微睡む

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微睡む

 アスファルトにゆらゆらりと陽炎(かげろう)が立ち(のぼ)る。道路の向こうに逃げ水と呼ばれる蜃気楼が見えていた。  額に玉のような汗をかき、流れる汗が目に入ると滅茶苦茶痛い。汗って痛いんだ。塩分出ちゃってんのね。  前カゴからタオルを出して、顔や首筋を拭き拭きしても、後から後から汗は吹き出してくる。  終いに私は汗でくっつくサドルから時折お尻を浮かせて、自転車のペダルを一心不乱に漕いでいた。  (うち)から自転車だったら30分で着くなんて、嘘じゃんか。派遣会社の説明はアバウトだ。40分過ぎたけどまだまだ着かないよ。  これじゃあ今日の会社に着く前に汗で服がヤバいことになりそうだ。  そのうち、コツコツお金を貯めて、電動自転車を買ってやるぅ。  やっと着いた派遣の現場は、洋服を扱う小さめの倉庫だった。薄いグリーンの外観はざ・倉庫って感じ。 『大人気! 有名アパレルブランドの下請けの簡単お仕事。冷暖房完備の快適な倉庫の仕事案件です――』  昨日スマホで申し込んだ派遣の仕事紹介ページの文言(もんごん)が浮かぶ。  冷房設備があるというだけでかなり嬉しい。  はぁ、涼しい。  でも、吹き出る汗がなかなか止まらないな。  何人か同じ派遣会社の人が居て、倉庫の派遣担当の人にまとめて一緒に休憩所に連れて行かれる。 「今日、人数多くね?」  担当者が苦笑いで私たちに告げると、なんか不穏な空気が一同に流れてきた。  みんな不安げにキョロキョロとする。  えーっと、先に休憩所にいた人たちを入れたら10人ほどの派遣メンバーがいるな。 「今日はこんなに派遣頼んでないんだけど」  その担当者のひと声でその場にいるメンバーは一斉に携帯電話を出して、派遣会社のメールをチェックし出す。  連絡遅いわっ――  私の携帯電話の新着メール欄には『今日の派遣先○○倉庫は希望者多数の為、経験者限定としました。つきましては野沢ヨリコ様は今回はキャンセルとなります』とのメールが来ていた。  はい、本日は終了です。がーん。  結局、私はこの日の仕事には入れなかった。  汗だくで職場に向かっても働けず、意気消沈ですわよ。  せっかく張り切って、お弁当を作ってきたというのに。バターソテーしたほうれん草とか野菜を多めにしたり、昨晩の鶏のピカタもお弁当用に切り分けて入れたというのにな。  私はもう帰りはのんびり自転車を漕いでいた。  諦めモードだ。  (ぬる)い風で飛んでいきそうになるつばの短めの麦わら帽子を脱いで自転車のカゴのトートバッグに片手で突っ込む。 「ツイてないなー」  派遣じゃない職場で電気工事会社の面接は明日。今日の仕事の収入をあてにしていたから、がっかりした。しかも日払いだったのだ。  幸運にも明日の面接に受かり安定して働けるようになったら、お給料は一か月先だ。  カッツカツだなー。  微々たる貯金はあったけれど、ボーナス無しの手取り約12万円は、一人暮らしには厳しかった。  同棲してた浮気男に生活費を貰っていなかったのが響いてきてるな。  いい顔して、一円も払って貰ってなかった……。馬鹿だな〜、貢いだも同然じゃん。  私は悲しくなりながらも自転車をひたすら漕ぎ続けて、自宅近くの噴水のある公園の脇道を走っていた。  せっかくだから、公園でお弁当を食べようかな。  善は急げ。思い立ったが吉日よって言うよね――  県立の大きな公園フラワーパークに入るには500円の入場料がいるが、それを払うだけの価値はある。  自転車を駐輪場にとめて、私はフラワーパークに入ることにした。  広い園内には芝生広場や噴水があり、ちょっとした野外コンサートも開かれるステージもある。  よく手入れされた庭園。春には美しい梅や桜が満開になって綺麗だ。  ファミリー向けに遊具もたくさんある。  小さい頃に両親と来た時は夕方まで雲の形のトランポリンで遊んでいたっけ。  私は木陰になっている場所を選び、噴水前のベンチにそっと座った。  ふーっ。  暑いけれど、今受けてる陽射しは、大木の枝が遮ってくれる木漏れ日で。  噴水の小文字のmみたいな勢いよく噴き出す水流があたりを涼やかにしてくれている。  毎回、違う職種の現場を渡り歩くって、風来坊みたいだな。