プラトニックラブから始めよう --先輩と花火大会に行きます--

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 濃い緑に彩る木々が水色の空に生える木立の中を、カラリカラリと下駄の音を立ながら灰色のグラデーションかかった浴衣を着た環の姿があった。  日頃、書道を指南する際に着ざろ得ない事があり、着物は年に数回袖を通すことはあるが、浴衣は、自分の記憶の中では着た覚えがない。まあ、着方はいつも通りにしても、気がかりは七海の反応だ。  と言うもの今から彼女と地元の花火大会へと行くということで、待ち合わせ場所である河川敷へと向かっている最中なのだ。自分も来年受験を控えていることによる夏ゼミの講義や、実家での書道教室と、かなり多忙な日々を送っている。そんな中、七海とはメールや電話で話はするものの、夏休みに入って以降お互い会う時間がなかなか避けずにいた。流石にそれでは自分も彼女も淋しいという話となり、日時を決め、少しでも会おうという話になったのだ。そこで、互いの自宅から中間地点でもある河川敷で都合の良い日に待ち合わせをし、屡々近くの木陰のベンチで腰を下ろし会話を楽しむといった事を始めた。  そんな時に今日の花火の話が持ち上がり今に至るのだが、七海がその際『環先輩の浴衣姿が見てみたい』と照れながら口にしたのだ。休みに入り、自分の行動を優先してもらっているのは分かっているし、日頃から自分に対してしてほしいという事をそうは言わない彼女が言った事ぐらいしてあげたいと思うのは必然ではある。  勿論その問いには二つ返事をすると、既に大きい目を目一杯見開き瞳をキラキラさせる?といった表現で良いのか定かではないが、兎に角うれしそうな表情を見せたのが今でも鮮明に脳裏に残り、自分もそれを思い返すと自然と笑みを浮かべてしまう。 (あの時の七海本当にうれしそうだった……)  一瞬にして、あの時の情景が頭を掠り、微笑してしまうも、急いでいる足を止め、直進しか進みようがない道を左右、背後と確認する。が、一直線と続く道には彼しか見やたらず、また、右側は竹林であり、左側には家が立ち並ぶも、それぞれの石垣は歩行者からは見えないよう作られている為、自分の今の言動など知る訳もない。一回大きく息を吐き、気持ちを整える。流石に歩いている人がいきなり笑うとなると不審者扱いになり、ここを彼女と会う為に使う身としてみればこの辺り人に目をつけられては困るのだ。見られた様子はないにせよ気をつける必要ではある。 (無意識とはいえきをつけないと)  気持ちを再度引き締めるかのように息を吐くと、自分の向かおうとしている河川敷方面へ足を進めた。  いつの間にか空も橙色へと染め始め日も傾き、河川から向かい風を感じる。その風は蒸し上がった真夏の空気を纏う形の身体に少しだけ涼しさを運ぶ。そんな感覚を味わうのもつかの間、その感覚はあっという間に熱風へと変わり、徐々ではあるが車が行き交う音が耳へと届き始めると、段々とその音ははっきりとそして車が風を切る音も着越え始めた途端、視界がパッと開けた。  二車線の道路を走る多くの車と、それに添うように続く高く長い壁のような堤防の法面が続く。いつもの河川敷に行くにはこの交通量の多い道を渡って向かう。とりあえず、いつものように近くの信号迄道沿いを歩くと、丁度のタイミングで信号が替わる。彼は小走りに横断歩道を渡ると、目の前にある階段を軽快に登り、天端まで一気に上がりきり足を一回止めた。  眼下は一気に広がり、薄くオレンジに色づき水面が仄かにキラリと光を放つ川とそれを挟む広々とした高水敷が視界を占領し、暫しその様子を伺っている最中。下の方からいつもの馴染み声で自分の名を呼びつつ、こちらに駆け寄ると自分の前へと軽く息を切らせながら立ち止まり、上がった息を整えるよう一回大きく深呼吸をすると満面の笑顔をこちらへと向けた。 「先輩お疲れ様です!!」 「…… お疲れ様」 「浴衣で着てくれたんですね」 「…… ああ。七海と約束したしな」 「やっぱり環先輩は和装似合います!!」 