自殺志願者七人全員集合

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自殺志願者七人全員集合

(序)    「うぎゃー!じ、じ、じ、じっちゃんが。あわあわあわ。死んでるー。首、首、首、首吊ってるー!誰かー!」  リスカが慌てて悲鳴を上げた。名前が分からないのでここでは「リスカちゃん」と呼ばれている女の子だ。「リスカ」は当然、「リストカット」のリスカである。この女の子の左腕にはリストカットの痕が生々しく残っているのでそう呼ばれていた。実は左腕だけではなく、太股にもリスカの痕がある。年の頃は十七、八でまだ高校生だと思われる。化粧っ気のない童顔であるが、体格が大きいので二十歳と言っても通るかも知れない。少し大きな女の子と言った感じか?と言っても身長は160㎝くらいで、そんなに高くはなく、また太っているという感じでもなかった。まあ、体格ががっしりとしていると言ったらいいのかも知れない。  彼女が「私、朝ご飯作るわね」と言って台所へ行った後、何かを見つけて大声で叫んでいる。ただならぬ事態の発生である。  この声に二、三人の男性が二階から階下へ降りてきた。    じっちゃんが鴨居にロープをひっかけて首を吊って死んでいた。死体がブラブラと揺れていた。揺れる度に天井がギシギシと音を立てた。  じっちゃんは年の頃は五十代。何でも小さな町工場を経営していたが、その経営が思わしくなかったようである。  「このままじゃ倒産だ。俺は死ぬしかない。畜生、銀行もなぜ融資してくれないんだ。一家も従業員も飢え死にだ。みんなバブルの時はあんなに調子のいいこと言っておいて事業が傾いたら手の平を返したようになるんだ。俺は死んでやる。銀行を恨んで死んでやる。借金なんか保険金で払ってやるよ」  と昨日まで言っていた。  縊死しているじっちゃんは目をかっと開け、何かを見つめていた。まるで何かを恨んでいるような目つきであった。上着が脱ぎ捨てられ、ワイシャツのままで首を吊っていた。首つり死体というのは「出るものは全て出す」と言われているが、ズボンが濡れているだけで、嘔吐した痕跡もなかった。しかし、耳垢や目垢は出しているようだ。 「あー。じっちゃん、やっちまったな」  「幻覚」が言った。その言葉には大変なことが起こったという焦りも死体を見た驚きも感じられなかった。半ば「とうとうやったか」という諦観のようなものが感じられた。「幻覚」という名は、しょっちゅう幻覚を見ているのでそう呼ばれていたのだ。  幻覚だけではなく、幻聴もあるようで、この男には精神病院の入院歴がある。年の頃は二十代。つぎはぎだらけのジーンズにTシャツという出で立ちである。「家」にはクーラーもあるが、真夏で汗をかきながらこの「家」までやってきたのだろう。Tシャツには汗が滲んでいて、「I am a prison.」と書かれていた。意味が分かっているのだろうか?  「ズボンが濡れてるぜ。大小便を漏らしたままだ。誰か早く降ろしてやってくれ」と幻覚は言った。  「誰かじゃなくて皆で降ろそうよ」  「鬱」が言った。言うまでもなく鬱病の「鬱」だ。  この鬱は、本当に鬱病になって、高校の教員をやめた男だ。年の頃は三十代。夏だというのにきちんと背広を着込み、ネクタイまでしている。やや背が高く、細身であった。この男にも驚きも焦りも感じられなかった。  幻覚は鬱を見て思った。  「(最近では鬱病は教師の職業病だと言われているが、この男、どんな顔で教壇に立っていたのだろうか?教壇から『自殺してはいけない。命を大切にするんだ』なんて言ってたのだろうか?)」  幻覚は想像すると可笑しくなってきた。状況が状況だというのにこんな想像をして不謹慎だとは思ったが、鬱が教壇に立っている所が浮かんできて薄笑いを浮かべていた。そして考えていた。  「(先生だからって、学校へ行く出で立ちでこんな所へきたのか。ネクタイまでしちゃって馬鹿じゃないか?この暑いのに背広まで着込んで。そんな真面目ちゃんだから鬱になったんだ)」    「それにしても駄目だよ。リスカちゃんまでおしっこ漏らしちゃ」  「ひきこもり」が言った。文字通り「ひきこもり」君である。みんなからは「ヒッキー」と呼ばれている。この男がひきこもりになった理由は判然としないが、医者からは「パニック障害」という病名を頂いている。どうも電車に乗ることができないらしい。年の頃は二十代。大学生という感じである。最近の大学生には珍しく、ストレートのズボンを穿き、黒縁の眼鏡を架けていた。カッターシャツの色も真っ白である。そんじょそこらの大学ではなさそうだ。「僕はよく勉強の出来る良い子ちゃんです」と顔に書いてあるような出で立ちであった。ただ、引きこもりらしく髭が剃れてなかった。しかし髪は七三に揃えられていた。また、なぜか分厚い眼鏡を架けていた。勿論、七三にはなっているが、髪の手入れはしてないので、伸び放題ではあったが---。  見ると、リスカちゃんは腰が抜けて小便を漏らしている。リスカちゃんはまだ未成年である。こんな状況に遭遇したことはなかったのだろう。勿論、それは他の連中だってそうだ。他の連中は未成年ではないが、こんな事態は初めてだろう。  「おいおい、俺達、ここへ死ににきたんだぜ。もっと冷静になれよ」  鬱が言った。  「だって、だって、じっちゃん、昨日まで生きて話してたのに。『自殺して保険金でみんなの退職金を払うんだ。銀行が貸してくれないのが悪いんだ』なんて言ってたのに---。それにみんなこの状況でどうしてそんなに冷静でいられるの?」  リスカちゃんが震える声で言った。  「(経営していた会社の資金繰りがつかんくなったってじっちゃんは言っていたが、そんなにひどかったのか?それじゃ銀行も融資を渋るよなあ)」  鬱が思った。  「とにかく男三人でじっちゃんを降ろすぞ。いいか?幻覚とヒッキー」  鬱が音頭を取って言った。黙って見ている場合ではないと心のどこかで感じていたのであろう。 三人でじっちゃんを降ろすことになった。  どこから持ってきたのか、じっちゃんの死体の横には梯子があった。多分この「家」の物置にあったのだろう。大きな農家であって、家の外には大きな物置があり、農機具なんかがしまってあるようだった。  鬱とヒッキーがはしごを登った。幻覚が下でロープを引っ張った。死体というものはこんなにも重いものなのか、幻覚は歯を食いしばって「うーん」と唸りながらロープを引いた。そして、ヒッキーと鬱が一生懸命縄の結び目を解く。  「がさっ」と音がしてじっちゃんは下へ落ちた。それとともにじっちゃんの糞や尿も飛び散る。  男達がじっちゃんを仰向けに寝かせると、幻覚がじっちゃんの目をそっと押さえて閉じさせた。  「じっちゃん、安らかな死に顔だよ」  鬱が言った。死んでいるじっちゃんを労るような言い方である。なぜか自殺したことが栄誉を受けたように言っているような感じだ。   「どうしたの?きゃー!じっちゃん!」  二階から拒食症が降りてきた。文字通り拒食症の女の子である。ガリガリに痩せていて、その姿は痛々しいほどだ。痩せているので年齢は十代に見えるが、その後に二十を超えていることが判明する。  この子がなぜ拒食症になったのかは分からない。しかし、最初は食事の拒否から始まって、その後食べては戻し、食べては戻しを繰り返していた。  「何があったんだい?朝っぱらから」  借金が下りてきた。文字通りこの男はサラ金から五百万の借金をしており、そのために自己破産してしまったのだ。年の頃は二十代の後半である。夏なのでジーンズとTシャツ姿だ。この男がなぜ五百万もの借金を作ったのかは誰も知らない。しかし、自分と同じような経済苦でやってきたじっちゃんが横たわっているのを見て全てを悟ったようである。