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初めて出会ったとき、駅のホームにいつものように強めの風が吹いていた。その風は、長い彼女の麦色の髪を揺らしていた。毛先から根元まで同じ色のその髪は生来のものであることを私に教えた。彼女は右手で髪を抑えながら、それでも前を見ていた。私はそんな彼女の姿に目を奪われたあと、彼女と同じようにフェンスの向こう側を見上げた。いつもは看板とアパートの壁と曇り硝子の窓しか見えない景色に、一羽の鳩が存在していた。その鳩はフェンスの上に佇んでいた。視力の悪い私には、眼鏡越しに鳩がいるということしか見えなかったが、彼女はその鳩と目を合わせているように見えた。警笛が鳴り、電車が来ることをアナウンスが伝えた。そのとき、彼女はさっきまで髪を押さえていた右手で鳩に手を振った。すると鳩は飛び立って、青い空に消えていった。その日、私は彼女のすぐ横で電車に揺られていた。彼女からは野花のような優しい香りがしていた。
その日から私は彼女に会うために同じ時間に駅のホームに着いている。彼女は多少のズレはあるが、たいてい決まった時間に姿を現す。私は特になにかを期待しているわけではない。彼女に話しかけようと思ったこともない。ただ、美しい花を咲かせるという未知の蕾が花開くのを待つように、彼女がきっと美しく成長していくのを、ただ傍観しているだけでよい。それだけで、私の毎日にひとつの彩りが与えられているのだから。
今日も相変わらず彼女は可憐であった。あの日のように鳩がフェンスに休んではいないが、彼女はなにかを見るようにフェンスの向こうを眺めている。彼女の目に映っているものが目にうるさい看板あるいは殺風景なアパートなのか、それともその向こうの青空なのであろうか。きっと青空に違いないと勝手に確信した。アナウンスが流れ、電車がやってくる。飛び込み防止のホームドアが開いて、電車の扉も開く。今日もシートに空きは無い。私は彼女が電車に乗る姿を見てから、違う車両に乗った。
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