「あっああ。そうか?」  すると、目の前にいた彼女が笑顔を取り繕うような表情をみせると視線を下にそらしたのだ。 「すいません会って早々にこんなテンションで。びっくりしちゃいますよね」  その言葉に瞬時にして我に返る。というのも、彼女が目の前に現れてから、無意識ではあるが直視できず、言葉もどこか辿々しくなってしまっている己がそこにいるのだ。  その理由ははっきりしている。紺の生地に暖色系の花が裾や袖に描かれ、髪を一つにまとめ上げた彼女がいつより大人っぽく見えてしまい正視することが出来ずにいたという事実に。ただ七海にこんな表情をさせてしまった事が自分のヘタレさを痛感する。ここで、すぐにでも気の利いた言葉が浮かべば彼女も救われるのであろうが……   刹那に頭の細胞を奮いだすもやはり出てこない。だがここで何も言わずでは益々彼女の表情を曇らすだけだ。 「七海」 「は、はい!!」 「良いと思う」  あまりにも捻りのない言葉に言った自分が気持ち落胆してしまう。が、目の前でうなだれていた彼女の視線が自分にむけられた。 「うれしいです」  はにかみながら満面の笑みをこちらに向けてくれる。思わず自分も含羞を浮かべてしまうぐらいに。そんなどことなく甘酸っぱい空気が流れる最中、それらを一変する聞き覚えのある声が2人の耳に届くと同時に、七海の背後から人影が現れた。 「遅かったな環」 「…… 何故」  先までのはにかみは一瞬に消え、不快な表情と声を上げる環に対し、その空気を全く臆することなく二人の世界に入り込む。 「お前が一番遅いぞ!!」 「…… 一番遅い?」 「まあ気にするな。まだ花火は間に合うからな!!」 「全く話が見えない……」 「すげーなやっぱり乾先輩は。あの空気の中、あのテンションって。ある意味尊敬するわーー」  そう言いながら苦笑いをしながら頭をかく仕草をする七海の腐れ縁同級生の高峯省吾とその背後には浴衣を着た彼女の友人2人が控えていた。  あまりの展開に状況が読み込めない環は目の前に居た七海に視線を送ると、先程とうって変わり、非常に罰の悪い表情を浮かべていた。 「先輩それが……」  彼女が口を開くと共に、省吾の背後に居た2人が割って入る。 「あの七海は悪くないんです!!」 「そうなんです。この前部活で学校に行ってたら偶に七海にあって、その話を聞いたんです」 「そうそう、話盛り上がってたもんな女子は」 「何よ高峯。あんたは盗み聞きでしょ!!」 「ちげーよ。あんなでっかい声で話せば聞こえるっていうの!! しかも俺だって休憩するつもりだったし。丁度あの場所に出くわしただけだ」 「ふーん」  冷たい視線が二人の女子から向けられ、渋い表情を浮かべる彼に、甚平姿で仁王立ち状態で高笑いをする雅也に冷ややかな視線を送る環の姿があった。 「で、雅也は?」 「あっ、俺は皆に声をかけただけだぞ?」  ケロッとした顔でそう答える彼に明らかに眉間に皺を寄せて凝視しる環。雅也以外の全員が思わずその表情に凍り付く中、彼はいつもと変わらない。 「いやな。俺が委員会の引継資料なんかの整理で加賀野を呼び出した時に、いつも様子が違っていたから、きっと環関係かと思って問いただしたわけだ」 「問いただすって……」  省吾は思わず口に出してしまい、慌てて口を一文字に結びつつ、上の空を装う中、雅也以外は頭を立てに振る。そんな状況化におかれても彼は尚悪びれもなく話を続行する。 「すると、今度の花火大会に環と一緒に行くと言うことを聞いて、それなら人数が居た方が楽しいだろと思って、加賀野の文化祭時に一緒にいた高山に」 「高峯です」 「あーー すまんすまん高峯。で、丁度学校で見かけたもんだからその胸を話し、他に加賀野の親しい人を集めろと号令をかけたのだ。そうして集まったのがこの面子でな」  そう言うと満足げな笑みを浮かべる彼を余所に、後輩に当たる七海以外の三人は顔を見合わせため息をつく。 「俺も乾先輩からいきなり声掛けられてその話された時、一回は断ったんですけどね…… でも乾先輩あんなんで折れないっていうか……」 「わかっている」  今まで沈黙を貫いてきた環が口を開く。 