遺書

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(三)遺書  ヒッキーと借金、リスカちゃんと拒食症が二階へ上がろうとした時、鬱が提案した。  「みんなで遺書を書こう。それから女子から風呂だ」  二階へ上がろうとしていた四人が一斉に言った。  「遺書かあ。そんなもの書いたことはないけどいいもんだなあ」謝金が言った。  「わかった。それでいい」ヒッキーが言った。  「遺書ねえ、悪くないわねえ」拒食症が言った。  「私も遺書くらい残しておかなくっちゃ」リスカちゃんが言った。  こうして、二階へ上がろうとしていた四人が同意した。しかし幻覚だけは違っていた。幻覚は鬱を離そうとはせず、一階で二人して遺書を書こうと言い出したのだ。  「鬱先生、一緒にここで遺書を書こう。俺、宇宙人が怖い」  「わかったよ、幻覚。一緒に遺書作りだ」 *  六人の遺書には恨み節が炸裂していた。  鬱の遺書---「俺は死んでやる。そして俺を馬鹿にした自我の肥大化した糞教師どもの所に化けて出てやる。俺はウンコではない。ドドヤマボロヒコでもない。  人間なんだ。  特に校長の上田め、『お前はもう学校へ戻ってくるな。お前の席はもうないんだから』なんていいやがって。『いつ辞めるんだ?答えろ』なんて言った校長もいたよなあ。これが答えだ。こいつらはみんな俺と同じ自殺者だ。こいつらと一緒に俺は死ぬんだ。  教師が保健室登校して何が悪い?俺だって昔は人の三倍働く人間と言われていたんだ。部活動も合気道部と吹奏楽部を兼部して頑張っていた時期もあったんだ。音大へ行きたい生徒のために一生懸命ピアノや音楽理論や新曲視唱の補講もしてやっていた。幼稚園の先生になるために幼児教育を目指していた生徒にもピアノを教えた。  それが、俺が鬱病で休んでからみんな手の平を返したように冷たくなって、それから行く学校行く学校でみんなでいじめやがって。  お前らに本当の音楽って何かわかるのか?  俺は三歳からピアノを始め、小学校の時には既にリストの『ラ・カンパネラ』やショパンの『幻想即興曲』なんかを弾いていた。田舎では『天才』って言われたんだ。  その俺に向かって『あんたタクトが振れるのか?』なんて聞いてきた校長もいたよなあ。俺が『できない』って言うと『それでも音楽の教師か?』と言ったよなあ。  いいか?タクトを振るっていうのは運動会で二拍子の行進曲の指揮をするのとわけがちがうんだ。あんなものを『タクトを振る』とは言わない。俺の考えでは、『タクトが振れる』というのは小澤征爾とかカラヤンとかフルベンのレベルを言うんだ。出来る楽器は少なくとも四つ、それからスコアだってきちんと読みこなせなくてはいけない。これが本当の『タクトを振る』なんだ。  それから教務部長の山田め、普通教科の自習監督なんかさせやがって。俺様を誰だと思っているんだ?俺が国内のコンクールでどれだけの賞をもらっているか知ってるのか?  俺の専門はピアノだ!そして昔は『天才』って呼ばれていたんだ。音大出の友人達はみんなオーケストラに入ったり、ピアノでCDデビューした奴もいるし、ジュリアード音楽院へ留学した奴もいる。そんな中でも俺は『天才』って言われ続けてきたんだ。芸大の入試でも一位で入ったんだ。  それなのに普通科高校の次はとんでもない教育困難校へ回され、『お前は生徒の指導も一人前にできないのか?』なんて言われた。  勿論、俺のことを慕ってくれた生徒や両親には悪いと思う。しかし精神疾患を『なまけ』としか見てない教師どもに最高の答えをくれてやる。おまえ等が不登校や引きこもりの生徒の気持ちがわかるのか?俺にはよくわかるぜ。  不登校の君江ちゃん、海斗君、糞教師なんかに負けるんじゃないぞ。あいつらは不登校の経験もなければ引きこもりの経験なんてない。そんな奴らに何を言われても従う必要なんかどこにもない。それから学校だけが人生ではないよ。学校なんて命をかけてまで行く所ではない。いじめられたから『自殺』なんて言葉が頭をよぎるようならば学校なんかさっさとやめてしまうべきだ。もう一度言う。学校なんか命をかけてまで行く所ではない。今ならフリースクールもあるし、通信制の高校なんかいくらでもある。