彼も驚きもせずに諦観の混じった声で言った。  「これが俺たちの未来なんだな」  感情も鈍麻してしまっていて、じっちゃんが死んだことなど我関せずといった感じがした。  こうして、早朝から自殺志願者がじっちゃんを入れて七名集まったのだ。  「じっちゃん、一緒に死のうと言っていたのに早すぎるよ」  ヒッキーが言った。 「いや、それよりも、俺達練炭火鉢で死ぬはずだったんだ。首つりは違反だよ」  鬱が言った。どうも「死ぬ時はみんな一緒に」という申し合わせでもあったようである。  「いや、そんなことはない。じっちゃんは見事に自殺を遂げたんだ。見事だよ、じっちゃん」  幻覚が言った。明らかに自殺をしたじっちゃんを賞賛している。  「ねえ、それよりも私達、いつ死ぬの?」  拒食症がか細い声で尋ねる。死ぬことを不安と思って尋ねたのではなかった。明らかにじっちゃんのように早く「決行」したいという意志の現れであった。  「それよりもネットにあんなスレ立てたのは誰?この中にいるはずよ」  リスカが言った。ネットにスレを立てた人物を非難するのではなく、ただ興味本位から出た言葉であった。  「そんなの探して何になる?俺達のやることはじっちゃんのように死ぬことだ。それよりもじっちゃんの遺書を探そうよ。どこかにあるはずだ」  借金が言った。この男は死ぬことを明らかに急いでいる。誰がネットで自殺者を「募集」したかなんてどうでもよかったのだ。     借金の言葉で遺書探しが始められた。台所や書斎、そしてリビングやじっちゃんの自殺した部屋などが丹念に調べられた。  何のことはない。遺書はじっちゃんが自殺した踏み台の下から見つかった。  「私の保険金を従業員の退職金にして下さい。後は妻に任せます。それから、私よりも若い人達が集まっていますが、彼らに『まだ死ぬのは早い。人生これからだ。私はもう十分に生きた』と言って下さい。若い人達はまだやり直せる。やり直すんだ。  それから俺は銀行に復讐してやる。化けて出てやる。昔はお金を貸してくれたのに、今になって手の平をかえしたように貸し渋りをするって何事だ。まあ、お金を持っている銀行って偉いんだよね。俺達のような町工場はつぶれても良いって思っていやがるんだ。  さようなら  名古屋市千種区○○3ー5ー2                      井上幸太」  そしてご丁寧なことに印鑑が押してあった。  (一)六人の過去    じっちゃん、幻覚、鬱、ヒッキー、リスカ、借金、そして拒食症の七人は全て「自殺サイト」に立てられたスレッドで集まった連中であった。  集まった家は田舎の豪邸といった感じであったが、空き家になっているらしかった。  初日の朝、先ずはじっちゃんが到着した。作業用の上着を着ていた。庭に入り、玄関でインターフォンを鳴らした。誰もいないようであった。  「誰もいないのか?まあ、俺一人でも自殺はできる。大丈夫、大丈夫」  そう自分に言い聞かせた。季節は夏真っ盛りで、じっちゃんが到着した時刻は朝であったが、蝉がシャーシャーと啼き、うるさいほどであった。じっちゃんは、きちんとカッターシャツと作業着を着込み、いかにも中小企業の社長だといった出で立ちであった。家には鍵はかかっていなかった。  中へ入るとリビングと台所、そして日本間があった。日本間には用意のいいことに練炭火鉢が置いてあった。じっちゃんは社長らしく、ソファーに座るとタバコを取り出して吸い始めた。やめて五年になるタバコだ。死ぬ前に一服と思ったのであろう。額に年輪が刻まれている。苦労が多い生涯を送ったことが顔から窺い知れた。  次にやってきたのは幻覚であった。Tシャツにジーンズという出で立ちで、鞄も何も持ってはいなかった。  幻覚がインターフォンを押した。  「ごめん下さい」  「あ、誰か来た。自殺志願者だろうか?もし違う人だったらどうしよう」  じっちゃんはそう思いながらインターフォンごしに尋ねた。  「どちら様ですか?」  「ネットを見て来たのですが」  まちがいなく「志願者」だ。ネットを見て来たということは自殺志願者に間違いない。  「はい、今開けます」  じっちゃんはそう言って一旦閉めた玄関の鍵を開けた。  「あなたもネットを見て死ににきたのですか?」  幻覚が尋ねた。そこには遠慮というものがなかった。目の前にいるのは同類項の自殺者だ。遠慮なんかいらない。しかし年齢差のギャップは大きい。  「そうです。会社が倒産しそうなんです」  じっちゃんが答えた。  「僕は精神に病気を抱えてて、幻覚や幻聴があるんです。僕の入社した会社は大変なブラックで、残業残業の繰り返しでおかしくなったんです」  幻覚が言った。じっちゃんと幻覚は話を始めた。同じ自殺志願者ではあるが、じっちゃんから見ると幻覚は、自殺するには若すぎるように思えたからだ。  「そうか?あなたはまだ二十代か三十代くらいに見えますが」  「はい」  「私は五十を超えています。もう悔いはありません。とにかく上がって下さい」  幻覚が靴を脱いで上がってきた。  次に来たのは鬱であった。  幻覚とじっちゃんがとりとめもない話をしているところで、昼頃になり、インターフォンが鳴った。  「ごめん下さい、誰かいらっしゃいますか?」  幻覚が出た。  「ネットを見てこられた方ですか?」  ここで他人の介入を許してはいけない。もし許せば全員不法侵入ということになって、「決行」できなくなるからだ。そこで幻覚は確認を取ったのだ。  「そうです」  安心した幻覚はインターフォンごしに答えた。  「私もそうです。どうぞお入り下さい」  鬱が玄関を開けた。幻覚と違って背広を綺麗に着込み、眼鏡をかけた三十代と思われる長身の紳士が立っていた。誰も質問していないのに鬱は話し始めた。  「僕は鬱病です。元高校の教師だったのですが、病気で辞めてしまいました。それからはいつも死ぬことばかり考えてきました。その決行のためにやってきました」  じっちゃんも出てきた。  「これで三人になったね。僕は村沢孝太郎。『幻覚』と呼んで下さい」  「私は『じっちゃん』でいい」  「僕は『鬱』でいいよ」  その時、またインターフォンが鳴った。拡声器に若い女性の声が聞こえてきた。  「ネットを見て来たのですが、誰かいますか?」  鬱が出た。見るとまだ高校生くらいの童顔の女の子が玄関に突っ立っていた。短パンとTシャツを着ていて、やや太っているが、可愛い女の子であった。  「『ネットを見て来た』って、何しにきたの?」  鬱が尋ねた。それは、「こんな子供が死ぬだなんて」という疑問と疑惑に満ちた声であった。  「勿論、死ぬためにきたのです」  あまりにも平然と言い放ったので鬱は呆気にとられてしまった。Tシャツからはみ出た左腕にはリストカットの痕が無数にあった。  「荻内由香子と言います。高校中退です。何を見ているの?ああ、このリスカの痕ですね。左腕だけじゃなくて太股にもあるのよ」  そう言って何の恥じらいもなく太股を見せた。最近の高校生は短いスカートなんか穿いて、恥じらいという考えが欠如しているようだ。  鬱は年甲斐もなく興奮していた。目の前には女子高生がいる。しかも体はムッチリとしていて乳もでかい。「あー、たまらない。死ぬ前にこの子とやりたいなあ」なんて不謹慎なことを考えていた。しかしこんな感情を表に出すわけにはいかない。平静を装って鬱は言った。  「僕は高校の先生をしていた」  鬱が言ったので、女の子は驚いて目を丸くした。  「先生なんて叱られるばかりだったのに、一緒に死ぬなんて考えてもみなかったわ」  「先生なんて呼ばなくていいよ。鬱って呼んで下さい」  「じゃあ、私はリスカって呼んで」  自分の呼称を自分で考えるのもおかしな話だったが、あだ名をつけて呼んだ方が自殺者らしく聞こえると鬱もリスカちゃんも思ったようである。  