「君達は、悪くない」  きっぱりとした口調でいう彼に、どことなく安堵の表情を浮かべる彼等とは対象的に、ずっと環の目の前で俯いたままの七海に、彼はやさしく彼女の頭も撫でた。すると、驚いた表情と共に顔を上げる七海に彼が優しく微笑む。 「勿論七海も」 「先輩」  その声と手の感触に今までの重圧と化していた思いが晴れた表情に環もそれに答えるかのようにやさしく笑みを称えるのもつかの間。顔を正面に向けると、冷ややかな視線を彼の旧知の友に向けた。 「元凶」  きっぱりとした言葉を発しつつ、乾を凝視しするも、その強い視線を送られた本人は相変わらずケロっとした面持ちである。 「せっかく彼女が目の前にいるんだ。そんな形相をするものではないぞ!!」 「雅也のせい」 「そんな事を言うな環。こんな腐れ縁とでさえ花火大会は片手で数えるぐらいしか一緒に行ってはいなし、ここ最近は全く足も踏み入れていないではないか!! そんな俺の心情も理解してくれ」 「解りたくもない」 「それに、風紀委員長としての責務もあるとも考えるのだよ。このような行事ごとには、トラブル諸々がでてくるのは目にみえているだろ? とかく他校とのいざござはよろしくない。それを多少でも自分が俳諧することで、目にした在校生が気を引き締めもらえるようなら何らかの抑止力にはなるだろうからな」 「だからって一緒でなくても……」 「美和っ」 「私言葉に出てた? 栞!!」 「ばっちり聞こえた」 「高峯……」  恨み節を唱えながら鋭い視線を向ける美和。そんな状況をこの話題の最大要因である乾が諫めた。 「まあそう言うな。大勢の方がこの地区最大のイベントも盛り上がるだろうし、環等の不貞行為も防げるであろう」 「はぁあ?」 「ふ、不貞行為って!!」  環と七海が一斉に声を上げる。 「いや仮にも二人は風紀委員だからな。その二人がいくら公言したからといって、公然とイチャコラしてみろ。風紀委員会のモラルが問われるだろ」 「そ、そんな公共の場でそういう…… イチャコラ的な事する訳ないですよ!!」  ワントーン上がり具合の早口で叫ぶ彼女が雅也に詰め寄った。 「解っているぞ!! ただ場の雰囲気とかもあるからな。勿論二人を信じている」 「嘘くせーー」 「おい!! そんな横やりするものではないぞ高……」 「峯です」 「おう!! 高峯!!」  収集のつかない状態に陥ってしまった雰囲気の中、群衆の最後尾に陣取っていた環が沼の底まで届きそうな深いため息をつくと、流石に散々言いたい事を言っていた面々の会話が止まり、そちらの方に視線が向けられ、主の顔色を伺うかのように見つめた。  その状況に気づいた環は軽く頭をかく仕草をすると、辺りをぐるっと一見する。 「好きにすれば良い」  その声に後輩は安堵の表情を浮かべ、旧友はにんまり顔を浮かべ彼に近づき数回軽快に肩を叩く。 「環ならそう言うと思っていたぞ!!」  その声に半ばあきれ顔をしつつ雅也を一瞥した。 「反省しろ」 「解った解った。今回は唐突すぎた事は陳謝する。今度は決まり次第直ぐに連絡することにしよう」 「観点が違う」 「そうか? とりあえず環からも許可も出た所で、諸君移動するぞ!!」  威勢の良い声をあげながら雅也は集団の前へと移動すると駅方向へと歩き始め、その後に後輩三人が続く。 「良かった」  背後からその集団を見つめる七海が思わず口から一言漏れ、慌てて口を紡ぐ。実際に着地地点はどうであれ、どうにか場が収まり率直な思いが出てしまったにしても、当初は二人での話からすれば大幅に趣向が変わってしまったのは事実。しかもそれを言い出せずにいた自分にも否があり、乾一人を責め立てるというのは非常に自分の中でも申し訳なく、またそれに輪を掛けるように、目の前にいる環に本意無い気持ちが拭えないのだ。 「すいません。こんな大事になってしまって」  すると目の前の彼が左右に頭を振ると、先程の形相から一転やさしげな雰囲気を称える表情へと変わる。 「もう、気にするな」  その言葉と共に軽く彼の項辺りにある七海の頭をやんわりと三回叩く。 