定時制へ行くっていうのも一つの方法だ。  それから学校の教師の言うことなんか真に受けてはいけない。あいつらの考える『いい生き方』ってどんなものなのか教えてやる。  大学へ行ってそこそこの上場企業に入社し、三十代くらいで結婚し、子供をもうけてやがてマンションか家をローンで買う。そして定年まで勤め上げ、ローンも払い終わった頃に老人ホームへ入って死んでいく。その程度のことだろう。  はっきり言っておくが、それは昭和の発想だ。僕と同じように音大を出て、僕のように教師になったりした奴はいいが、演奏家を目指していて、今はフリーターをやっている奴なんかいっぱいいる。  大学なんか出ても一緒だよ。  もっと不登校しろ!引きこもれ!社会に対して警鐘を鳴らせ。  恐らくこの自殺者集団が自殺をしたらニュースネタになるだろう。それでいいのだ。学校で俺をいじめた最低の教師どもめ。俺は地獄で待っているからな。                                         安田幸作」  リスカちゃんの遺書---「お母さんにはっきりと言います。『どうして私なんか産んだんですか?』  お母さんが一緒に暮らしている『あの男』は獣です。私、あの男に強姦されたのよ。お母さんが寝ている夜にこそっと私のベッドに入ってきて体を触るの。中学一年の頃だったわ。それから何度も私の中へ射精したの。そして『お母さんには内緒だからな』って言うの。  ツーカ、おまえら、私の見ている前でセックスするな!汚らわしいんだよう!それからお母さんは私をさんざんいじめてくれたよね。私なんかいない方がよかったんだよね。  何度も言ってたじゃないですか?『こんな子産むんじゃなかった』って。そして定規や食器で散々殴ってくれたよね。本当のお父さんはそんなことも知らない仕事一途の人間だった。でも、私はそんな前のお父さんが好きだった。韓国人だったけど、そんなことは気にしない。  でもお母さんはなぜかお父さんと別れて『あの男』とできちゃったんだよね。私がそのことでどれだけ不幸になったか分かっているのですか?  今私はとても幸せです。鬱先生にヒッキーに拒食ちゃんに幻覚に借金、そしてじっちゃん。みんな私の仲間なんです。  私は中学一年の時に初めてリストカットをやりました。その時に医者へ行って初めて薬をもらいまいた。その時にお母さん、お医者さんに何て言ったか覚えてる?  『この子がこんなことするから私、幸せになれないんです』って言ったんだよ。何?それ。あんたは『あの男』と暮らせて十分に幸せじゃないか?私なんかアルバイトしながら高校へ行って、それもやめてしまったんだよ。学校にアルバイトがばれていられなくなったんだよ。何故か知ってる?何のアルバイトをしていたか知ってる?『援交』だよ。わかったか?このバーカ。  鼻の下長く伸ばしたおやじなんかは高校生の私を見たら五万円は出してくれるわ。私、そのお金で高校へ行っていたの。知ってた?  それから、あの男は家にお金を入れなくなって、私も学校でいじめられていたんだよ。  だから学校なんてもうどうでもいいの。学校へ行けなくなったのは私の責任じゃないもん。お母さんと『あの男』の責任でしょ。  そして退学届を出しに学校へ行った時にお母さん、先生に何て言った?  『娘は馬鹿に育ってしまったので、この学校にはいられません』だって?  私が援交しなければならなかったのは誰の責任ですか?お母さんと『あの男』の責任じゃないのですか?  私は小学生の頃から、よく児童相談所という所へ連れて行かれました。そこにはひどい火傷を負ってる子供や爪が剥がれちゃっている子供がいました。でも、お母さんのところにいるよりは、そこの方がよかったです。相談所の職員の先生も優しくしてくれるし、私がご飯を作ってあげる必要もないし---。  私のリストカットは左手だけじゃなくて太股にもあります。それを見たあの男は『この太股がたまらないんだ』なんて言いました。変態です。獣です。  それからお母さんは私に炊事洗濯をやらせて自分は何してたの?あの男とセックスに明け暮れていたんじゃない?その間私のことなか放ったらかし。  いいこと。あの男の目的はお母さんと前のお父さんの住んでいた家を乗っ取ることなの。そんなこともわからないなんて本当に脳天気なんだから。  