「わかった。学校ではリスカなんか珍しくないからね」 「ふーん、私先生って嫌いだけど、あなたは何か違う」  この子にとって何が他の先生と違うのだろうかとは思ってみたものの、鬱はそう言われて内心嬉々としていた。しかし相手は自分がついこの前まで相手をしていた高校生と同じ年齢に見える。そこで鬱は言った。  「ありがとう。でもその歳で死ぬなんて---」  「ま、色々あるからね」  色々って何だろうか?いじめ?虐待?病気?まあ思い詰めてやってきたのだろう。問い詰めることもないか、と鬱は思った。  その時、またインターフォンが鳴った。  「ごめん下さい、誰かいますか?」  鬱が出た。  「何の用でしょうか?」ここには自殺者が集まってくるはずだ。しかし用心した方がいい。自殺者でなければ通報されて不法侵入になってしまう。  「僕は借金で首が回らなくなって死のうと思ってきたのですけど、ネットを見て来たのですけど」  今回も鬱が出て対応した。体格のいい男が立っていた。  「ああ、よかった。仲間ですね。入って下さい」  図体のでかい男が玄関で靴を脱いで上がってきた。頭は綺麗にスポーツ刈りになっている。どう見ても体育会系という感じで、これから死ぬとは思えなかった。しかし借金があると言っていたから、これも十分に自殺事由にはなる。  「借金って、いくらぐらいあるのですか?」  まさか数万円の借金で自殺なんて考えないだろう。そこで鬱は思い切って尋ねたのだ。  「五百万です。自分は今無職ですけど、以前は陸上自衛隊にいました」  「自衛官ですか、国家公務員だったらお金はあると思うんですけど」  「いえ、退官して今はフリーターです。闇金で金を借りたら首がまわらなくなってしまって---。利息は十一(といち)です。十日で一割。無茶苦茶でしょう。死なせて下さい」  「いいでしょう、あなたも私達の仲間ですね」  「はい。自分はただ死ぬためにここへやって来ました」  彼が自分のことを「自分」と呼んだことがいかにも元自衛官だということを物語っていた。  新入りさんが次々とやってきたが、じっちゃん、幻覚、鬱、リスカ、そして借金は何も喋らなかった、---というよりは話す話題がなくてぼんやりとしていただけである。  時刻は二時になっていた。じっちゃんがコンビニで買ってきたらしいおにぎりを食べ始めた。  「すみません、腹が減ったもので。皆さんは食事はしてきたのですか?」  「僕は昼食は食べて来ました」  「自分も」 「俺も」 「私も」 その時、またインターフォンが鳴った。  「ごめん下さい。ネットを見て参加させてもらおうと思って来たのですけど」  男の声だった。二十代かと思われる。ハキハキした口調であった。今度はじっちゃんが応対した。  「我々も仲間です。お入り下さい」  半袖のカッターにストレートのズボンを穿き、髪は七三に分けてあるが長く伸び放題で、髭がボウボウと生えた男が入ってきて靴を脱いで上がってきた。  こちらが何も言わないのに勝手に身分を語り始めた。  「僕は引きこもりです。有名大学にいたんですけど、在学中から引きこもっています」  「私は元高校の教員です。ここでの呼び名はヒッキー君でいいですね」  鬱が言うとヒッキーはなぜか目が首狩り族のように好戦的になった。  「学校の先生がどうしてこんなところにいるんだよう?」  学校の教師という者はとかく嫌われる。税務徴収官や警察官と教師はなぜか嫌われ者になるのだ。しかしこの男の言い方は何だ?教師だって自殺したい人間はいくらでもいるのだ。鬱は、この男の口の聞き方に腑が煮えくりかえって言った。  「いちゃ悪いか?」  「ああ、悪いね。俺が引きこもったのもみんな先公のせいだ。先公なんか勉強の出来る奴だけを可愛がって、平気で贔屓しやがる。まあ、俺は贔屓されていた方だがね。でも引きこもりになってから先公の家を訪ねたら『何甘えてんだ』て言われて終わりだった。先公なんかそんなもんだよ」  「まあいい。教師なんかずっと偏見の目で見られるんだから」  「偏見じゃねえよ。事実だよ」  鬱は自己抑制が効かなくなっていった。そして言った。  「貴様、おれとやるのか?」  「ああ、いつでもやってやる。この自我が肥大化したナルシストが!」  そこへリスカちゃんが割って入った。  「来て早々に何をいがみ合っているんですか?みんな仲間じゃないですか?」  「仲間ねえ」  そう言いながらヒッキーが入ってきてソファーに腰を下ろした。先生なんかと「仲間」にはなりたくないという嫌みな言い方だった。   その時、またインターフォンが鳴った。か細い女性の声でインターフォン越しに何か言っている。    「すみません、ネットを見て来ました」 若い女の声である。ヒッキーが出た。  「俺達もネットを見て参加した。これで七人めだ。どうぞ」  「失礼致します」  そう言ってTシャツにジーンズの女性が入ってきた。短身で、しかもかなり痩せている。しかし礼儀作法は身についているようだった。  「痩せてるね」  ヒッキーは遠慮会釈もなく思ったことを正直に伝えた。その答えに動揺する様子もなく、女は答えた。  「はい、私拒食症なんです」  「ふーん(でもいい女だなあ。俺のタイプだ)」ヒッキーは不穏当なことを少し考えていた。実はここで鬱もヒッキーと同じことを考えていた。しかし、どう見てもリスカちゃんの方が鬱のタイプであった。鬱は既に最初からよからぬことを考えていたようだった。  こうして自殺志願者七人が集まった。突然じっちゃんが言った。  「見るとみんな若いようだが、いいのか?これからの人生いいことがあるかも知れないよ」  確かにじっちゃんから見るとみんな自分よりも二十歳以上若そうだ。それが自殺だなんてと思ったのだ。  しかし、じっちゃんの予想に反して全員かぶりを振った。  「いいことなんかあるんだったらこんな所へ来てません」  リスカちゃんが言った。  「そうだ、みんな思い詰めてやって来たんだ」  鬱が言った。  「自分なんか自己破産しちゃったんだから」  借金が言った。  「宇宙人が死ねって言うんだ。でも自分だけでは死ねなくて、ネットを見て参加しました。一人で死ぬよりも沢山仲間がいた方が死にやすいからね」  幻覚が言った。  「俺はいたらみんなに迷惑のかかる駄目教師なんだ」  鬱が念を押すようにもう一度答えた。  「私、ご飯が食べられないの。食べても戻してしまうの」  拒食症が言った。確かに拒食や過食は苦しいらしい。それは本人にしか分からない。  「年齢なんか関係ないよ。なあじっちゃん」  鬱が言った。  こうして自殺志願者が七人集まったが、まだ誰も「死のう」とは言ってなかった。  そこで七人はリスカちゃんと拒食症の作った夕食を食べて、明日死のうということに衆議一決したのだった。  そして次の日の朝に、じっちゃんが先ず首を括ったというわけだ。 *  七人は自殺サイトのスレッドを見て集まった連中だ。  そのスレッドには、こう書かれていた。  「自殺したい人、全員集まれ。このスレッドは消去されるかも知れないが、我々の意志は固い。この世は地獄である。生老病死の世界である。一切皆苦である。この世界から逃れる方法は自ら『死』を選択することだ。その上にリーマンショック以降、格差社会ができてしまった。死ぬしかない人が沢山いるのだ。三万人もいるのだ。だから我々は死を以って世間様と国に抗議する。賛同する者は集合せよ。  場所:神奈川県○○市4ー205の廃墟になっている住宅。横田という表札あり。○○市の駅で降りて徒歩5分。『横田さんの家』と言えばみんなわかる。  方法:練炭を使って一酸化炭素中毒死。集合したら逃げることは禁止。覚悟のある者のみ参加せよ。怖いと思ったら、各自睡眠薬の用意を」   「私、死ぬの怖くなってきた。