暴露

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暴露

 ルーシーが殺害されたのは、九月七日の二十時から二十二時。つまりは配役が発表された日の、夜のことだった。  彼女の遺体は翌八日、ブロンクスの廃倉庫で見つかった。普段なら誰も立ち入らないような場所だが、倉庫は近く取り壊しが決まっていて、下見に訪れた解体業者が彼女を発見することとなった。  死因は窒息。後頭部を何かで殴打されたうえ、首を絞められて殺された。所持品はなく、着衣に乱れはなかった。シーツに包まれ、物陰に放置された彼女の遺体は、まるで森の奥で眠るお姫様のようだったと言う。別の場所で殺害され、倉庫に運ばれたとするのが警察の見解だった。  簡単な事件のあらましを説明された後、ダンサーたちはひとりずつ応接室に呼ばれ、聴取を受けることになった。当然のことながら、この日のリハはすべて中止。そもそも明日もあるのか、公演はどうなるのか――待機を命じられたスタジオには、重苦しい空気が流れていた。 「……トレヴァーのやつ、余計なこと言ってくれたよな」  フロアに胡坐をかくリックが、ぼそりと呟く。ひょうきんな彼には珍しく、本気で頭にきているようだった。 「彩人が犯人なわけねえのに。あんなやつの言うこと、気にするなよ?」  励ましの言葉に、彩人は小さく頷く。こんな時、彼のキャラは心強い。きっと一人だったら、めそめそ泣きだしていただろう。  だが、トレヴァーのネガティブキャンペーンは効果絶大だった。リックたちを除くダンサーはみんな彩人を遠巻きにし、時折疑念を込めた視線を向けてくる。次回からのリハを思うと、かなり憂鬱だった。 「次、彩人だって」  聴取を終えた女性ダンサーが、戸口から声をかけてきた。  彩人がスタジオから出ようとすると、彼女はさっと目をそらし、早足で立ち去っていった。フランケンシュタインの怪物にでもなった気分。  応接室は廊下側の壁がガラス張りになっていて、内装は白で統一されている。重い足取りで訪れると、テーブルの片側を二人の男が占めているのが見えた。 「ようこそ。まあ楽にしてくれ」  ゴードン刑事が出迎え、テーブルの向かい側を指し示した。さほど広くない応接室に彼がいると、より狭く感じる。 「時間をとらせてしまって申し訳ない。全員に形式的な質問をしているだけだから、気負わないでくれ」  そう言ったのは、ゴードンのとなりに座る初老の男性だった。彼はウィルソン巡査と簡単に名乗った。 「名前は……西原彩人、でいいのかな?」  ウィルソンは手元に引き寄せたファイルをめくった。おそらく所属するダンサーたちの履歴書がつづられているのだろう。入団前に受けた面接の緊張感を思い出した。 「出身は日本? ここに来る前はパリにいたのかね?」 「ええ。十六歳の時に、留学で」 「パリ?」  横で聞いていたゴードンが、何かを思いついたように目を見張った。 「俺はフランス語が苦手でね、いつも赤点だった。君はしゃべれるのかな?」 「もちろんです、ミスター(ジョン・シュー、ムッシュ)」  彩人が答えると、ゴードンは苦笑とともに肩をすくめた。彼から漂うシェービングローションの香り――シトラス、それから男らしいウッドとスパイスの香り――が鼻先に触れた。  たぶん三十代前半くらい。鼻筋を彩るそばかすに、口元には人なつっこい笑み。改めて見るダニエル・ゴードンは、少し幼い感じがした。精悍な顔つきに、少年めいた笑顔は反則だ。 「あの、さっきはありがとうございました」  彩人が遠慮がちにそう言うと、「なんのことだ?」とゴードンは首を傾げた。 「さっき、トレヴァーからかばってくれたでしょう? 助かりました」  すると、ゴードンはウィルソンと顔を見合わせた。