前のお父さんは色々と私の面倒を見てくれたわ。どうして別れちゃったのですか?私はあんな男より前のお父さんの方が好きだった。  そうしてそのことを言ったらお母さんは何度も私をぶちましたよね。そういうのを『自分勝手』って言うんですよ。  私はもう死ぬけど、死んだらあの男とあんたがセックスしているところへ化けて出てやる。覚えときな!                       荻内由香子」  幻覚の遺書---「株式会社○○様。  僕を雇ってくれて有り難うございました。僕なんかどこへ行っても勤まらないのを貴社は拾ってくれ、そして働かせてくれました。僕はその前に就職活動をしていて百社から蹴られていたのです。だから感謝しています。  でも、月150時間の残業は辛かったです。会社で寝泊まりしたことが何度もありました。  そしてある日のこと、同僚の陰口が聞こえてくるようになったのです。『給料泥棒』とか『怠け者』とか言っているのが聞こえてきたんです。  みんなは『これは病気だ』と言いました。そんなことはない。僕にははっきりと聞こえていたんです。そしてきつい仕事のおかげで病気になってしまったのです。でも課長さんは『失業保険が下りるから何か新しい仕事を探して下さい』と言ったきりです。すなわち僕は『使い捨て』だったのですね。みんな僕のことを『能なし』『辞めろ』と言いました。『そんなこと言ってない』と皆さんは言いましたが、僕にはそう聞こえてたのです。そして僕は精神病院へ強制措置入院させられました。『被害妄想』という病名までつけられました。  その時、家族の者が会社まで来て、『入院させる』と言いました。その後、両親が課長さんに何度も頭を下げていたのを覚えています。  入院したのは大変ひどい病院でした。看護師が棒を持って殴りに来るのですよ。それから暴れたら拘束されました。そして、あの宇宙人の声が聞こえるようになったのです。  私の両親は『せっかく上場企業に就職したのにねえ』と言ったきりで僕は見捨てられました。  それからです。宇宙人の声が聞こえるようになったのは。宇宙人は僕の脳の中にチップを仕込んで、色々と命令するのです。  『今日はカップラーメンしか食べるな』とか『逆立ちして山手線に乗れ』とか言ってくるのです。そして、この集団自殺に参加するように命令してきました。断ると『家族の者を我々の星へ連行する』なんて言うのです。  それから、僕は仕事を怠けたりした覚えはありません。しかし病気になった途端にみんな言いました。『自己責任』だと---。  果たして一ヶ月150時間の残業をして病気になってしまったことが『自己責任』でしょうか?未だに納得できません。  僕は死を以て企業と国の横暴に抗議します。就職しようとしても百社から落とされ、やっと就職できた会社からはゴミのように使い捨てられるような今の日本の社会に抗議します。さようなら。                        村沢孝太郎」  ヒッキーの遺書---「僕は引きこもりです。東大を中退した引きこもりです。思えば東大に合格した時、親は親戚の人まで呼んで祝賀会を開いてくれました。母親なんかは言いました。  『これで将来も安泰だね』って。  そんな僕が二年生の時でした。山手線の電車に乗っていたら急に息苦しくなってきて、『このまま死ぬんじゃないか』と思いました。そして有楽町の駅で途中下車したのです。それから電車には『また発作が起こったらどうしようか』と思うと怖くて乗れなくなりました。結局、大学は二年生で辞めてしまいました。  東大。それは言わずと知れた最高学府です。ここへ入ったからには僕の将来は安泰だと思ってました。でもそうじゃなかったのです。政府は規制緩和の名の下に競争社会を生み出しました。僕は東大へ入ったことで、この競争に勝ったように思ってました。しかし実際はその後も競争がつきまとうのです。東大を出て一流商社に入ったのに、その後仕事について行けず、今はフリーターをしている先輩もいます。これが現実です。  親は言います。  『せっかく東大に入れたのに---』  それは分かっています。でも仕方がないのです。これは病気なんです。でも誰も分かってくれません。バイトをしようとしたこともありました。