起きてたのか。んで、何?」
「後悔は……してない?」
「何だよ、今更」
「いや、ほら……」
「大丈夫。だから、まだ二人で居れるんでしょ?」
「うん……」
細い声。とても震えていた。
正直、僕だって、いつまでこんなことが続けられるかは分からない。それでも、あの日、あの時に決めた事は決して変えるわけにはいかないんだ。そう強く心に言い聞かせて、彼女と話す。
今度は、僕が彼女の手を引いてあげる番なのかもしれない。きっと、強がって「任せなさい」とか言うのだろうが、本当は彼女だって寂しいだろうし、辛いんだろう。
だから、今は二人なんだから、僕だって重荷を分かち合いたい。
そんな思いもアクセルに乗せ、更に速度を上げた。
「久しぶりに、アレ。歌えるかな」
「ん? 何を?」
すると、彼女は足場が不安定なまま立ち上がり、風に煽られながらも、胸に手を置いた。
そして、そっと口を開く。
「『たった一人の世界で。誰もいない世界で』」
伴奏も無しに、声を張り上げる。
「『彷徨っても、立ち止まっても、何も変わりはしないし』」
いや、違う。伴奏はある。
耳を澄ませば、何色もの音が流れていることに気が付いた。
落ちる月も、登る太陽も、その光を響に変え、独特のリズムを刻む。何処となく、川のせせらぎが聞こえ始めたと思えば、音の下地を作り上げていく。風は草原を駆け抜け、壮大で美しいメロディーを奏でた。
「『歩くしかないんだ。また一歩、一歩進むよ』」
でも、こんな歌詞、聞いたことがない。
まぁ、色々聞いてはいたが、別にマニアでも何でもない。だから、特殊なジャンルには疎いが、それにしては少し違うような気がする。
「『闇に塗れた景色の中でも、ただ前に行こう』」
その歌う姿は、とても綺麗だ。
美しい。そんな三文字では表せないが、生憎、今はこんな言葉しか持ち合わせていない。
「『眠りにつく前に、この昏い夜を超えてゆこう。一瞬先だって分からないし、未来なんて無限。だから、今を超えよう。夜明けの向こうへ』」
あれ?…………。
不意に流れた涙は、頬を伝い、風に攫われた。
違う。違う、違う、違う、違う、違う、違う。これを僕が知らないはずがない。
この詩は……。
––––結弦、くん。また、何処かで––––
脳裏から蘇り、全身を巡る残響。
刹那、衝動に駆られ、後ろにいる彼女を見た。
重なる淡い白のワンピース。風に靡く長い髪。曲線描くシルエット。その全てがあの子と重なる。
僕が、詩を書くきっかけになった、大切なあの子に。
最後まで、歌い切ると、彼女は振り向き、笑顔を浮かべる。だが、その眼には一粒の涙が浮かんでいた。
「陽奈、ちゃん……」
「––––やっと、思い出してくれたんだ」
陽奈ちゃん。
そんな名前さえ、腐ってしまった日々の中に埋もれてしまっていた。
小さい頃、僕と彼女はよく遊んでいた。ずっと一緒に、いつも二人で。だが、大人達の都合で、引き離されてしまった。別に、何ら不思議なことではない。そんなこと、世界中の何処でも起こり得る話だ。
でも、僕と彼女は、多分、互いがどうしようもなく好きだったんだと思う。
だからか、彼女との別れに合わせて書いた詩は、僕の一番の作品。良くも悪くも、それ以上の作品は作れた試しがない。
全てを思い出し、募っていく感情。
何で忘れてたんだろう。僕の心の一番奥底にあった筈の、一番大きな支え。
あぁ、もう。本当に……。
「……バカ」
「どっちがよ。本当、気付くのが遅いの」
「ごめん」
「そろそろ、夜が明けてきたね」
太陽は地平線からゆっくり顔を出し、地上を照らし始める。心地良い朝風に揉まれながらも、僕らはひたすら進んで行く。
ひたすら、東へ向かって。夜明けの向こうを目指して。
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