京急電車のいすにすわること

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 なんでもないふだんの日ならいちばんまえの車両にのっていちばんまえか、そこは人気なので、だいたい空いているベビーカーなどのおけるスペースの手すりにつかまって、ながれるそとのけしきやむかってくる京急電車を見ながら、品川までいく普通にのっていくときをたのしむむすめである。  いちばんまえのさんにんすわることのできるよこならびのせきがと中で空いたりして、品川までの数分だけそこにすわってたのしめるときもたまにはある。また、このごろあまり見かけなくなってしまった、まるめのもちろん赤いいちまいとびらの車両のいちばんまえにある進路方向とおなじ向きの左右それぞれがふたりすわるせきも、むすめはお気にいりであったけれども、ガラガラでもだいたい先客がいるので、ごくまれにしかすわることができなかった。それでも青いろのカバーのシルバーシートではあるけれど、であるためか、たっぷりとしたボックスせきはよく空いていて、そば屋のよにんせきのように、にこにこしながらよこならびですわるときがあって、むすめはごまんえつであった。  それでも、むすめのちかごろのお気にいりはじどうとびらをはいってすぐよこにある、ランプのついていないときのみにすわれる、おりたたみしきのほじょいすらしきふたりがけである。ランプのついていないときは、時間帯なのか、それとも、こみぐあい、というか、すきぐあいなのか、はたまた、むさくいに、まちまちに、すきかってに決まっているものなのか、さっぱりはかりしれない。 「あそこ、すわりたい」 「(ランプ)ついてないよ」 といわれ、 「そう」 という。むすめのちからではどうにもならない、すいちょくになっている座面を、ちょっかくのすいへいによこにたおして、手でささえていて、 「さあ、どうぞ」 という。すわらないと、またぱたんと、すぐにももどってしまうためである。 「はい」 といって、満面のえみで、ドアにちかいほうに、ちょこんとすわる。と、よこをとんとんとかるくたたいて、わたしをうながしている。 「はい、それじゃ」 といって、わたしもかるくすわると、むすめのうれしい顔はつづき、ほほえんでいる。電車がうごきだしてみると、いつもとはちがう視点のためか、それとも、おしりの不安定というものもいっしょになっているためか、電車のなかのたたずまいにしては異様ということである。けれども、むすめはそれをもふくめて、きらくになごんでいるようすである。お気にいりというものはこういうことでもあるのでしょうか、むすめの目はいちだんときらきらして、よりひくいところからのそとのけしきをながめられて、満足しているようである。ちょこんとよこにむすめはすわったまま、ふたりならんで、けしきも、電車も、ながれていく。  すわってみる、いつもとおんなじけしきは、ちがってみえることもあるのであろうか、しかも、いつもとはちがう、すわるところである。むすめの顔を見ていると、そんなことはみじんもないといわんばかりである。けれども、まんざらでもない顔をしているようにも見えている。  すわるとか、いつもとか、おんなじとか、ちがうとか、いろいろと包含して、見えるけしきであったり、むすめのまなざしであったり、するのかもしれない。  品川でおりれば、いつものようじをすませて、京急電車にのって帰る。帰りは帰りで、空いていればロングシートのはしっこか、ボックスせきのよこならびであるし、たまたまこんでいるとせきが空いていてもだいたいはたっていく。
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