でも僕が引きこもりであったことからみんな色眼鏡出見るのです。その上、よく言われました。  『東大に行っていてどうしてこんなことをやっているの?』  誰も分かっちゃくれないんだ。僕がこの病気で苦しんで、また引きこもっていて将来のことも不安でいっぱいだっていうことも---。  僕が引きこもりから脱しても、この社会でやっていく自信もありません。  両親には悪いと思うのですが、こうなってしまったからにはみんなの手前、自殺するしかないと思いました。さようなら。                          佐山信吾」  拒食症の遺書---「私は華道の家元の○○流の一人娘として生まれました。親は弟子の中から跡継ぎを作り、私と無理矢理結婚させようとしたのでした。私には好きな人がいて、付き合っていたのですが、別れさせられました。どうして彼と別れなければいけなかったのか、今でも納得できません。そして親が次の家元にする男を連れてきたのです。そいつははっきり言って『おかま』で『マザコン』だったのです。  その上、デリカシーのかけらもありません。いきなり私を見て『痩せてるね』だって?  前の彼氏は私が拒食症だと知っていて、そのことは問わなかったいい人でした。それがどうしてあんな男と結婚しなければいけないのですか?  私は華道の他にも多くの教育を受けさせてもらいました。小さい頃からピアノや三味線や琴などの音楽、空手や合気道などの武術、英会話や書道なんかいっぱいさせられましたね。勿論、大学も出してくれましたね。それがこんな男と結婚するためだったなんて考えたらもう居ても立ってもいられなくなり、いつの間にかご飯が食べられなくなったのです。  その直接の原因は、その彼が『今度は太ってきたね』と言ったことです。私は自分が太ってるなんて思ったことがありませんでした。しかし彼は『ダイエットしたら?』なんて言うのです。本当にデリカシーのかけらもありません。  彼の目的は分かっています。次の家元になりたかったのです。私はお飾りでしかありませんでした。お飾りだからお飾りらしくダイエットしろということだったのだと思います。  私は悔しくて、朝食と夕食を抜き、お昼も野菜だけという生活を続けました。  体重はドンドン減ってきました。しかし、そのために今度は何も食べられなくなったのです。牛乳を飲んだだけで吐くようになってきました。  そして、入院しました。でも今度はお腹が空いてどんどん食べるようになりましたが、食べたものを戻してしまうのです。もうしんどいです。みんなと一緒に死なせて下さい。                       吉山留美」  借金の遺書---「俺が自衛隊にいた頃には借金なんかなかった。しかし訓練に耐えられなくなって除隊しました。その時親は『除隊したら勘当だ』と言いました。本当に勘当されてしまったので、もうお金を親にたよりこともできなくなって借金をしてしまったのです。しかし世間知らずの俺は十一(トイチ)の闇金から金を借りました。十日で一割です。明らかに利息制限法に違反しています。しかし元々違法なことをやっている連中だから取り立ても違法でした。  俺には恋人もいたんですが、借金があると分かると逃げていきました。そうして最初は百万借りたのですが、みるみる間に借金の利子が増えていき、五百万になりました。バイトの俺に返せるわけがありません。しかし取り立てはやってきます。夜討ち朝駆けなんて奴らは平気でやります。『目玉を売れ』とか『マグロ漁船に乗れ』とか言われました。俺は逃げました。東京を出て大阪、福岡、そして札幌なんかへも逃げました。でも取り立ては追ってきます。もう疲れました。  昨日、経済的な理由でじっちゃんが首をくくりました。僕も練炭で死のうと思っています。公務員だったのにこんな苦労をするとは思ってもいませんでした。あの三・一一の時にはいち早く東北の被災地に駆けつけて活躍したこともありました。  そんな自分がこんなことになってしまって恥ずかしい限りです。 もうおしまいです。  この辺で人生に見切りをつけます。                      小野祐輔」
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