2人が本棚に入れています
本棚に追加
その女との出会い
体にまとわりつくような霧雨をなんとか傘で凌ぎながら、行きつけのバーに俺--村雨 誠一は入った。薄暗い路地をしばらく歩かないとこのバーに入れないせいか、顔見知りに会うことも少ない。
「いつもの」
物静かな老齢のバーテンダーは微笑みながらうなずくと、俺のオーダーに答えるために準備を始めた。
そこでようやく客が俺以外にもいることに気がついた。薄紫色のシャツワンピースを上品に着こなし、ロングヘアーの髪はきれいにまとめられている。このバーの雰囲気とも良く合う。
「お待たせしました」
たいして待っていないが、そう一言言いおいてからバーテンダーはジントニックを差し出してくれた。
出されたその瞬間から味が落ちていくと言われるカクテル。俺は迷わず一口口に含んだ。ライムの苦味が心地よい。ただ作られた一杯を充分に楽しんだところで、俺はバーテンダーにおつまみとカクテルを頼んだ。
ふと女のことが気になり、横目で見るとスマホをカウンターにおいたまま目線を外さないで座っていた。
ロングカクテルを飲んでいるのか、飲むスピードはやけにゆったりだ。
ポタッ
女の涙が、カウンターに落ちた。
静かな店内なだけに、その音が俺にはやけに大きく聞こえた。
ポタッポタッ
嗚咽をこらえているのか、涙が落ちる音だけが聞こえる。
耐えきれなくなって、俺はポケットに入れていたハンカチをそっと女に渡した。
「あの、良かったら」
「ありがとうございます」
切なそうな声、涙が流れていてもなお美しい。
この瞬間、俺はこの女に恋に落ちた。
最初のコメントを投稿しよう!