だってじっちゃんのこんな姿見てしまったから」  リスカちゃんがため息交じりに言った。それはここへ覚悟を決めて来たというわけではないといったため息であった。  確かに縊死の跡というのは凄まじい。大便や小便、鼻水や耳垢など、出すものをみんな出している。その上、とてもじゃないが「安らかな」死に顔とは言い難かった。  「私、美味しい物いっぱい食べてから死にたい。でも、食べたらみんな吐いてしまう」  拒食症が言った。言いながらなぜかうつろな目をして天井を眺めていた。  「じっちゃんも書いてあったよなあ。まだ俺達は若いから早すぎるって」  ヒッキーが言った。 「とにかく、まだ決意の固まってない者もいるようだ。みんなでこれまで生きてきた人生なんかを語ってから死のうよ」  幻覚が言った。そう。それぞれに自殺までに至ったストーリーがあるはずだ。こうして仲間が集まったのだから、それを話してもいいだろう。 「それがいいわ。みんなで話しましょう」  まだあどけなさが残るリスカちゃんが賛同した。  こうして六人がそれぞれの人生を話しあうことに決まった。  「誰から話す?」  鬱が言う。  「そりゃあ、言いだしっぺの幻覚からだよ」  ヒッキーが言った。  こうして、先ずは幻覚が話しを始めることに決まった。  幻覚が話しだす。    「僕は村沢孝太郎、二十七歳。僕は統合失調症で、時々幻覚や幻聴に襲われます。仕事はしていません。---と言うか、大手の広告代理店に勤めていたんですけど、ひっきりなしに上司や同僚の声で『能なし、辞めろ』と聞こえてくるので、同僚と喧嘩になって辞めました。それ以後、近所の人の悪口が聞こえるようになったんです。それだけではなく、僕の部屋に毎日UFOが来て宇宙人が火をつけるぞと脅すんです。それから様々な命令もしてきます。『肉を食べるな』とか『マンションから飛び降りろ』とか『今日はカップラーメンを食え』なんて言ってくるのです。  だから最近は自宅から一歩も外へは出ていません。まあ、時々コンビニへ行くことはありますが---。 僕がこんな病気になったのは仕事のせいだと思います。毎日毎日残業で、このままでは過労死だと思っていました。○○社と言えば、みんなも知ってるようなかなり大手の会社なんですが、実態はこんなものです。もしも僕が過労死しても、みんなは『自己責任』と言うでしょう。でも、面接ではどこの会社も採用がなくて、こんな大きな会社が拾ってくれたので喜び勇んで入社したのです。それが結果として退職に追い込まれるとは入社した時には全く思っていませんでした。  僕は様子がおかしいと思われた同僚によって入院させられ、会社から解雇されたのです。会社は『雇用保険があるからその間に仕事を探して下さい』と言ったきりです。  それから僕は家の二階で引きこもりのような生活を送ってました。家族には迷惑のかけっぱなしです。宇宙人が『言うことを聞かなければ家族の者を宇宙船に連行する』なんて言うのです。  だから、このままではいけないと思って、死ぬことを考えるようになりました。だって、生きていたら家族のみんなに迷惑をかけるから」  「こりゃ深刻だわ。ここでは誰も君の悪口なんか言わないから安心して。それから医者にはかかっているの?」  鬱が言った。  「はい。一回精神病院へ入院しました。薬も飲んでます」  「人生終わったって感じ」  入院歴があると聞いてリスカちゃんが言った。実はリスカちゃんにも入院歴があったのだが---。  「そんなこと言ってあげるなよ。みんな同じ仲間じゃないか」  鬱がリスカちゃんを制した。鬱の考えでは精神病院に入院したくらいでは「人生が終わった」とは言えないのである。実は鬱にも入院歴があったのだ。  また、幻覚や幻聴も普通のことだと思っていた。鬱病でも幻聴が聞こえることもある。  「わかった。私達、朝ご飯作ったから食べながら話そ」  リスカちゃんが答えた。 こうして、六人は朝食をしながら「身の上話」をすることになった。テーブルの上にはリスカちゃんと拒食症が料理した魚や卵やハムサラダなどが並べられてある。パンもバターもコーヒーも用意されていた。リスカちゃんも拒食症も大変気のきく子だったようである。  「次は俺だな」。鬱が口を開いた。朝ご飯のパンとコーヒーで腹を満たしながら話し始める。何か自分が自殺をするようになった理由を、あたかも武勇伝のように話したくて仕方がないような感じであった。元教師だから話すのは好きなのであろう。  「俺は安田幸作。じっちゃんが見事に自殺を遂げたから、多分俺が最年長ということになるだろう。俺は元、学校の先生。三十五歳。 十年前に鬱病の診断を受けて、それから死ぬことばかり考えていた。  元々はやり手の教師だったんだけど、働き過ぎて鬱病になってしまったんだ。生徒との関係が悪くなったことも原因している。それからは校長や教頭からのパワハラに遭った。『能なし、辞めろ』とか言われたこともあるし、鬱がよくなって出勤しようとしたら校長から『あんたの席はもうないよ』なんて言われた。  それから鬱のスパイラルが始まったんだ。すなわち、学校を休む↓出て行くといじめられる↓鬱がひどくなる↓また休む↓出て行くといじめられる↓鬱がひどくなってまた休む、と言ったことの繰り返しになってしまったんだ。  信じられないだろうが、俺が他の教師達から何と呼ばれていたと思う?『ウンコ教師、ドド山ボロ彦』だよ。誰も『安田先生』なんて呼んでくれない。『ドド山先生』とか『ウンコ』とか呼ぶんだ。生徒がじゃないよ。教師がだよ。彼らは不登校や引きこもりの生徒をどう指導しているのかなあ?やっぱりできない生徒のことを『ウンコ』とか『ドド山ボロ彦』なんて呼んでいたのかなあ?  学校では校長に虐められ、同僚に虐められ、生徒に虐められ、親にも虐められ、もう生きていくのが嫌になったんだ。俺は仕事ができなくて毎日残業して一生懸命やっていたんだけど、いつの間にか年下の先生まで俺のことを馬鹿にするようになってきたんだ。授業は上手いつもりなんだが、そんなこと誰も評価してくれない。事務仕事が全くできないからなんだ」  「ふーん。でも先生、感じいいよ。私、先生のような人に教えてもらいたかったなあ」  突然リスカちゃんが言った。それはリスカちゃんの本心であった。彼女は「教師」というものからは常にぞんざいに扱われていたので、今目の前に自分と同じ自殺者としての教師がいることが嬉しかったのだ。鬱も嬉しかった。こんな若い女の子から「感じが良い」なんて言われたのだ。当然である。  「あのね、リスカちゃん。先生は授業で評価されるんじゃないんだ。『事務仕事』、学校では『校務分掌』って呼ぶんだけど、それで評価されるんだ。授業なんか関係ないんだよ。僕はコンピュータができるわけでもないし、仕事も遅い。その上僕は先生の癖に保健室登校なんかしたことがある。駄目教師なんだ。学校のお荷物なんだ」  「保健室登校」と聞いてリスカちゃんは喜びでいっぱいになった。そして言った。  「私も保健室登校していたよ。途中から学校退学しちゃったけど。だから高校二年生から学校へは行ってないの」  鬱は教師の癖に自分と同類項なのだ。しかし、この時に突然の雷鳴がなるように唐突な言葉がヒッキーから投げつけられた。  「先生って、結構な給料もらっているんだろ?死ぬなんて贅沢だよ」  余程教師というものに恨みがあるのだろう。どこでそんな恨みを抱いたか分からなかったが、そう言われて鬱は頭髪天を突く勢いで食ってかかった。こいつは一体何なんだ?  「あんたこそ働いたことがあるのか?」  ヒッキーの言葉で頭に血が上った鬱が答えた。  「あるよ。バイトだけど」  「バイトくらいで何がわかる?」  そう。鬱は、ブラックのような教師という仕事をやってきたからこんなことが言えるのだ。