そして、にやりと不穏な笑みを浮かべる。 「礼を言うのは早いんじゃないか? 次は俺たちが、君を追いつめる番だからな」  くっくと押し殺した笑声にあわせて、大きな肩が揺れた。 「さっきの彼――トレヴァー・リースか? も言っていたが、ルーシーと口論した理由に俺も興味があるね」  ゴードンは身を乗り出した。青い瞳に好奇心がみなぎっている。 「何を言い争っていたんだ?」 「だから、別に……つまらないことなんです。ちょっとした、トラブルというか」  同じ失敗を二度犯す気か? こんな答えじゃ子供だって誤魔化されない。 「わざわざお話しするようなことでもないんです。本当に、つまらないことですから」 「だが、殺人事件はつまらないことで起こるもんさ。庭の境界とか、ペットの鳴き声とかな」  薄い唇の間から、白い糸切り歯がのぞいた。彼はいつもこうやって容疑者を追いつめているのだろうか。だとしたら、いい性格してる。 「じゃあ質問を変えようか」  彩人が黙ってうつむいてしまうと、ゴードンはさっぱりとした調子で言った。 「七日の夜は何してた? そのくらいは教えてくれるだろ?」 「……九時前まで、第三スタジオで練習してました。その後更衣室で、ルーシーとちょっと口論になったんです」  何でもありませんよ、というように、彩人は肩をすくめて見せる。 「でも、その後すぐに帰りました。帰宅したのは十時前です。ルームメイトのハオランが、証明してくれるはずです」 「さっきそのハオランと話をしたんだが」  ウィルソンが親指をなめ、手帳をめくった。 「彼は君が何時頃に帰ってきたか、はっきりわからないと言っていた」  しまった、口裏を合わせるべきだった。あの夜ハオランは部屋にこもっていて顔を合わせていないし――そもそもあの夜は誰にも会いたくなくて、自分もすぐ自室に引っ込んだ――リックは彼女の部屋に泊まって帰ってきていない。帰宅時間を証明してくれる人間はいなかった。  その後も、殺害当日の動向について質問が続いた。居残りの練習は誰かと一緒だったか? ノー。帰宅時に誰かとすれ違ったか? ノー。その時刻、第三スタジオにいたことを証明できる人間はいるか? ノー。  ノーを繰り返すたび、どんどん内臓がせり上がってくるのを感じた。当日の行動を思い返してみると、犯行時刻とされる間のアリバイがない。焦りが悪寒となって、背中を這い上がってきた。 「君はルーシー嬢と付き合っていたと、何人かのダンサーが言っていた。それは事実かね?」  続くウィルソンの質問に、彩人は目を剥いた。 「ご、誤解です。それは、なんというか……彼女につきまとわれていただけなんです」 「辛いね、モテる男は」  茶化すように応じるゴードンをウィルソンが軽くねめつけた。彼はどうしても軽口をやめられない性分らしい。 「口論の話に戻るが」  ゴードンが言った。 「彼女につきまとわれていたことが、君の言うつまらないことか? ずいぶん困っていたようだな」 「……でも、僕はそんなことで彼女を殺したりしない」  耳の後ろがぴりぴりする。危険信号だ。彼らも怪しんでいる。男女間にありがちな感情のもつれ、その果ての凶行――そんなシナリオだろうか。 「別に、俺たちは君が犯人だと思っているわけじゃない。被害者の人間関係を整理して、犯人候補を探しているだけだ――ただ、その中に入りたくないなら、聞かれたことには素直に答えたほうがいい」  思わず乾いた笑いが漏れそうになる。それは脅しか? 「これって、任意の聴取ですよね?」  彩人は言った。 「だったら、答えたくない質問には答えなくていいはずだ。そうでしょう?」 「そうだが」  ウィルソンは神経質そうに口ひげをいじった。 「私たちは、隠し事をする者を最初に疑う。君が潔白だというのなら、この場で証明したほうがいい」 「そうさ。