サヨナラのあと

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サヨナラのあと

 ゴシゴシ。  ゴシゴシゴシ。  お風呂の床を、しっかり両手で握りしめた長い柄のデッキブラシで磨く。  築うん十年のアパートの二階の左から二番目の部屋は、あいつが出て行ってから更にくすんだ気がした。  二人で入るには狭かった浴槽も、ゴシゴシゴシとでっかい黄色のスポンジで(こす)る。  これでもかってぐらい洗剤を泡立てたお風呂場には一面、白のもこもこが広がり、ちょっと楽しくなってきた。  なのに。  もうっ。なんで涙なんか流れてんだか。  子供の頃の空想好きの女の子はそのまま私の中にあって、ここは雲の上とか思ったりして。  ただ、大人になって哀しいのは100%その世界を信じることも浸れることもないってこと。  いーや、子供の時分からそんな事はなかったか〜。  私は確かに、小さい頃からどこか冷静でどこか大人びていて。 「ヨリコちゃんはしっかりしてるわね〜」とか「お姉ちゃんだから」とか「いい子ね〜」とか言われて育つと、物事にも人にもどこか距離をとって眺めている自分がいることを知っていた。  甘えるのは下手くそ。  助けを誰かに求めるのも争うのも苦手だった。  本心を見せないお人形さん。  愛想笑い、八方美人、どっちつかず。  さんざん、罵倒してくだけ罵倒して、出て行った浮気男になんの未練があろうか。  遅めのランチはサラダうどんを作って、楽しそうな旅番組を見たあと、いつの間にかソファで寝てた。  見た夢は仕事をしてる夢だった。  就職したてのオフィスで、別れたあいつがまだ上司で。  ぐったりとした体をようやく起こして、いつかの誕生日に買ってもらったくったりとしたシロクマの抱きまくらを、窓を開けて物干し竿に括り付けて干した。  捨てるか?  残すか。  愛着の湧いたシロクマ、まだ捨てられる気はしない。 「仕事、探さなくっちゃな」  同じオフィスで働くには辛いから、勢いで会社を辞めたのは良いけれど。派遣のアルバイトで食いつなぐのも疲れてきちゃったな。  あいつの気配も残像も消したくて、お気に入りだったコップもタオルも捨ててやる。灰皿ももちろんポイッ!  私が煙草吸わないのに構わず吸いまくってさ。ふんっ。  そういや、どこが好きだったんだろう。  大事にされてた気もしないな。  同じ課の後輩と二股だったし。  女、31歳独身。  まだまだ若いし遊ぶぞとか言ってた友達から結婚していく。  出産して親になっていく周りに置いてきぼりになったような夏の午後。  就活も婚活も、気合いが入らないのはなんでだろう?  ベランダからは目に鮮やかな青空に白い入道雲が見える。ぼーっと眺めていると入道雲はどんどん成長していく。  蝉が鳴いてるなぁ。  夏休みに入ってはしゃぐ子供たちの声が遠くで聴こえる。  さて、買い物に行ったら、スマホで仕事を探しますか。
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