引きこもりに何がわかる。そう思って言ったのだ。しかしヒッキーからの返事は意外なものであった。  「お?バイトを馬鹿にするのか?俺はブラックバイトもしたことがあるぜ」  「そういうわけじゃないけど、引きこもっていて生活はどうするつもりだったんだ?」  こうなっては論戦を繰り広げるしかない。鬱とヒッキーのバトルが始まった。  「そうだなあ、このまま親が死んだら野垂れ死にだなあ。まあ、ここで死んでも一緒だ。早いか遅いかの違いだけだ」  ヒッキーがまるで他人事のように言ったので、鬱はやり返した。  「引き籠りの癖に偉そうなこと言うなよ。親に養ってもらってて何が死にたいだ。死ぬのなら親が死んでからこっそりと死んでくれ」  鬱は怒りを込めて言った。ヒッキーも応戦してきた。  「けっ。何を偉そうに言ってやがる。あんたは本当に生徒の事を考えたことがあるのかい?ないだろうよ。自分のことばっかり考えてな。あんたのような教師がいるから俺のような引き籠りを産むんだ。あんたのような教師に引きこもりの俺たちの気持ちが分かってたまるか?偉そうにするな」  「あんたの物の言い方はまるで校長や教頭のようだな。いいか?俺は生徒のことを何も考えていなかったわけじゃない。いや、それどころかカウンセリングの係をやっていて一生懸命生徒達の訴えを聴いてきたんだ」  「その先生が保健室登校かよう?」  「そうだ。悪いか?俺は保健室から生徒の様々な情報を得ることができた。誰々がリストカットしたとか誰々がオーバードースしたとか、保健室にいないと分からない貴重な情報を仕入れることができた。それは無駄とは思ってない」  「ふん。ただのノイローゼ教師じゃないか?何を偉そうに言ってやがる」  「二人ともやめてよ。一緒に死ぬんだから」  拒食症が割って入った。論戦は一時中断になった。  「次は借金だ。これに参加した事情を説明してくれ」  鬱が言った。借金は話し始めた。    「俺の名は小野祐輔。元自衛官。陸上自衛隊にいたんだけど、きつくなって仕事を辞めた。訓練についていけなくなったんだ。それからアルバイトを転々としてきたんだけど、生活できなくなって十一(といち)の闇金から借金をしてしまったんだ。『といち』というのは利子が十日で一割ということだ。  大体十日で一割なんて返せるわけないよ。最初は百万借りたのに、借金はあっと言う間に五百万に膨れ上がった。すると朝と言わず夜と言わずに取り立てが来るようになった。俺が『返せない』と言うと、『じゃあ、マグロ漁船に乗ってもらおうか?』なんて言われた。『目玉と腎臓は二つあるやろが、片方売れ』なんて言われたこともある。ここは日本だよ。どこかの独裁国家じゃないんだよ。目玉や腎臓を売れって何だい?それで自己破産したんだけど、元々闇金だから破産しても取り立ては来る。そこで全国を逃げ回る生活を送っていたんだ。本当に北海道から沖縄まで逃げ回ったけど、もう死ぬしかないと思ってやってきたんだ」  「じゃあ、次は女の子に話してもらおうか。リスカちゃん、いいかい?」  鬱が言った。何か鬱はリーダーになっているかのようであった。  リスカちゃんが話し始めた。    「私の家は母子家庭です。私が小学校一年生の時に両親が離婚して私は母親に引き取られたの。私、その母親から虐待を受けたの。ご飯を抜かれたり、棒で叩かれたりしたわ。小学校の時からずっとよ。児童相談所に預けられたこともあった。母親は気に入らないことがあると私を殴るの。    そして、中学の時からリストカットをすることを覚えたの。腕を切るとねえ、じんわりと血が流れてくるの。それが止められなくなってしまったの。あ。私の名は荻内由香子。高校を中退してるから、今十七歳です。それから母には男がいます。すなわち義理のお父さん。私、その男に強姦されました。あの男は獣よ。お母さんは気づいてないけど---。それから学校にも行けなくなって町を徘徊するようになったの。そうしたらSNSで体を売ることを覚えてしまって、一回三万円で体を売ってたの。気前のいいおじさんだったら高校生の私を見て五万も払ったわ。でも学校で単位を落として留年することになったから、もういいやと思って学校もやめたの。  それから私は在日韓国人なの。前の父親が在日韓国人だったからよ。と言ってもお母さんは日本人でお母さんに引き取られたからハーフです。国籍は日本です。私、そのことで小学校の時からいじめられたの。今でも差別ってあるんですよ。同級生から『お前なんか半島へ帰れ』なんて言われたわ。まあ、これは高校生になるとなくなっていったけど。前のお父さんの本当の名前は朴と言います。だから最初、私の名は朴でした。お母さんが離婚してから荻内に変わったけど。  前のお父さんは私を可愛がってくれたわ。でも母さんはそんなお父さんと別れて、今の親父とセックス三昧。ご飯も掃除も洗濯も私にやらせるの」  「これも深刻だなあ。リスカちゃん、通信制の高校だってあるし、フリースクールもあるよ。その年で死ぬなんてもったいないと思わない?考え直してもいいんだよ。勿論、ネットには『逃げ出すこと不可』って書いてあったけど、そんなもの誰が逃げ出したかなんてわかるわけがない」  鬱が言った。  「いいの。生きていたって楽しいことなんかないもん」  これに対してヒッキーが噛みついた。ヒッキーはよほど鬱が気に入らなかったのであろう。  「鬱先生よう、女の子に対しては優しいんだな。逃げ出すこと不可って書いてあったら不可なんだよう」  「何を言うんだ?この子は未成年なんだぞ」  そう。未成年の死因の第一位は実は自殺だったのだ。  「未成年だからって、ここへ来たんだ。約束したようなもんだ。きちんと従ってもらわないと困るなあ」 「君だって死ぬことを怖がっているんじゃないかな?」  「怖いわけではない。ただ、何もいいことをせずに死ぬのはどうかなって思っているけどね」  「『いいこと』ねえ」  ヒッキーが「いいこと」と言ったので鬱は半ば呆れてしまっていた。仕事もしてない奴がどんな「いいこと」ができるんだ?といった感じである。するとヒッキーはこの言葉に噛みついた。  「何だ、その言い方は?引きこもりはいいことが何もできないって言うのか?俺だってネットの掲示板で悩みを持った中高生の相談役だったんだ。それがいいことは何もできないって言うのか?」  「そんなこと誰も言ってないじゃないか?」  「二人とももうやめて!」 リスカちゃんが割って入った。そこで鬱は言った。 「さあ、次はヒッキーかな?どうだ?あんたにも話せるような物語があるか?みんな学校へ行ったり働いたりしてきたんだぞ。だからストーリーというものがあるんだ。君にはあるのか?」  「馬鹿にするなよ。あるよ」  ヒッキーは憤然として言った。そしてヒッキーが話し始めた。  「僕の名は佐山信吾と言います。僕は大学中退で、今二十五歳です。僕が引き籠りになったのは大学生の時です。こう見えても、東大の工学部に通ってました」  一同が「おー」と言う。さっきから論争をしていた鬱だけは驚いた様子を見せなかったが、「東大」というブランドには誰もが弱いようであった。ヒッキーは続けた。  「僕がひきこもりになったのは、学校へ行こうとして電車に乗っていた時のことです。急に不安でたまらなくなり、次の駅で降りました。それから電車に怖くて乗れなくなり、以後ひきこもってます。高校時代はみんなから『天才』と言われていたのに恥ずかしい話です。ここへは何とか電車に乗ってきましたが、片道切符です。もう、ひきこもりから脱出したいと思っております。その一番の方法は死ぬことだと思い、ネットを見て参加しました。僕は医者から薬をもらって飲んでいます。医者は『パニック障害』という診断を下しました。勿論、働くことも大学へ戻ることも何度も考えたけど、いざ電車に乗ろうをとすると心臓がバクバクしだしてどうしても乗れないんです。