後ろめたいことがないなら、隠す必要もないよな?」  後を引き継いだゴードンが、すっと目を細めた。猟犬の目だ。  気づけば、また冷や汗が額を濡らしていた。ガラスにぼんやりと映った顔は、頬が強張り、浅く息を喘がせている。我ながら、禁断症状のジャンキーみたいで笑える。 「どうした?」  ゴードンが、ぐっと身を乗り出してくる。くそ。こんな時でも、彼の匂いに胸がざわつく。 「いいえ、何も――」 「お前、何を隠している?」  ゴードンの声が、深さを増した。 「まさか、本当に――」 「僕は、」  彩人は、ぐっとつばを飲み込んだ。 「……ゲイなんです。誰にも言ってない。家族にも、友達にも」  とっさに出た言葉に、ぷつん、と何かが切れる音がした。全身から力が抜け、空気になってしまったような気がした。 「そのことをルーシーに知られたんです。そしたら彼女、急に怒り出して……どうして怒ったのか、分からないんですけど」  そう、今でも分からない。なぜあんなに怒っていた? 何の迷惑もかけていないのに、どうして嫌悪されなければならない? 僕はそんなに許されない存在なのか?  こわごわと視線を上げると、ゴードンはぽかんと口を開けていた。 「なんだ、そんなことか」  やがて、ふっと彼の口元が弛緩した。彩人は目を見張る。 「そんなこと……」 「ああ。何をご大層に隠しているのかと思った……ゲイ? それがなんだ。無駄に引っ張りやがって」  そう言って、彼は鬱陶しそうに前髪をかき上げた。さっきはあんなに魅力的だったバリトンが、ひどく耳障りだった。  そんなこと?  そうか、彼らにとっては「そんなこと」か。  確かに、そうなのだろう。けれど、けれど―― 「――あ、あんたたちには、分からないことだ!」  椅子が倒れ、けたたましい音が応接室に響き渡った。ガラスの壁に、上気した彩人の顔がぼんやりと映った。 「僕が今まで、どれだけ怖かったか、分かるか? 男が男を好きなんて、そんなの異常なことだ。まともじゃない。僕がまともじゃないと分かって、みんなが今まで通りでいてくれる保証はあるのか? 誰が僕を受け入れてくれるっていうんだ」  そうだ。現に拒絶されたじゃないか。  ルーシーにも、彼にも――  気づけば馬鹿みたいに涙があふれて、頬をべしゃべしゃに濡らしていた。こんなにぜいぜい息をしているのに、全然頭に酸素が回ってこない。いっそ酸欠で死んでしまいたかった。今すぐに。  刑事たちは彩人を見上げ、唖然としていた。きっと彼らの目には、キレると何をしでかすか分からない、クレイジー野郎に見えたかもしれない。最高だ。こんな奴だったら自分でもルーシーを殺したと思う。 「……もう、ついでに言ってしまうけど」  彩人は、ずずっと鼻をすすり上げた。 「ルーシーが死んだと聞いたとき、ほっとしたんです。彼女が他の誰かに言っていなければ、誰も僕の秘密を知る人はいないから……」 「……分かった」  ゴードンは、彩人を制するように片手を上げた。 「もういい。君の聴取は終わりだ。今日は帰ってくれ」  その声はひどく強張っていた。見れば、ゴードンからは余裕めいた笑みが消え、代わりに苦々しい影が浮かんでいる。なぜ? どうして彼が重大な罪でも犯してしまったように、重々しい目をしているのだろう。 「これでもう、僕は犯人候補ですね、刑事さん」  そう言って、彩人はぎこちない笑みを作った。最後の抵抗にすらなっていない、ひとあがき。そうでもしないと、自分を保てなかった。  応接室を出る瞬間、叩きつけるようにガラス戸を閉めた。さすがは金をかけているだけあって、ガラス戸にはひび割れひとつ入らなかった。  彩人の心は、粉々になってしまったのに。
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