好奇心旺盛で器用だったら良いんだけど。  私は、おじいちゃんがテレビで見ていた男はつらいよの寅さんや、弟が大好きだったおじゃる丸のケンさんを思い出していた。  でも、あの二人は不器用だったか。  私と違うのは楽しそうってとこかな。 『人生楽しんでますか?』って街頭インタビューかアンケートがあったら間違いなく『いいえ』だ。  私は学生時代にカフェで買ったベージュのトートバックを開けて、お弁当箱を取り出した。  周りを見渡すと、平日なのにイチャイチャしてる私と同い年ぐらいのカップルや家族連れが楽しそうにお喋りしたり、芝生広場でボールやフリスビーや紙飛行機で遊んだりしている。  周りの人たちが、実に、幸せそうで、すごく楽しそうに私の目には映るのは自分が楽しくないからか。  目に毒だな――  ふと、ワイワイガヤガヤとした声と雰囲気を背後に感じて振り返ると、可愛らしいアンティーク調の小物や箱に入ったお菓子が並ぶお店があった。  お土産物屋さんだ。  私は地元民なのでお土産を買う気がなかったから、立ち寄った事はなかったが、よくよく見ればすごく私好みな気がする飾りなどが遠目に見えた。  私はいったんお弁当を閉じて、そのお店に向かう。  ハッ!  お店の入り口の横に立っている、メニューなどが書かれた黒板ボードにピラピラと風に煽られた紙が貼られていた。 『✰店員急募✰  明日からでも働ける方募集中!!  時給1000円〜』  店員急募アシタカラ、ジキュウセンエン……。  ものすごく好みだ。  このお店は好きな部類(やつ)だ。  魅力的だ。  しかし、接客業務経験はない。  どうする?  ヨリコ!  私はお土産物屋さんの店内を出窓から、チラッと(のぞ)いた。硝子細工の置き物や、小物が並んだ商品棚やぬいぐるみなどなどが見えている。  その奥に絵本に出て来そうなレトロな西洋風のレジが置いてあって、50代ぐらいのニコニコとしたエプロンを付けたおじさんが立っている。  背が高くガタイがいいおじさん。  例えていうなら動物だと熊とかパンダ、人間でいったら仮面ライダーの初代の人みたい。  あの人が店長さんだろうか。  そんなに広くない店内にお客さんはそれなりにいて、楽しそうな笑い声は外まで続いている。  すごすご……、私はお店には入らずにさっき座っていたベンチに座った。  私に接客業なんて無理だよね。  ミンミン蝉とアブラ蝉の鳴き声が(うるさ)いぐらいあたりに響いてる。  木霊するかのように、元カレの「お前の方がいらないんだよ」と言われた言葉を思い出す。いつだって誰かの一番で本命でいられたことなんかあっただろうか。  元いた場所に戻るとホッとした気分になって、トートバッグからお弁当を出してやっと食べ始めた。  噴水横の木製の時計塔の針は11時半を指している。  ちょっと早いお昼ご飯だったかな。  でも他に、公園散策以外にはやることもないし、なにより倉庫から往復で自転車を漕いで疲れてお腹が減っていた。  私は口にぱくぱくと機械的にお弁当の中身を箸で運ぶ。  明日は正社員の面接だ――  受かる確率は低いし、わくわくとはしない。また職場の人には嫌味な上司や、意地悪してくるお局様もいるだろう。後輩に結婚も給料もどんどん先を越されて、それでもヘラヘラ笑って。  気が弱いから、馬鹿にされるし仕事は押しつけられる。  分かっていても、八つ当たりだろうが怒りをあらわにして向かって来る相手には、何も言い返せない。  イヤだ、また繰り返し――  どこかで流れも歯車も変えなくっちゃいつまで経っても、なーんにも変わらない。  会社を変えたって、恋人を変えたって。自分がどこか変わらないといけないのは自分でもよく分かっていた。  ただ、どうしてこう、弱虫で勇気が出ないんだろう。  そう思い悩んでいたら、もう頭の中はいつもの堂々巡りで飽き飽きしてたのか、木陰で涼風も吹いてきて心地良くなり、私はいつの間にかベンチで微睡(まどろ)んでいた。  あ〜、人生の悩みなんてなにも解決していないけれど、あ〜、……ムニャムニャ……今は柔らかい揺れる木漏れ日と涼やかな風が……優しく当たって……幸せ。……zzz。ぐー。  私は眠りに就いた。
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