親は『せっかく東大に入れたのに』なんて言うんだ。だれも分かっちゃくれないんだ。僕が病気で苦しんでいることを。  こんなことだと暮らしても行けないし、もう本当に死ぬしかないと思ったんだ」  「東大ねえ、君のようなエリートがどうして死ぬことを考えるんだ?」  鬱が言ったのでヒッキーは答えた。  「東大がどうした?俺の友達には東大を出てフリーターをやっている奴なんかいくらでもいる。大学なんか関係ないんだ。どんな立派な大学を出ても会社でこき使われて辞めていった奴なんかいくらでもいる。鬱先生よう、あんたは本当に世間知らずなんだな」  「引きこもりに『世間知らず』なんて言われたくないよ」 「チェッ、ここまで来て『引きこもりは』なんて言われるのか?引きこもりで悪かったね」 「引きこもりだから悪いなんて誰も言ってない。君から喧嘩を売ってきたのだろう?俺達は一緒に死ぬんだ。そんなこと思ってないよ」  「そうか、悪かった」  ヒッキーはあっさりと自分の非を認めた。しかし最初から鬱のことをよく思ってなかったことは確かだ。  「じゃあ、次は拒食症ね。何か、元気がないようだけど話せますか?」    か細い声で拒食症が話し始めた。  「はい。声が小さいかもわかりませんが許して下さい。私は好きだった男の子から『太っている』と言われ、それが気になって、ダイエットをしたんです。体重は気持ちのいいほど減ってきました。今の体重は三十キロ代です。でも、お腹が空いて、今度はどんどん食べるようになりました。でも、食べたら吐いてしまうんです。食べては吐き食べては吐きしていると苦しくて---」  「何だ、たかが失恋じゃないか?」  「そんな言い方はやめろ!」  鬱が借金をたしなめた。  原因が失恋だとしても、本人は自殺するくらい思い詰めているのだ。  拒食症は話を続ける。  「私の名は吉山留美。何歳に見えますか?」  「十代だろうなあ」  借金がこの子の年齢を予測してそう言ったかと思うと、拒食症はなぜかにたりと笑って答えた。  「二十五です」  一同は驚きを隠しえなかった。どう見ても十代だ。痩せているから若く見えるのだろう。  そこへ鬱が割って入った。  「君の年齢くらいは俺には分かる。今どれだけ学校に拒食症や過食症の生徒がいると思っているんだ?俺はそういった生徒達と付き合ってきたんだ。リスカやオーバードースも珍しくはない。全国の不登校の生徒を集めたら学校が二十校も建ってしまう。学校は病んでいるんだ」  拒食症はまだ話を続ける。  「私は華道で有名な○○流の一人娘なの。私の好きだった人は『拒食症なんて関係ない』と言ってくれたんだけど、両親は、私を別の人と無理矢理結婚させようとしたの。そいつはおかまでマザコンで、私を見るなり『痩せてるね』なんて言うの。デリカシーの一欠片もない奴なのよ。最初は『太っているねえ』なんて言ってたのに。  こんな男と結婚するなら死んだ方がいいわ」  鬱が話に入ってきた。  「自殺するかどうかは自由だ。しかしみんな何かを背負ってここへ来たんだ。人の悪口や奇妙な詮索はやめようじゃないか」  この鬱の言葉に誰も一言も言えなくなってしまった。みんな人ごととは思えなかったからだ。  こうして六人とも過去を話し終えた。 *  それから、朝食が終わって、また六人が話し始めた。全くとりとめもない話であった。  「じっちゃんの遺体どうしよう?」  「そんなもの、どうせ俺達も死ぬんだから放っておいたらいい。」  「放っておいたら臭ってくるよ」  「ああ、夏だからなあ」  「俺たちも死んだら臭うのかなあ」  「どうせ死ぬんだ。どうでもいいじゃないか」  「そうそう。どうでもいい」    「それにしても広間にはきちんと練炭火鉢とガス栓があったよ。手回しが良すぎる。きっとこのスレを立ちあげた奴が用意したんだ」  借金が言った。  「一体誰があんなスレ立ち上げたんだ?」  幻覚が言った。  「そりゃ、この中にいるかも知れないし、他のだれかかも知れない」  鬱が言った。  それからはスレを立ち上げた「犯人」捜しが始まった。  「この中にいるのかなあ?」  「いないかも知れない。みんなが自殺するのを高見の見物しようとしてるんだ」  「いや、そんなことはない。この中にきっと居る」  「どうしてそんなことが分かるんだ?鬱先生よう。あんたじゃないのか?」  「お前こそ怪しいぞ。ヒッキー。何で一人で死なないんだ?」  「二人ともやめてよ。そんなことどうだっていいじゃないの」  ヒッキーと鬱のバトルが始まると、必ずリスカちゃんが割って入るのだ。リスカちゃんは「みんなで仲良く死のう」と思っているようであった。  「それもそうだなあ。リスカちゃんの言う通りだ」  鬱がそう言うと、また言葉を足した。  「おい、幻覚と借金。あんた達はさっきから聞いているばかりで何も言ってないけど、どうなんだ?お前か?最初にこの疑問を出したのは君たちなのに---」  「俺だったら一人でも死ぬよ。UFOがやってきたら死ぬ方がましだから」  「俺が自殺するとしたら本当はサラ金の前で死んでやりたかった。でもあんなスレ立てたりしないよ。ねえ、犯人捜しなんかどうでもいいじゃないか。もうやめよう」  「あのー。私、トイレへ行ってきます」  突然、拒食症が言った。  「ああ、行ってきな」  鬱が言った。  「あの子、トイレで今食べたものを吐きに行ったんだ」  ヒッキーが言った。  「そのくらいのこと、俺だって分かるよ」  鬱が言った。 *  その時である。突然電話が鳴った。「プルル、プルル」という着信音が途切れ途切れに聞こえる。  「一体誰なんだ?俺たちのことを知っている奴かなあ?」  「いや、単なる間違い電話かも知れない」  「もしかしたら、ここの住人にかかってきたのかなあ?」  「いや、ここは空き屋のはずだ。誰が出る?」  「俺が出る。確かここの住人の名は横田だったよな」  鬱が責任者らしく言った。しかし、発信音は十回くらい鳴っただけで途切れてしまった。  その三十分後、また電話がかかってきた。不気味な着信音が聞こえてくる。  「プルル、プルル」  鬱が電話にでた。  「もしもし、横田ですけど」  「あ、横田さん。東京電力ですけど電気代が一年分未払いなんですけど、電気を止めてもいいのですか?」  「いえ、困ります。必ず支払いますから請求書を送ってきて下さい」  「分かりました。お願いしますよ」 単なる電気代の請求であった。  「ああ、驚いた。俺たちのことが知られたのかと思った」  借金が言った。  「でもどうして電話なんかかかってくるんだろう?ここの住人は電話を切ってなかったのでしょうか?それから電気代も滞納だなんて引っ越しする時にどうしていたのでしょうか?」  リスカちゃんが言った。  「驚かせやがって」  ヒッキーが吐き捨てるように言った。  なぜ電気代の請求にしても、電話なんかかかってくるのか?それには二つのことが考えられた。先ず、本当に単なる電気代の請求だったということ、そうしてもう一つはネットにスレをたてた奴が本当に自殺者が集まっているか確かめようとしたということである。  どちらにせよ、この「自殺志願者達」にはどうでもいいことであった。目的は誰にも見つからずに集団自殺を遂げるということにあったのだから---。  「電話線なんか切ってしまおう」  この鬱の提案に全員が頷いた。  「いや、待てよ。少しおかしい」  唐突に借金が言った。  「借金、何がおかしいんだ?」  幻覚が聞き返した。  「先ず、電気や電話は支払ってなければすぐに止められるはずだ。例えば電話なんかは二ヶ月で止められる。電気代もそうだ。一年間未払いなんてことはあり得ない」  「すると、誰かが自殺用に電気と電話を使えるようにしたっていうことか?」  