「っは、はい」  辺りは暗がりと化してはいるものの、彼女の少し頬を赤らみを帯びて答える様がどうしようもなく、愛らしい。その姿を噛みしめるかのように、再度頭をゆっくり撫でる。 「行こう」  彼の言葉に一回頷くと、先頭を行く彼等の後をゆっくりと、ついて行く二人の姿がそこにはあった。  皆が待ち合わせをしていた場所は、会場の二駅前の場所という事もあり、電車もなかなかの混み合っていたものの、会場である駅に降りた途端、何処かしこも人にあふれていた。勿論ある程度の覚悟はしていたが、熱気と夏特有の蒸し上がった空気が身体中にまとわりつく。そんな中、花火会場である河川敷へと、向かう人の群。その群衆の中に環達のグループも紛れていた。 「皆居るか?」  先頭を歩く雅也が背後にいるであろう仲間に声を掛ける。各々その問いに答えつつ、ゆっくりと前へと進むと、今まで少しずつではあるが前進していた足が止まる。周りの人により前方の状況が読みとれないでいた七海に隣いる環が顔を寄せた。 「信号」 「あっ、そうでした」  笑みを浮かべながら彼女は背伸びをする。花火メイン会場は河川敷であり、そこに向かうには四車線の道を渡らなければたどり着くことができないのだ。今はその信号を渡る前の渋滞に嵌まっている。彼女の見立てだと、まだ信号までには距離もあり、あと二回は足を止める程の距離であるのだ。  確かにこの地域で一番をと言って良い程の規模の花火大会である。人が大勢集まるという事はわかっていたのだが、流石に出だしからこの人だと会場行く迄に疲れきってしまいそんな気持ちに陥ってしまう。がそれよりも隣りに人の群から頭一つ出ている環の方をちらりと見る。彼の方がきっと自分よりもこの状況に参っているのではないかと思ったのだ。 「環先輩?」  思わず声をかけてしまいハッとする。そんな呼び声にゆっくりと目線を下に向け『どうしたの?』というような表情をむけた。 「いえっその…… 大丈夫かなって」  すると柔和な笑みを浮かべる。 「大丈夫。七海が隣に居るから」  言葉数の少ないせいもあり、ド直球すぎる発言に嬉しさとりむず痒い感覚が勝ってしまい彼の顔をまともに見れず視線を反らす。そんな暖気流のような感情に一瞬にして陥っている最中、隣の環は話を続ける。 「後少し。渡れそう」  そう言葉にすると、前へと指を差し示しめす。 「そ、そうなんですか?」  慌てて前を見へと視界を移す先は、人と人との間からではあるが、確かに次の信号機が変われば、河川敷側にわたれそうである。にしても、隙間から見た所、会場へ向かうべく駅からの人が多いのは理解できるのだが、河川敷からのこちらへ渡ろうとする人も予想以上に多く、信号待ちをしている間にも対面で待つ人は軒並み膨れ上がっていくのが見て取れた。その状況化の中、前方の信号が青へと変わる。  すると、一斉に民族大移動のように両側から群衆が雪崩混みつつ、渡る道幅一杯にセパレートに七海の歩く横辺りから綺麗に別れそれぞれの行く方向に合わせた流れが形成さていく。それに逆らう事なく少しずつ前へと進み横断歩道の半分を渡りきろうとした最中、信号が点滅を始めた。  それと共に、一気に背後からの押す力を感じる。やはり散々待たされている事もあり、判らなくもないが、思った以上にその圧は強い。背後にかかる思った以上の力に賢明に耐えつつ前へと進む。その時だった。彼女の肩に駅側へ向かう人の肩がぶつかったのだ。一瞬七海は隣にいる環の手を取ろうとした刹那。『不貞行為』と言う雅也の言葉がよぎり、その手を止め躊躇し時、背中の力が一瞬強まったと同時に駅側のレーンに押し出されてしまったのだ。 「っっ!!」  目を見開き驚き表情を見せた環が一瞬目に入るもあっという間に彼の姿は群衆に紛れる。 「嘘でしょーー」  思わず声を出して叫ぶ七海ではあったが、その一団が足を止めるわけもなく、ましてや彼女の声もまた、周りの様々な音に斯き消され、彼の耳に届く事は無かった。
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