「そうだ。きっとこのスレを立ち上げた奴がやったんだ。練炭火鉢にしても、あまりにも用意がよすぎる」  「またスレの犯人捜しか?もうそんなことどうだっていいじゃないか?」  ヒッキーが言ったので、このことの詮索は終わった。  拒食症が戻ってきた。  その時である。今度は玄関のチャイムがけたたましく鳴った。一体誰だ?玄関の外から大声が聞こえた。  「横田さん、警察です。開けて下さい」  今度は警察だ。じっちゃんの死体なんか見られたら集団自殺も出来なくなる。しかもこの家には不法侵入だ。捕まってしまう怖れもある。これは一大事だ。  「俺が出る。じっちゃんのいる居間を閉めて、それからみんな二階へ上がるんだ。俺が何とか追い返す」  鬱が言った。残りの五人は音を立てないように忍び足で階段を登っていった。そして、これからどうなるか五人は二階から固唾を飲んで見守っていた。  鬱が玄関を開ける。するとそこには制服姿の警官が立っていた。  「横手東交番の者です。何か、人のいない空き屋から声が聞こえるという通報があったので来ました。あなたはどなたですか?」  「横田の親戚の者です。家を見てきて欲しいと言われましたので」  「何か臭いますねえ。何ですか?それからあなたお一人ですか?」  「もう古い家ですから臭いくらいするでしょう。それから私の娘も一緒です」  リスカちゃんと拒食症は、この鬱の咄嗟に思いついた言葉に一瞬ドギマギしてしまった。恐らく怪しまれないようにそう言ったのだろう。しかし二人のうちのどちらかが一世一代の大芝居をしなくてはならなくなった。  行動を起こしたのはリスカちゃんであった。リスカちゃんが降りてきた。  「お父さん、二階は大丈夫みたいよ」  警官は鬱を見て泥棒ではないかと疑っていたのだが、リスカちゃんがいたので、その疑いは晴れたようだ。このリスカちゃんの堂々とした態度に鬱は感心し、邪な感情をいだくのであった。  「(この娘、なかなかやるじゃないか?いい女だ。死んでしまうのは惜しい。ああ、この娘を犯したい)」そしてその考えは後に現実のものになる。  「わかりました。ご近所もいますので静かにお願いします」  そう言うと警官は去っていった。二階からヒッキー、幻覚、拒食症、借金が降りてきた。  「おい、これ少しやばいんじゃないか?」  ヒッキーが言った。  「そうだよ。調べられたら俺たちのやっていることは不法侵入だ」  幻覚が言った。  「そうだな。今度警官が来る前に早く『決行』しなくてはな」  鬱が言った。  「そんなに急がなくてもいいんじゃない。玄関に鍵をしっかり閉めて電話線も切ってしまったらいいんじゃないの」 リスカちゃんが言った。  しかし、もうすぐ死ぬというのにみんな「見つかっては困る」らしい。そんなこと死んじゃえば自分達にはわからないからいいじゃないか、と思った鬱は唐突に尋ねた。鬱に取ってみれば死への覚悟があまりにも薄すぎると感じたからである。  「お前ら、本当に死ぬ気があるのか?今、ちょっと聞きたい。死ぬ気のある奴は手を上げろ」  言いだしっぺの鬱と幻覚と拒食症と借金が即座に手を上げた。そこには「ためらい」が見て取れなかった。四人とも本気で死ぬことを考えているようであった。  「ヒッキーとリスカちゃんはどうなんだ?」  この鬱の追求にヒッキーとリスカちゃんは答えた。  「俺は死ぬのが馬鹿馬鹿しくなってきた。それよりも、誰かの役に立ちたい。それから死にたい。それにこの病気が治ったら社会復帰できるかも知れないし。俺はやはりまだ死にたくない。東大も苦労して受かったんだ」  「『役に立ちたい』って、引き籠りさんに何が出来るんだ?大学もやめてしまったんだろう?」  ヒッキーにやりこめられそうになったことがあったので、鬱は意地悪くそう言ったのだ。まさに「嫌み」であった。  「俺だってネットの掲示板に自分の意見を書きなぐっていたんだ。何かの役には立つよ。それから中退でも立派に仕事してる人はいる」  ヒッキーが憤然として言った。  「リスカちゃんは?」  「私、まだ十七よ。それから、誰とも話出来なかったけど、今はこうして話せる人がいるもん」  高校生らしい話しようである。リスカちゃんには学校に友達がいなかったのだ。  「じゃあ、二人はここから抜けるか?俺達はただ死ぬために集まったんだよ」  ヒッキーとリスカちゃんは沈黙した。 そして、その場の空気を破るように借金が言った。  「鬱先生よう。あんた、ここの責任者みたいになってるけど、あんたじゃないのか?スレを立てたのは。あんた死ぬことしか考えてない。しかも全員を道連れにしてな」 「おい、犯人探しは止めようと言ったのはあんただよ」 「もうみんなやめてよ。ここに集まったのは仲間じゃないですか?」  リスカちゃんが二人を制した。  一同にしばしの沈黙が続いた。  その空気を裂くように借金が言った。  「まあ、死に急ぐこともないんじゃない?とにかく昼飯の材料を男だけで買いに行こう。そして、これが『最後の晩餐』になるかも知れないから、おいしく食べよう」  「そうそう、それがいい」  鬱が同意した。  この時点では、じっちゃんの自殺以外に事件らしい事件は起こっていなかった。  男性四人がコンビニへ行った。コンビニは歩いて数分の所にあった。これが自殺者集団ではなくて高校生の修学旅行だったら最も利便性のある所に宿泊したことになる。民泊っていうのはこんなのかなあ?と、ふと鬱は思った。  コンビニの店員に怪訝な顔をされるんじゃないかと鬱は思っていたが、それは全くの杞憂であった。コンビニの店員にはマニュアルがある。その通りの対応であった。四人は夏だから冷やしそうめんやざる蕎麦や冷やしうどんなんかとおにぎりを人数分買い込んだ。それから米や醤油なんかも買ってきた。女の子二人が朝か夕食に料理できるようにしたのだ。  お金は鬱が出した。  四人が帰ってきた。  「今帰ったよ。冷たい麺類とおにぎりだ。リスカちゃんと拒食症もそれでいいよね」  鬱が言った。彼はまるで修学旅行の引率教員だ。  事実、彼らが自殺志願者でなければ、ただ食べて寝るだけの普通の団体生活である。高校の修学旅行と何ら変わることはない。              *  テーブルの上に冷麺や冷やしうどん、ざる蕎麦などが並べられ、それにおにぎりが一人二つずつ、計十二個無造作に放り出された。  「私達、死ぬって言うのに最後の食事がこんなの?」  リスカちゃんが誰にともなく言った。  「リスカちゃん、贅沢を言うもんじゃないよ。これでも俺達みんなで買ってきた夏用のご馳走なんだから」  鬱が言った。  「最後くらい何か美味しいもの食べたかったなあ」  借金が言った。  「借金さんは今までどんなものを食べてたんだい?」  鬱の問いかけに借金は答えた。  「俺は逃げ回るばかりの生活だったから、カップ麺ばかりだった」  「それじゃあ、これはご馳走じゃないか?」  「いや、自衛隊にいた頃にはもっと美味しいものを食べていたよ」  「自衛隊ってそんなにいいもの食わせてくれるのか?」  「何を言ってるんだ?カレーライスが海軍の考案だったって知らないのか?」  「カレーライス?そんなものがご馳走かい?」  「いや、カレーは海上自衛隊の食べ物だ。俺は陸自だったので、食堂でもっと美味いものを食べていた」  「ふーん、今の軍人さんって贅沢だな」  鬱が発したこの言葉に反応したのは借金ではなくてヒッキーだった。  「あんたらは公務員だったから食べ物の大切さなんかわかんないんだ」  ヒッキーは今度は公務員であった鬱と借金に怒りの刃を向けてきた。  「何だ?君こそ親に食わせてもらっていたんだろう?何を食っていたんだ?」  もう鬱とヒッキーは一触即発であった。  「そんなこと言う必要があるんかね?」  「いや、あまり食事くらいにケチをつけるもんじゃないって言いたかったんだ」  「二人ともやめてよ。夜は私と拒食ちゃんで美味しいもの作るから」  リスカちゃんが言った。  「それもそうだ。じゃあ夜はリスカちゃんと拒食ちゃんの鍋料理といくか。夏だけど鍋もいいぞ」  鬱が言った。  「いいわよ。私と拒食ちゃんで作るから」  こうしてコンビニの麺類とおにぎりで六人は胃袋を満たした。  昼食が終わると部屋割りを決めることになった。元々各自好き勝手に寝ていたのだが、部屋は決めておいた方がいいという鬱の提案からである。女性もいるからだ。幸い大きな家だったので、二階には全員の個室をあてがう余裕があった。  一階の練炭火鉢の置いてある部屋は集団自殺用に空けておき、全員が二階に自分の部屋を持つことになった。一階はじっちゃんが自殺した部屋は閉められ、練炭火鉢の置いてある広間は集会場とした。台所と風呂まで用意されていた。用意周到である。ただ、テレビもラジオも置いてなかった。勿論パソコンもない。一日中パソコンに向かっていたヒッキーなどは暇を持て余しているようだった。  そして何も話すことのない六人はなぜか台所や広間をうろうろと徘徊しはじめた。  「テレビもラジオもないわねえ」  リスカちゃんが言う。  「そんなもの要るかな?俺達の目的は死ぬことだよ。高校生の修学旅行じゃないんだから」  鬱が言った。  「僕はパソコンが欲しい。こんな外界から遮断されて情報も入らないところで死ぬのもなあ。まあ、スマホでもネットはできるけど、意見なんかを書ききれない」  ヒッキーが言った。  「スマホなんかはよくないねえ、それで外と連絡をとられたらこの計画も大失敗だ」  「そういう鬱先生はスマホを持ってないのか?」  「いや、一応持ってる」  「よーし、スマホか携帯を持っている者は手を上げて」  鬱が尋ねると、全員が手を上げた。  「これはみんなどこかにまとめて置いておこう」  鬱が言った。  「そこまですることないんじゃない?」  拒食症が不満そうに言った。  「いや、これで警察と連絡をとる奴がいないとも限らない」  鬱が言ったので、全員スマホを鬱に手渡し、鬱はあたかも何かを預かる教師のようにそれらを袋に入れた。  これで外部との接触は完全に断たれた。  「とりあえず台所へ行こう。何か喋ってないとまた幻覚や幻聴が聞こえてくるんだ。宇宙人さんの声なんだ。『死ね、死ね』って言うんだ」  突然、幻覚が言った。先程まで元気だったのに幻覚が聞こえてくると親父にこっぴどく叱られた子供のように元気がなくなるのだった。  「それにしてもリスカちゃんも拒食ちゃんも料理が上手いねえ。本当に感心した。朝ご飯と昼ご飯は全く違っていたよ」  借金が言う。  「私、こんな生活したことがあるの」  拒食症が言った。ガールスカウトにでも入っていたのだろうか?家元のお嬢さんが行った「こんな生活」ってどんなのだろうか、と鬱も借金も考えたが、敢えてそのことは尋ねないことにした。  「私も、お母さんが料理できないからお母さんと『あの男』の料理を私が作っていたの」  リスカちゃんが言った。  しかし、そのことについて誰も敢えて質問をしようと言う者はなかった。  「ねえ、私達いつ死ぬの?」  リスカちゃんが誰にともなく尋ねる。 「だから、そんなに死に急ぐことないって。夕食もみんなで一緒にしよう」  ヒッキーが答えた。  その言葉を無視してリスカちゃんは鬱の方へ向き直り、鬱に尋ねた来た。  「ところで話は変わるけど鬱先生、何を教えていたの?」  「リスカちゃん、どうしてそんなことに興味を持つの?」  「いや、英語や数学だったら嫌だなあと思って。私、苦手だったから」  「何の先生に見える?」  「英語か数学と言う感じ」  「みんなからそう言われる。実は音楽なんだ」  「え?それじゃあ、ピアノなんか弾けるの?そんな感じ全然しないんだけど」  「ああ、弾けるよ。ここにピアノがあれば退屈しないんだけどなあ」  「すごい。私尊敬しちゃう」  そこへヒッキーが口をはさむ。  「自慢する奴って俺、嫌いだなあ」  「何も自慢しているわけじゃない。聞かれたから答えたまでだ。大体君こそ東大へ行ってたこと鼻にかけているんじゃないのか?大学名まで自己紹介しなくてもいいのに」  「別に鼻にかけたりしてないよ。それに大学なんかどこへ行っても同じだよ。東大と聞いて態度を変える奴らの方がおかしいよ」  「じゃあ、ヒッキーは東大へ入るためにどんな勉強してきたの?」  今度はリスカちゃんがヒッキーに尋ねた。  「勉強なんか何もしてこなかった」  「嘘だ」鬱が呟いた。それが聞こえたのかヒッキーは言った。  「俺はカメラアイなんだ。先生が黒板に書いたことを一瞬にして覚えることができるんだ」  「それってすごい」  リスカちゃんが驚きの声を上げるとともにヒッキーは続けた。  「だから俺は小学校の時から『天才』と呼ばれていた。先生の言ったことが一瞬にして頭に入るんだから」  「それで勉強は本当にしなかったのか?」  鬱が怪訝そうに尋ねた。  「いや、しなかったと言えば嘘になるなあ。予備校にも行った。そこでも先生の言ったことが一瞬にして頭に入るんだ」  「ふーん。ところで、東大生は金持ちだって聞くけど、あんたの家は相当に裕福だったんだろうなあ」鬱が今度は嫌みではなく、真面目に尋ねると、ヒッキーは答えた。  「金持ちというほどではないが、教育を受けられる環境は整っていたなあ。予備校や塾にも行かせてくれたし。俺は恵まれていたのかも知れない」    今までじっと聞いていた幻覚が何かそわそわし始めた。  「う、う、う、宇宙人が来るかも知れない。UFOが近くまで来てる。ここで雨でも降れば宇宙人は必ずやってくる。雨雨降るな降るな雨よ降るな」  「そら、幻覚の妄想が始まった」  ヒッキーが言った。  「鬱先生、ここに居て。宇宙人が来るようで怖い」  「何だ?さっきまであんなに元気だったのに。いいよ。居てやるよ。その前に晩飯の買い出しだ。今日は豪勢に鍋をつつくんだったな」  この提案に誰も敢えて異を唱えなかった。幻覚もおどおどしながらついてくることになった。  「じゃあ、男四人は買い出しね。ちょっと遠いけどスーパーまで行って肉や野菜を買いに行こう」  こうして男四人は買い出しに出かけた。  残ったリスカちゃんと拒食症は話を始めた。  「私達、友達ね」  リスカちゃんが言った。  「うん」  拒食症が小さく頷いた。  「拒食ちゃんって呼んでもいいかなあ?」  「うん、いいよ」  そして、夕食は鍋料理になった。六人で美味しそうに鍋をつついた。そう。これが「最後の晩餐」になるかも知れないのだ。  夕食が終わった。ヒッキーとリスカちゃんと拒食症は自分の部屋へ戻ることにした。  しかし、幻覚が鬱を離そうとしなかった。  「少しでいいから台所にいて下さい。一人になるとUFOが来るんだ」  「わかった、わかった。一緒にいてやるよ」  二人は台所に残った。  六人の自殺に対する意志はそれぞれ違っていたようであった。  先ず、鬱は「必ず死んでやる」という固い決意で来たようであった。ヒッキーは不安障害らしく、少々怖じ気づいていたようであったが、みんなで死ぬなら怖くはないと思っているようであった。借金は決意が固そうであった。幻覚は、実はこれに参加したくはなかったが「宇宙人」が参加しろと言うので参加したことが判明する。リスカちゃんはじっちゃんの死体を発見し、その上まだ若かったから、少し躊躇しているようであった。拒食症はどんな気持ちでいたのかよくは分からない。しかし死ぬことに関する恐怖はなさそうであった。
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